『TVチャンピオン』チーフプロデューサー 多田暁さん|テレ東名物Pが語る!アノ番組の裏側 〜今だから話せる!実は〇〇でした…伝説~

テレ東の伝説的番組の一つである『TVチャンピオン』。魚通のさかなクンや、ラーメン王の石神秀幸、甘味王の池田貴公子などなど、各分野における圧倒的な知識とその強烈なキャラクターで、観る者にインパクトを与えた素人有名人たちを輩出してきた同番組は、今でもテレ東の歴史に燦然と輝いています。

今回はそんな『TVチャンピオン』の番組立ち上げから黄金時代を築いてきた元チーフプロデューサーの多田暁さんに直撃インタビューを敢行!テレ東が大好きすぎてテレビ東京メディアネットに中途入社した、元テレビ情報誌記者の支局スタッフ・Hiroが、ここでしか聞けない貴重な裏話をお届けします!

 

 

【今回インタビューに答えてくれたのは…】

 

■多田暁さん

1979年テレビ東京入社。営業や制作(25年)、編成、秘書室、ネットワーク、グループ会社のテレビ東京ミュージック、テレビ東京制作の社長を経て、現在はテレビ番組、YouTube動画のプロデューサーとして時々お仕事させて頂いている(本人談)。

これまで手掛けてきた主な番組は『TVチャンピオン』『クイズところ変われば』『月10万円で豊かに暮らせる日本の町と村』『素晴らしきドケチ家族』『さんまのサタデーナイトショー』『おーわらナイト』等

 

――本日はよろしくお願いします!まず、多田さんがテレ東へ入社した経緯について教えてください!

 

多田さん)

実はテレ東は全然第一志望ではなくて(笑)、当時はラジオ志望でした。僕らが中学生や高校生のころは深夜ラジオの全盛期だったので、TBSラジオの「パックインミュージック」とかニッポン放送の「オールナイトニッポン」とか、文化放送の「セイ!ヤング」とか、とにかくラジオに興味がありました。漠然と“普通のサラリーマン”にはなりたくなくて、TBSラジオが第一志望でしたよ。しかし、当時は選考のスケジュールがかなり重なっていたので、あまりいろいろ受験することができなくて、TBSと某代理店を受けましたが落ちてしまいました。それで、一般企業に行くしかないかなと半ばあきらめかけていたら、大学の就職指導室に「東京12チャンネル」の張り紙がありまして、受けてみたところ運よく受かったんです。給料が安いとは聞いていましたが(笑)、マスコミには行きたかったので、入社することにしました。

 

――もともとラジオ志望だったというのは意外でした!そんな流れで見事テレ東に入社したわけですが、当時は制作で番組がつくりたいなど、希望の部署はあったのですか?

 

多田さん)

制作へこだわりがあったわけではないですが、デスクワークは嫌なので、いろんな人と会える仕事がいいなとは思ってました。イメージとしては編成ですかね。バラエティをつくりたいというような気持ちは特になかったです。

 

――同期入社の方は多かったのですか?

 

多田さん)

僕らは1979年入社なのですが、その前の先輩は1975年入社なので4年間採用してないんです。だから給料が安いことも覚悟していました。僕たちの採用の時は会社も手探りだったのでしょうね。同期は男性が10名、女性2名でした。僕らの次の代は20名以上採用されたみたいですよ。

 

――『TVチャンピオン』のプロデューサーとして輝かしい功績を残された多田さんですが、所属部署の変遷について教えてください!

