島田弘久アナ|人との出会いって本当に縁ですよね|アナ日記
季節は夏へと向かうのにNO SNOW, NO LIFEな島田弘久です。
「冬以外は夏、冬だってギリ、夏。」冬が恋しいです。
3つの奇跡と、志賀高原がつないだ「最高の縁」の話
人との出会いって、本当に不思議な「縁」でできていませんか?
人生の節目節目で、なぜか点と点がつながる――そんな経験、皆さんにもあるでしょうか。
僕にとってその舞台となったのが、長野県にある志賀高原です。
ここは日本有数のスノーリゾートであり、温泉に入る「スノーモンキー」でも世界的に有名な場所。東京から車や電車で3時間半ほどですが、夏は都心より10度も涼しい、まさに天然のクーラーです。
実は、都会育ちの僕と志賀高原(山ノ内町)の出会いは、1998年の長野五輪でした。
第1の奇跡:1998年 長野五輪での再会
当時、取材記者として初めて五輪の舞台(焼額山)に立った僕。緊張と興奮の理由は、もうひとつありました。なんと、幼稚園の卒園以来、離ればなれになっていた幼馴染の「ガクちゃん」が、日本代表として出場していたのです!
家が目の前だった彼は、卒園を待たずに父親の実家がある志賀高原へ引っ越してしまい、それきり疎遠に。風の便りで「スキーを続けている」とは聞いていましたが、僕がこの仕事に就き、スキーの勉強を始めた頃、代表メンバーの中に彼の名前を見つけたのです。
そして長野五輪の舞台で、奇跡の再会を果たしました。


第2の奇跡:2002年 オーストリアでの引退
その後、テレビ東京がスキーのワールドカップ(W杯)を中継することになり、僕はカメラを手に、ひとりでオーストリアのキッツビューエルへ取材に飛びました。
2002年1月2日。右も左も分からず、心細い中で必死にレース後の彼にインタビューを試みたその時、衝撃の事実を知ります。
なんとそのレースが、彼にとっての「現役引退レース」だったのです。
幼馴染の最後の世界舞台を、僕が生で見て、生で取材させてもらう。神様の仕掛けたような、二度目の奇跡でした。
第3の奇跡:そして、現在進行形の大きな挑戦へ
時は流れ、スキー産業の復興に尽力し始めた彼と、僕の人生はまたしても交錯するようになります。仕事で一緒になることが二度、三度と続き……。
そして今、僕たちは二人で仕掛ける「大きなプロジェクト」という、第三の奇跡の中にいます。
幼馴染のガクちゃんこと平澤岳さんは今、志賀高原を擁する山ノ内町の「町長」となり、地元の産業と暮らしのために日々、東奔西走されています。その親しみやすい風貌から、界隈では「しろくま町長」として大人気です。
人とのつながり、そして縁の力って本当にすごい。
この「三度目の奇跡」で僕たちが今、何を企んでいるのか……まだここでは明かせないのですが、かなり大きなことを仕掛けています!
いつか皆さんに最高の形でご報告できる日を、どうぞ楽しみに待っていてください!