北川莉央アナウンサー“人の3倍努力してやっとスタートラインに”「何事も泥臭くやりきることを大切にしています」
「何事も泥臭くやる」――。2026年4月、テレビ東京に入社した新人・北川莉央アナウンサー。
睡眠時間を削り、走り抜けた採用試験の舞台裏、互いに高め合い、内定の切符をつかみ取った同期・鈴木芹里乃アナウンサーとの絆、そして学生時代のエピソードまで……。
地道に努力を重ねる北川アナウンサーの原点、意外な素顔に迫ります。
【動画】北川莉央アナウンサーが出演「テレ東音楽祭2026夏」
大学時代の一人旅で、“環境に飛び込むことで人は成長できる”と、身をもって実感しました
――まずは北川アナウンサーのルーツから伺いたいのですが、幼少期はどんなお子さんだったのでしょうか。
「無邪気で活発な子どもでした。みんなの前で発表する時は、真っ先に手を挙げていましたし、『みんなで遊ぼう!』と声をかけて庭園で走り回ることも。どこか男の子っぽいパワフルさがありました。
また、父がビートルズの大ファンで、今もコピーバンドで活動していますが、その影響もあり、幼稚園時代からピアノやバイオリン、フルートなど、音楽系の習い事を経験させてもらえたので、とても感謝しています」
――そのパワフルさは、学生時代も変わらず?
「そうですね。林間学校の寮長を務めたり、合唱コンクールのリーダーに立候補したり……。『みんなで頑張ろう!』と声を上げる、熱いタイプだったと思います。
体育祭では、3年間にわたって応援団をやったことも思い出深いです。
私が通っていた学校の応援団は、自分たちで曲を選んでメドレーにし、振り付けを考えてパフォーマンスする形式だったので、それがすごく楽しかったです」
――学生時代、特に印象に残っている思い出を教えてください。
「中学2年生の時、学校のプログラムでボストンに2週間短期留学したことです。
スマホがない環境で、初めて長期間、親元を離れて過ごしました。
現地では、レッドソックスの試合を観戦したり、美術館に行ったり、みんなで外食をしたり…。それまでは親に甘え、食事のバランスすら意識したことがなかったので、“これからは、一人でも生きていけるようにならなくては!”と、初めて自立を意識しました。
現地の学校との交流授業もあり、英語の壁を感じながらも必死にコミュニケーションを取った経験は、その後の私の世界を大きく広げてくれました」
――大学時代は、パリを一人旅したそうですね。
「“もっと自分の力で世界を広げたい”という思いがありました。あとは単純に食べるのが好きなので(笑)、“本場のサクサクのクロワッサンをホットチョコレートに浸して食べたい!”という夢があったので、大学2年生の時、一人でパリに行きました。
短い旅ではありましたが、翻訳機を使いながらパンを買って、現地の方と交流をして。最後は空港で翻訳機なしで言葉がパッと出てきた瞬間もありました。
“環境に飛び込むことで人は成長できる”と、身をもって実感できた旅でした」
▲「頑張って現地の方にお声がけし、撮っていただいた1枚です」頑張っている人の背景にあるドラマを、温かな言葉で届けたい
――アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。
「高校・大学時代はタレント活動をしていたのですが、そのときに、コロナ禍で医療従事者の方と交わした会話が、一つのきっかけになりました。
コロナ禍で、命をかけて、感染した方々の治療に当たる人たちについて、自分で取材し、大勢の人に伝えたいと。そう強く思ったことが、アナウンサーを目指した原点です」
――大学時代の生活は?