 

多田さん)

1年目は営業でした。要するに当時の東京12チャンネル(※テレビ東京の前身)は稼がないと生きていけない会社だったので、男子一般職採用7人、全員営業配属でした。翌年の1月からは当時の「演出局」という制作に配属されて、番組制作の仕事がはじまりました。そこから僕は2005年の人事異動のタイミングまで25年間ずっと制作でした。そこからは2年ごとに異動しまして、編成に行ったり、ネットワークに行ったり、秘書室に行ったり。編成局長もやりましたが視聴率を落としてクビになって(笑)、それでネットワーク局長をやったあとにテレビ東京ミュージックというグループ会社に行き、最後の最後でテレビ東京制作に行ったので、キャリアの最後は制作に戻ったという感じですね。

 

――やはり制作畑がメインといえども、さまざまなセクションでかなりバラエティ豊かなご経験をされてこられたのですね!

 

多田さん)

いやいや、制作を出てから編成や秘書室などを経験したので、そこで「社会人たるものはどういうものか」とか「会社ってこうやって動いているんだ」といったことをようやく学びました!何より、制作を出てから朝起きる時間が変わりましたね(笑)。制作ですと、本番の日以外は基本的に朝は寝てましたから。会社に着くころにちょうど『笑っていいとも!』が始まる感じでしたから!

 

――『TVチャンピオン』についてお聞かせください!そもそもの番組の成り立ちはどういった経緯だったのでしょうか?

 

多田さん)

私の尊敬する犬飼さんいうプロデューサーがいまして、その方が『日曜ビッグスペシャル』という枠で大食い選手権をやっていたんですよ。その大食い選手権の番組づくりのフォーマットを何か応用できないかな?という話をしていて、彼に「多田ちゃん一緒にやってくれない?」と声をかけていただいたのがきっかけです。ですから『TVチャンピオン』の第1回目は“大食い選手権”なんです。大食い選手権の番組づくりのコンセプトがベースで始まりました。当時は大食いがベースだったので、「肺活量日本一」や「手先が器用選手権」といった、体力・体質モノがメインでした。そうやって試行錯誤しているうちに“職人モノ”や知識を問う“通モノ”など、ジャンルを広げていきましたね。大食いはもちろんテレ東が元祖だし、職人モノも今まで紹介している番組はありましたが、テレビで職人同士を競わせたのは『TVチャンピオン』が初めてじゃないですかね。但し、正直なところ、知識を競う“通モノ”は、フジテレビの「カルトQ」というスタジオ30分クイズ番組をロケバラエティに進化させました。僕の番組つくり精神とは反するところですが。

余談ですが、チャンピオン開始から数年後、フジテレビで「料理の鉄人」が始まりました。職人の対決をスタジオの豪華セットで作ることに進化させていたのでおあいこですね。

 

――たしかに、放送を振り返ってみると、職人さんらが登場する「技術モノ」から、大食いはじめ人間の能力を競わせる「体力・体質モノ」、マニアック度を競わせる「知識モノ」といった、大きくカテゴリ分けがなされたうえで、本当にさまざまな選手権が誕生してきた印象ですね!番組のターゲット設定はいかがだったのでしょうか?

 

多田さん)

オールターゲット、深い分析はしていなかったと記憶しています。とにかくおもしろいエンターテインメントをつくろうという思いしかなかったです。なんとなくイメージ的には日本テレビの『びっくり日本新記録』のような、元気な番組をつくろうということでしたね。結果的に30才過ぎのお母さん層(F2)、とその子どもが食いついてくれました。視聴者ターゲットは30歳過ぎのお母さん層とその子どものイメージです。

『ポケットモンスター』を視聴してからの縦の流れも影響していたとは思います。割と営業は売りやすかったんじゃなかったかな(広告代理店の買い切り枠)

 

――『TVチャンピオン』のおもしろいところは、基本的に今おっしゃられた子どもとそのお母さんという視聴者層がありながら、さまざまな選手権があるつくりのため、テーマによってさらにプラスアルファで視聴者層が広がるのが新鮮ですよね!

 

多田さん)

そうなんですよ!だから「和菓子選手権」とかやると年配層も観てくれたりするので、視聴率の数字がさらに上がってきてくれたりしました(笑)。

 

――「大食い選手権」がきっかけになったり、一般の方が活躍されたりというように、まさに今のテレ東の番組の基盤となるような『TVチャンピオン』ですが、番組タイトルはどのようにして決まったのでしょうか?

