2000万円の超絶値!ジョン・F・ケネディ、外交史に残るお宝:開運!なんでも鑑定団
11月11日(火)に放送した「開運!なんでも鑑定団」(毎週火曜 夜8時54分)。ジョン・F・ケネディの自筆手紙と写真に超絶値がついた。
【動画】2000万円の超絶値!ジョン・F・ケネディ、外交史に残るお宝
依頼人は、第二次世界大戦中に駆逐艦「天霧」の艦長として激戦地ソロモン諸島の作戦に従事した軍人・花見弘平(1909〜1994)の孫。亡き祖父から伝わる品を持参した。
依頼人によると、花見は非常に厳しく、常に緊張感を持たせる人物。しかしそのおかげで、周りの船が次々と沈む中、「天霧」はしぶとく生き残り、部下からの信頼は厚かった。
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お宝は「ジョン・F・ケネディの手紙と写真」。ソロモン沖で敵として出会ったケネディから贈られたものだという。
2人の出会いは戦争中。花見が「天霧」の艦長だった頃、ケネディも魚雷艇PT109の艦長を務めていた。ソロモン沖で両船は遭遇し、衝突。ケネディが乗っていたPT109は真っ二つに割れてしまった。
戦後、ケネディは日本を訪問。当時まだ下院議員だったケネディは、「私の船を沈めた艦長を探してほしい」と周囲に依頼。復讐のためではなく、上院議員に立候補するにあたり「激励文を送ってほしい」との意図があった。花見はそれに応じて激励の手紙を送り、今回のお宝は、その返礼として送られたものだという。
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さらにケネディが大統領に就任した際には、花見に「大統領就任記念メダル」も贈られた。メダルには「ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ」の名が刻まれている。
1917年、カトリック系アイルランド系移民の家庭に生まれたケネディ。父・ジョセフは銀行・映画会社・酒輸入などで成功した実業家で、4人の息子たちを政治家にするのが夢だった。
しかし、次男のジョンは生まれつき病弱で、背骨に重度の障害を抱え、常に激しい痛みに苛まれ勉強に身が入らず、成績は並以下。名門・ハーバード大学への進学も父の根回しによるものだといわれるが、愛嬌とユーモアでクラスの人気者だった。
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依頼人は、第二次世界大戦中に駆逐艦「天霧」の艦長として激戦地ソロモン諸島の作戦に従事した軍人・花見弘平(1909〜1994)の孫。亡き祖父から伝わる品を持参した。
依頼人によると、花見は非常に厳しく、常に緊張感を持たせる人物。しかしそのおかげで、周りの船が次々と沈む中、「天霧」はしぶとく生き残り、部下からの信頼は厚かった。

お宝は「ジョン・F・ケネディの手紙と写真」。ソロモン沖で敵として出会ったケネディから贈られたものだという。
2人の出会いは戦争中。花見が「天霧」の艦長だった頃、ケネディも魚雷艇PT109の艦長を務めていた。ソロモン沖で両船は遭遇し、衝突。ケネディが乗っていたPT109は真っ二つに割れてしまった。
戦後、ケネディは日本を訪問。当時まだ下院議員だったケネディは、「私の船を沈めた艦長を探してほしい」と周囲に依頼。復讐のためではなく、上院議員に立候補するにあたり「激励文を送ってほしい」との意図があった。花見はそれに応じて激励の手紙を送り、今回のお宝は、その返礼として送られたものだという。