「体力的にはきつかったです。朝から午後3時までは大学、夜まで仕事、その後は数時間にわたり、アナウンススクールの先生に、原稿読みやパネル描写(見たものを30秒で正確に描写する訓練)の特訓をしていただく毎日でした。
常に2、3局分のエントリーシート作成やアナウンサー採用試験用の提出動画の撮影に追われ、その合間に面接などの準備も行い、睡眠時間は毎日2〜3時間ほど。途中で肺炎になってしまい、1カ月ほど動けなくなってしまったこともありました。
大阪、名古屋、鹿児島、仙台など、ご縁をいただけたらすぐに行く覚悟で、いくつものテレビ局の採用試験に臨みました。土日は仕事と各局の試験が重なることが多かったので、面接やカメラテストを受けてから仕事に向かい、終電で東京に戻って、翌日はまた別の試験を受ける、という生活でした。
最初は“挑戦してダメなら他を考えよう”と思っていましたが、周囲の皆さんが応援してくださり、その応援に報いたい、絶対に『内定しました!』と報告したい……日増しにそんな思いが強くなっていきました」
――そんな過酷な状況を乗り越えられた、一番の原動力は何だったのでしょう。
「自信がなくなるときもありましたが、“これだけ努力しているんだから、絶対に内定が出るはず”と、呪文のように自分に言い聞かせていました。
また、同期の鈴木芹里乃アナウンサーの存在もとても大きかったです。
同じアナウンススクールに通っていましたが、彼女のパフォーマンスが素晴らしすぎて、心がポキッと折れてしまったことも。でも次第に“自分はダメだ”と落ち込むのではなく、“次の発表では、鈴木アナウンサーを目指して頑張ろう!”と思い直して、彼女の存在を原動力に変えていきました」
――まさに、お互いを高め合える存在であり、同期だったのですね。
「本当に運命だと思います。2人でテレビ東京の最終試験の結果を待つ間、『片方だけ電話がかかってきたら気まずい』という理由で、一度別々の場所に離れました。
合格の電話を受けた瞬間、お互いすぐに連絡を取り合い、『来た!』『私も来た!』と、本社に戻って再会し、2人で喜びを分かち合いました。鈴木アナウンサーはガッツがあって、枠に捉われず思い切りやりきる力が本当にすごいんです! 心からリスペクトしています」
▲同期の鈴木芹里乃アナウンサーと――入社して約3カ月、実際に研修を受けてみていかがですか。
「先輩方の守備範囲の広さと膨大な準備の量に、日々驚いています。
例えば15分の短いニュースでも、その意味を深く理解し、カギ括弧の位置までこだわって読み込まなければなりません。
何があっても進行を止めないために、バラエティー番組の台本にも、フォロー用の情報が何通りもびっしり書き込まれていることを知り、“これが職人技なんだな”と、改めて身が引き締まる思いです」
――ご自身の中で「これだけはブレない」という強みや持ち味はどこにあると感じていますか?
「人よりちょっとだけ頑張れることと、『できない』を言わないことです。不安や緊張という感情はあっても、任せていただいたお仕事に対して、『無理です。できませんでした』という言葉は、絶対に使わないようにしています。それは、自分の中で決めているモットーでもあります。
私は決して器用なタイプではありません。だからこそ“人の3倍やらないとスタートラインに立てない”という信念を忘れず、何事も泥臭くやりきることを大切にしています」
――努力家の北川アナウンサー。プライベートでのリフレッシュ法や、これから挑戦したいことがあれば教えてください。
「お菓子作りが大好きです。小学生の頃から母と一緒に作っていましたが、最近は一人で洋菓子やケーキ、ナポレオンパイなどを作っています。
お菓子作りは、1グラムのズレで味が変わってしまいます。作っている間は他のことを考えず“無”になれるので、私にとっては大切な時間です」
▲自作のナポレオンパイ「最近は、神社巡り(御朱印集め)もしています。一粒万倍日や天赦日などの吉日には参拝していますが、神社はお願い事をする場所ではなく、日頃の感謝を伝えに行く場所だと聞いたので、“いつもありがとうございます”と感謝を伝えてから手を合わせています。
また、将来的に余裕ができたら、以前から興味があって勉強していた『ダイエット検定1級』の資格取得に再挑戦したいです。食事の栄養バランスなどの知識をさらに深めて、いつか発信できたらうれしいです」
――今後、どのようなアナウンサーを目指していきたいですか。
「採用試験の時から一貫して報道を志望していますが、頑張っている人の背景にあるドラマを、温かな言葉で届けたいという思いがあります。新しいモノを開発しているスタートアップ企業や日々奮闘している方々を取材して、その思いを世の中に伝えていきたいです。
そして良い意味で“記憶に残らないアナウンサー”でありたいと思っています。
番組が終わった後、視聴者の皆さんの記憶に残るべきなのは、主役である出演者や取材対象者の方々。縁の下の力持ちのような存在になることを目指しています」
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