 

多田さん)

そんなに深くは考えていなかったんです。チャンピオンを決める番組だから『TVチャンピオン』がいいんじゃない?ぐらいの感じで。でも、今でも覚えてるんですが、犬飼プロデューサーに「多田ちゃん、編成が“平成チャンピオン”を推しているのだけどどう思う?」と問われたので、正直に「いや、ダサいですよ」、と答えました(笑)。犬飼プロデューサーも僕と同じ意見だったので編成を説得してくれて、編成も現場の意見を通してくれて無事に『TVチャンピオン』に落ち着きました。

 

――『TVチャンピオン』をつくるうえで、番組づくりをする際、ここだけは譲らない!というようなこだわりポイントがありましたら教えてください!

 

多田さん)

やっぱり何かのマネはしたくないということですね。他の局と同じようなことはしたくないですし、オリジナリティのある演出で番組をつくりたいという気持ちは強かったですよね。そもそもお金がないと無理だなという企画はテレ東では難しいですし(笑)。他局でお金かけてつくったらおもしろいだろうけれど、テレ東で中途半端につくったらつまらないだろうなというのもありますからね。

 

ギャラの高いタレントさんをキャスティングすると、番組の予算は決まってますから、どこかほかの部分がしょぼくなってしまいます。全体のバランスをみながら考えないといけないですし、だからこそ、企画力に重きをおいた番組づくりをテレ東はしないといけないんです。

 

――まさにテレ東らしい企画力のもと、1992年にスタートした『TVチャンピオン』ですが、始まってから「これはいけるな!」と確信した瞬間はいつだったのでしょうか?

 

多田さん)

とりあえず4月の1回目の放送は「大食い」だったので、初回はいけると思っていたんです。日曜ビッグの枠からTVチャンピオンに移籍してきて、当然数字も取りました。6月に「手先が器用選手権」を初めてやった時に、犬飼プロデューサーが、当時1時間番組だったんですけど、ロケVを見て「これおもしろいから1回じゃもったいないから、前後編に分けてやりましょう!」と言った際に、この番組はおもしろくなっていくのではないかなと感じたのを覚えていますね。その時は、数字はそんなに良かったわけではないのですが。

 

――『TVチャンピオン』と一言でいっても、その中にはさまざまな選手権があり、企画によって視聴者層が変化したりするわけですから、視聴率だけでは表現できない、多彩な番組内容が魅力ですよね。とはいえ、視聴率でも、テレ東史上バラエティで20%を超えたのは『TVチャンピオン』と『開運!なんでも鑑定団』ぐらいじゃないですか?

 

多田さん)

当時、20年ぶりくらいに『TVチャンピオン』が視聴率20%超えをたたき出して沸いたのですが、2週間ぐらいでサッカーW杯のドーハの悲劇(視聴率48.1%)に持っていかれたんですよ(笑)。あとは、テーマによって数字が凸凹してきたんですよ。それがよかったですね。番組って数字がずーっと同じってあんまりよくなくて、「この企画やると数字がいいね!」というのが見えてきました。数字を折れ線グラフにしたときに凸凹しながら右肩上がりになってきているのが我々制作サイド、編成サイドにも印象として良かったのだと思います。

 

――『TVチャンピオン』はひとつの番組でありながら、企画が毎回違うので、視聴率が変動しても、編成サイドが一概にとやかく言いにくいというのは武器だったかもしれませんね!ある一つの回の数字が悪かったからといって、『TVチャンピオン』すべてが悪いとは言いにくいという(笑)。

 

多田さん)

さにそうなんですよ!「大食い」という強いコンテンツがあって、1クールや2クールに1回は「大食い系」(純粋な大食いの他に早食い、甘味大食い等)を放送するので、そこで貯金を稼ぐということです。要するにそこで平均視聴率を上げておくんですよ(笑)。1番バッターから9番バッターまでいるイメージなので、どこかでヒットを打っておけば、今回は少しぐらい数字悪くても、新しい企画をやってみようぜ!という挑戦ができたのです。それが周りのスタッフにとっては楽しい環境だったですね。毎回同じことをやるのではなく、毎回新しい特番をつくっているような感覚でした。

 

――結果も残しつつ、新しいトライもできるというのは、理想的な環境ですよね!まさに4番バッターで点を取っておいて、下位打線や若手選手を起用して新しいコンテンツを育てるという!

