押し入れの段ボールに眠っていた一枚の紙が【1000万円】に!専門家「歴史上の新しい発見」:開運!なんでも鑑定団
6月9日(火)に放送した「開運!なんでも鑑定団」(毎週火曜 夜8時54分)。押し入れから見つかったお宝に驚きの鑑定額がついた。
【動画】押し入れの段ボールに眠っていた一枚の紙が【1000万円】に!専門家「歴史上の新しい発見
依頼人は、実家の整理をしていた男性。押し入れの段ボールを片付けていたところ、古文書のような古い書の数々を発見した。何が書かれているのか分からず、一番古そうな書状の写真をSNSに投稿してみたところ、歴史に詳しい人物から連絡が入り、豊臣秀吉が先祖に贈った褒美の手紙であることが判明したという。
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依頼品は、「豊臣秀吉の正室・ねねの文書」。
秀吉の書状を調べてくれた専門家から、「北政所」と書かれていることから、ねねの文書ではないかと教えられたという。
天下人・豊臣秀吉を支えた正室・ねね。1549年、尾張国朝日村(現在の愛知県清須市)に生まれ、織田信長の弓衆・浅野長勝の養女となったことで秀吉と知り合い、後に結婚した。当時としては珍しい恋愛結婚だったとされる。
その後、秀吉は持ち前の才覚で織田家の中で出世を重ねる。福島正則や加藤清正ら、後に賤ヶ岳の七本槍と呼ばれる若い武将たちが家臣になると、ねねは母親のように彼らの面倒を見たため深く慕われた。
【動画】押し入れの段ボールに眠っていた一枚の紙が【1000万円】に!専門家「歴史上の新しい発見
依頼人は、実家の整理をしていた男性。押し入れの段ボールを片付けていたところ、古文書のような古い書の数々を発見した。何が書かれているのか分からず、一番古そうな書状の写真をSNSに投稿してみたところ、歴史に詳しい人物から連絡が入り、豊臣秀吉が先祖に贈った褒美の手紙であることが判明したという。

依頼品は、「豊臣秀吉の正室・ねねの文書」。
秀吉の書状を調べてくれた専門家から、「北政所」と書かれていることから、ねねの文書ではないかと教えられたという。
天下人・豊臣秀吉を支えた正室・ねね。1549年、尾張国朝日村(現在の愛知県清須市)に生まれ、織田信長の弓衆・浅野長勝の養女となったことで秀吉と知り合い、後に結婚した。当時としては珍しい恋愛結婚だったとされる。
その後、秀吉は持ち前の才覚で織田家の中で出世を重ねる。福島正則や加藤清正ら、後に賤ヶ岳の七本槍と呼ばれる若い武将たちが家臣になると、ねねは母親のように彼らの面倒を見たため深く慕われた。
1582年、本能寺の変で信長が討たれると、秀吉は明智光秀を討伐。その後、柴田勝家や徳川家康らとの戦いを経て天下人となった。関白に就任した秀吉を支える形で、ねねも「北政所」の称号を得る。朝廷との交渉や有力大名との関係づくり、人質として預かった子どもたちの養育など、豊臣政権を支える重要な役割を担った。
1592年に秀吉が朝鮮出兵を開始すると、ねねは軍需物資の輸送や後方支援も担当。大名にも匹敵する領地を与えられ、自ら黒印を押した文書で物資輸送を指揮していた。

改めて依頼品を見てみよう。
文禄二年二月六日(1593年)の日付が入った文書で、朝鮮出兵のさなか、小倉奉行宛てに送られたもの。

名護屋城へ届ける道具や着物について指示した内容で、「つづら二つ、小箱一つ、むしろ包みの箱一つ」の計四つを確実に届けるよう命じている。また、詳しい内容は秀吉の側近である帥法印が口頭で伝えると記されており、ねねの黒印もしっかり押されている。
本人評価額は150万円。

鑑定結果は…なんと1000万円!
予想を大きく上回る金額に、スタジオからは驚きの声が上がった。
鑑定を担当した愛知東邦大学客員教授・増田孝氏は、「大変に珍しいものです」と高く評価。秀吉の文書は数多く残されている一方、ねねの文書は極めて数が少ないという。
さらに文書には「北政所様御諚」と記されており、ねねに仕える武将が代筆したことが分かる。文禄二年の朝鮮出兵に際し、ねねが後方支援を担っていたことを裏付ける決定的な一次史料であり、「歴史上の資料の新しい発見」と絶賛した。
この結果に依頼人は、「こんな金額が出るとは思わなかった」と驚きの表情を見せた。
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