さらにケネディが大統領に就任した際には、花見に「大統領就任記念メダル」も贈られた。メダルには「ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ」の名が刻まれている。
1917年、カトリック系アイルランド系移民の家庭に生まれたケネディ。父・ジョセフは銀行・映画会社・酒輸入などで成功した実業家で、4人の息子たちを政治家にするのが夢だった。
しかし、次男のジョンは生まれつき病弱で、背骨に重度の障害を抱え、常に激しい痛みに苛まれ勉強に身が入らず、成績は並以下。名門・ハーバード大学への進学も父の根回しによるものだといわれるが、愛嬌とユーモアでクラスの人気者だった。
卒業後、戦争へと傾く世界情勢に一念発起し、兵役を志願。背骨の障害を理由に一度は不合格となったものの、父の口添えで1941年に海軍に入隊した。
1943年8月2日、魚雷艇PT109の艦長としてソロモン諸島へ向かった際、花見が艦長を務める駆逐艦「天霧」と遭遇。
魚雷を発射されたら一巻の終わりと判断した花見は、瞬時に全速力で突進し、瞬く間に衝突。PT109は真っ二つに砕け、炎上した。
海に投げ出されたケネディは、即死した2名を除く乗員10名を導いて陸を目指す。火傷で身動きできない仲間に命綱を巻きつけ、自ら口にくわえて泳ぎ続けた。
そして15時間後、無人島に漂着。周辺の地元民に発見され救助されたのは、衝突から6日後のことであった。
この「仲間を救った奇跡の生還」は新聞で報じられ、ケネディはたちまちアメリカの英雄に。この知名度を生かし政治家の道を歩み、1946年に下院議員、1952年に上院議員に当選。1960年の大統領選で勝利し、第35代大統領に就任した。
弱冠43歳、アメリカ史上最も若くして選挙で選ばれた大統領だ。
就任後は新たな政策を次々と掲げ、日本との関係改善にも尽力したが、1963年11月22日、ダラスでのパレード中、凶弾に倒れた。

改めて依頼品を見てみよう。
手紙は、ケネディが上院議員になってすぐの1953年2月18日付。ケネディは1951年に来日した際、交流のあった政治学者・細野軍治に自分の魚雷艇を撃沈した艦長を探してほしいと依頼していた。
戦後、故郷・福島で暮らしていた花見はその知らせを受け、翌年、ケネディが上院議員選挙に立候補したことを知ると、自らと「天霧」の写真を添えて激励の手紙を送った。
手紙は、生還への驚きと喜びに始まり、今後の日米関係の改善を願う内容だった。
ケネディはこの堂々たる手紙に感服し、すぐさま新聞で公表。かつての敵対関係を超えた美しい友情と称えられ、選挙戦の大きな後押しとなった。

依頼品はその返礼で、「我々の関係が日米間の友好を築く手助けになると考えています」「もう一度日本を訪れ、あなたとお話できることを心より願っています」「日米関係が強固であることが互いの安全のため最も重要であると考えております」「その目的のため、議員としての役目を果たしていくつもりでおります」と綴られている。

さらに、写真には自筆で「late enemy and present friend(昨日の敵は今日の友)」と書き添えられている。
2人の交流はその後も続き、1960年の大統領選の際、ケネディは花見に応援を依頼。花見は「天霧」乗員たちの寄せ書きを贈り、これも新聞で報じられ、大統領選勝利の一因となった。
MCの今田耕司は「これはすごい話! (祖父が送った)手紙の内容が素晴らしすぎたんでしょうね」と感動。依頼人は本人評価額を100万円としたが、果たして――?

鑑定額は、なんと2000万円の超絶値でスタジオ騒然!
鑑定した「安土堂書店」代表取締役・八木正自氏によると、この品は「民間外交の頂点に位置するもの」。
ケネディが社交辞令ではなく内容のある手紙を出したことが重要であり、花見が言うべきことを臆面もなく伝え、当選を願った思いがケネディの胸に響いたと分析する。
「特に上院議員当選、大統領選に勝利した一因であったことは大きな意味があります。この件がなければ歴史は変わっていたかもしれません。『昨日の敵は今日の友』という格言の最高の事例ではないでしょうか。公的機関で保管・展示されるのがふさわしい、素晴らしいものです」(八木氏)。
この結果を受けた依頼人は、「びっくりですね」と目を丸くし、今田も「すごいものが出たなぁ!」と舌を巻いた。
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