 

多田さん)

番組をつくるうえで大事にしようと思っていたのは“選手のキャラクター”ですね。「大食い」だったら赤阪さんとか、できるだけ選手をキャラ付けしようと考えてました。まあ、赤阪さんは最初からキャラ全開でしたけれど。勝敗とは関係ないのですけれど、そうした中で“さかなクン”が生まれてきたりしましたし、やはり選手のキャラクターが目立った回はおもしろい回になりましたよね。

 

 

 

――確かに!あのさかなクンも『TVチャンピオン』出身ですね!

 

多田さん)

はい!さかなクンは「魚通選手権」出身です。彼は高校生のころにハガキで応募してきたのです。そのハガキがすごくて、魚の絵がふんだんに描かれているんですよ!それで当時「この子おもしろいから予選に呼んでみよう!」となって。ただ、1回目は決勝まで行って負けたんですよ。でもおもしろいからもう1回呼ぼうと言って、2回目出てもらったらチャンピオンになったのです!それから確か5連覇して、知識もすごいし、ご存じのキャラが受けて人気者になったのです。

 

――テレ東はのちの有名人を輩出する登竜門のような節がありますよね(笑)!

 

多田さん)

結構世の中で有名になっていった人はいますよね。本を出版されたり、お店を成功されたりとか、他局で『大改造!!劇的ビフォーアフター』の匠になられた方とかいらっしゃいますし(笑)。

 

――和菓子の選手権に出ていた方が、実際にお菓子メーカーに就職されたりもしていますよね!?

 

多田さん)

「中高生お菓子名人選手権」のチャンピオンの方ですね!

 

――本当に『TVチャンピオン』は一般の方々の中から数々のスターを生み出してきましたし、そうやって実際に職業選択など、人生に影響を与えているのがすごいです!そういった数々の参加者たちはもちろんですが、スタジオで見守る出演者の方たちのキャスティングはどのように決められたのでしょうか?

 

多田さん)

番組開始当初、スタジオの進行は田中義剛さん、東ちづるさん、松本明子さんでした。途中からは義剛さんとあっこちゃん(松本さん)体制になりました。現場リポーターは中村ゆうじさんが大黒柱ですが、ゆうじさんが全部やっていたら大変で倒れちゃうので、彦摩呂さんや乱一世さんや色々な方にやって頂きました。

でも二回に一回はゆうじさんでしたけど。とにかく収録がなかなか終わらないので、その長丁場に耐えていただける方が必要でした(笑)。ですからリポーターさんは長時間拘束されても大丈夫なスケジュールがある方じゃないと不可能でしたよ。回しもうまくて素人さんの魅力を引き出すのができる方でないといけませんでしたから。ゆうじさんはそれができる貴重な方でした!当時義剛さんは「ゆうじさんには本当に頭が下がる!」と仰ってましたよ。俺らはスタジオで喋っているだけだからと(笑)。

 

 

――選手はじめ、スタジオ司会者、現場リポーター、スタッフさんらすべての人たちの力が結集してつくりあげられていた『TVチャンピオン』ですが、さまざまな人が関わり、いろいろな企画がおこなわれてきたからこそ、大変だったことも多々あるかと思います。多田さんはこれまでで「失敗したなー!」と感じたエピソードはありますか?

 

多田さん)

失敗とは思っていないのですが、1993年の9月の終わりごろに、まだ番組が1時間放送のころ、特番週にぶつける企画がなくなってしまって。

4週に渡る特番週(番組が切り替わる3~4月、9~10月)にそんなにいい企画を全部の週にはめ込んではいけなくて、イレギュラーなことやってみよう!と考えまして、当時ちょうど自民党政権が負けて細川内閣が誕生したばかりだったので、「ちょっと選挙オタクの選手権をやってみよう!」とゲリラ戦を仕掛けました。なんと番組最低視聴率をたたき出しました(笑)。それが2.7%です!忘れもしない1993年9月30日放送です!それから3週間後の10月21日放送回から1時間30分の放送枠に変更になりました。そして最低視聴率から3週間後に放送した「和菓子職人選手権」がなんと視聴率20.1%を出したんです!

 

――なんと!視聴率がすべてではないと思いながらも、その急展開は凄まじいですね(笑)。そんな短期間で最低視聴率と最高視聴率が飛び出すなんて!

 

多田さん)

本当に驚きですよね!ほかに失敗と言うと、ちょっと数字が悪くなったときに1時間30分の枠がもたないから、1時間30分の中で2つテーマを放送したことがあったんですよ。でもそれが全然おもしろくなく(笑)。なんか中途半端な構成になってしまいましたね。

 

 

――貴重な失敗エピソードをありがとうございます!(笑)これまでで特に印象に残っている回や、思い出深いトピックスがあれば教えてください!

 

多田さん)

いろいろあるんですが、「手先が器用選手権」で原口高陽くんが5ミリサイコロを千何百何十個積み上げ続けるロケ現場で、すべて乗っけた瞬間は思わず感動して、自然と鳥肌が立ちましたね!本当に何日も何日もただただサイコロを積み上げては崩しまた、積み上げるという作業を一切集中力を切らさずにひたすら続けていましたから。「手先が器用選手権」の現場は今でも一番忘れられないです。カメラマンさんも崩したらいけないからものすごい緊張感がありましたし、リポーターの中村ゆうじさんもそーっと静かに実況をやってらっしゃいましたし(笑)。本当に思い出深い現場でした!

 

「大食い」の現場も思い出深いです。よく「(選手たちは)あれ絶対本当には食べていないでしょ?」と友人とかに言われたのですが、ロケをオープンな場所(屋外など)でおこなっていたので、実際に生で見ているギャラリーなどの人たちが「あれ本当に食べてたんだ!」とびっくりしていました(笑)。だからよく言いましたよ「そんなことでやらせはできないですよ!」と(笑)。本当に体調が悪くなって食べられなくなってしまった選手が発生したときは、スタッフがストップかけてトイレに連れて行って、あとから食べられなくなったシーンを撮ったりはしていました。そういったことは現場のプロデューサーが、生で見ている人たちにそういったこと(リタイアしたところ)は映せないから、あとからリタイアする流れのシーンは演出として撮影しますねというお断りをいれていましたね

 

あとは「ケーキ職人選手権」なんかだと、現場の職人さんがつくるケーキの美味しさといったらすごかったです!やっぱり普段我々が使っている砂糖とかではなくて、本当に美味しい材料やクリームとか使うので、審査員として一般のお客さんたちを呼んで食べてもらったりしていましたけど、ケーキの下のほうのスポンジだけでもめちゃくちゃ美味しかったですよ!これは役得でしたね(笑)。

 

アクシデントであったのは、決勝戦をお寺でおこなったのですが、回答を間違えた選手の肩をお寺の方に警策(きょうさく:喝を入れるためにたたく木の棒)でたたいてもらっていたら、そのお寺の人が収録の何週間か後に恐喝で逮捕されてしまって(笑)。一切その決勝戦の映像が使えなくなってしまいました!それは本当に参ってしまって、選手たちには説明をして、勝った人には賞金を渡したうえで改めて収録させてもらいましたよ。問題も作り直したのであの時は大変でした。

 

あと思い出深いのは、料理人さんの職人の選手権で、決勝戦は駅弁作りでした。3人の選手が作った駅弁に対して、審査員がプロの方5人。審査員には、持ち点を「見た目」点と「味」点について、一人それぞれ10点を割り振ってもらいました。そうすると3選手の特典の合計点は100点になりますよね。なんと審査の結果、1番と2番の選手が同点になったんですよ。スタッフは同点になっていることに興奮してしまって、実は全選手の総得点が100より多くなっていることに誰も気がつかなかったんです。要するに、5人の審査員のうち1人の方が10点のところを間違えて12点とか変な点数を振ってしまったのです。

現場はそのまま審査員5人による札上げ方式の決選投票で3対2で決着。総得点のミスにはスタッフ誰も気が付かずに収録が終わって、2日後に現場にいた方から電話がかかってきまして「あれ点数おかしいんじゃない?」と(笑)。電話受けたスタッフが「多田さん、やばいです!」と、私のところに飛んできましたよ。完全にこちらのミスだったので、撮りなおす方向で動きました。選手全員にも会いに行って、特に勝った人には「うちの完全なミスなので、賞金はお渡しするので、もう一度収録させてください」とお願いしました。そうしたらその選手から諭されたんです。当時シドニーオリンピックの柔道で日本の篠原信一選手が誤審で銀メダルになったんですが、そのことを引き合いに出されまして、「あれは完全な誤審でしたが、覆ることなくそのままいきましたよね?」と。「もう一回精魂こめてお弁当をつくる気はないし、皆さんも一生懸命戦われたので、すべての経緯をバラしていただいて結構ですから、そのまま放送してくれませんか?」とおっしゃられたのです。

 

――それは選手の方のおっしゃられることごもっともでありながら、制作サイドとしては悩みますね。

 

多田さん)

まあ、負けた選手、特に決選投票で負けた方のお気持ちもありますからね。

でも、我々もすべてをちゃんと説明して放送する旨お伝えしたところ、負けた選手の方が勝った方の気持ちを慮って納得してくださいまして。そのあとは5人の審査員の方々のところに行きました。「この中のどなたかが間違えました」と放送するとご説明しましたよ。視聴者の方からしたら、この5人の中に間違えた審査員がいると見られてしますので、4人の方には申し訳ないのですが(笑)。

 

――難しい選択でしたね(笑)。でも正直にありのまま放送したことは、テレビのあり方として素敵だと思います!

 

多田さん)

実際の放送では、点数が同点になってリポーターの中村ゆうじさんが「決戦投票だー!」と言ったところで、急にスタジオに画面が切り替わりまして、「実は点数が多いんですよ、スタッフが気づかずにそのまま進行してしまいました」という説明を入れたあとに「ではそんなことがあってチャンピオンが決まりましたので、続きをどうぞ!」と、現場の映像に戻りました(笑)。もちろん、関係者の皆様への謝罪コメントは、義剛さん、あっこちゃんに言ってもらいました。当時まだSNSが今のように発達してはいなかったですが、2ちゃんねるとかで褒められましたね。「馬鹿正直にもほどがあるけど、潔くていいよね!」と。とっても印象に残っていますね。

 

――素敵なエピソードですね!視聴者の方々はやはりテレビの伝え方や姿勢というものに敏感ですし、特に老若男女問わず観られている『TVチャンピオン』が、そうした正直で誠意ある対応をしたことはきっととても意義深いことだったと感じます。

 

多田さん)

そうですね!番組づくりをするうえで、あれは本当に正直に取り組まないといけないなと思いましたね。

 

 

――令和の今、改めて『TVチャンピオン』や番組をつくろうとしたら、多田さんはどんなテーマやトピックスのコンテンツをつくってみたいですか?

 

多田さん)

『バス旅』とかって、現場でアクシデントが生まれるじゃないですか?もちろん『TVチャンピオン』もそういった番組が盛り上がるアクシデントを狙ってはいるし、面白い事が起こること願って収録していますが、勝負事なので、勝負の部分は演出ができないんです。ただ、一人の選手が独走しているような場合は、それをそのまま流していたらほかの選手にスポットがあたらないし、エンターテインメントとしてはおもしろくならないので、いろいろな選手の場面を、順番を入れ替えてワンサイドゲームではなく、競っているような戦いに編集することは時々ありました。

『TVチャンピオン』はある種ドキュメントでありながら、エンターテインメントではあるので、そこはおもしろく観ていただけるようにつくることは大切にしていました。ただ、今は時代とともにそうした演出や編集すらもなかなか難しくなってきていると思うので、今の時代に『TVチャンピオン』をつくるのは昔とは違った大変さや難しさがあるかもしれませんね。でも、今の時代だからこそ、シンプルに何かアナログさのある番組をつくりたいですね!

 

――『TVチャンピオン』がこれまで多くの人々に愛されてきた理由について、いかがお考えですか?

 

多田さん)

人っていろんな才能や特技を持っているんだなっていうのを、観た人が感じて感動するということに尽きるのじゃないですかね。とはいえ、毎週毎週放送してきたら、その感動すらも時代とともに飽きられてしまうだろうし、それは時代に合わせて常に考えていかなければいけないですよね。もしこれからまた『TVチャンピオン』をつくるとしたら、今までやってきたことの蒸し返しではなくて、新しいことで人が競い合えるコンテンツをつくれたらなと思います。今までやってきておもしろかったことにとらわれていると、なかなか難しいですよ。番組のブランドはおかげさまで皆様に根付いているので、それを大切にしたうえで、新しいテーマで番組をつくっていくことが大事だと思います。

 

――たくさんの貴重なお話をありがとうございます!最後にテレ東ファンの皆さんにメッセージをお願いします!

 

多田さん)

たぶんテレ東のファンになっていただける方っていうのは、そんなにメジャー志向ではないと思うんですよね(笑)。だから、予算も少ないテレ東は独自路線を貫いていくべきなんですよ。私が会社を辞める時に40数年の感謝の意味も込めてテレビ東京グループの皆さんにメールをお送りしたのですが、テレ東はあんまり横綱相撲するような会社じゃないよと。コア層を狙うというか、他局と違って尖っていくことをDNAとして大事にしていかないといけないと思うのです。他と同じようなことをやっていたら、ファンの方も離れていってしまうでしょうし、何よりテレビ番組やコンテンツをつくることにおいては“元祖”でいたいですよね。違う番組の話ですが、僕がプロデューサーとして結果として他局と似たような番組で高視聴率を獲得しても、犬飼さんは冷たかったです。でもチャンピオンでも他の番組でも、何か尖がった臭いがあるものを創ると、数字が悪くても面白い、と言ってくれました。僕もその精神は受け継がせてもらいました。とにかくマネをしないで、お金をかけすぎないで、おもしろいことをやっていくことを信条としていってほしいです!

 

――『TVチャンピオン』という、テレ東の歴史はもちろん、日本のテレビ史にも名を残すであろうレジェンド番組を立ち上げから人気番組に育てあげた多田さんのお話はどれも貴重なものばかり!一般の方が選手として本気で競い合い、己の技術や知識、特技を全力でぶつけ合うその姿に、当時小学生としてテレビにくぎ付けになっていた自分自身を思い出して懐かしくもなりました。人間一人一人の持つ個性がぶつかり合い、それを観た人が心を揺さぶられるという、まさにテレビの力をいかんなく発揮し続けていた同番組は、ロケ番組や一般の方が主役になることも多い現在のテレ東番組の礎を築いたといって過言ではないでしょう!多田さんの言葉にもあった“他のマネをせず、尖りながらおもしろいことを追求していく”というマインドを、これからのテレビ東京グループが忘れずに持ち続け、さらなる進化・飛躍をしていくことを願っています!

 

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