「AIに300万円と言われた」抽象画が1500万円に!:開運!なんでも鑑定団
9月8日(火)に放送した「開運!なんでも鑑定団」(毎週火曜 夜8時54分)。「AIに300万円と言われた」抽象画に、驚きの鑑定額がついた。
【動画】「AIに300万円と言われた」抽象画が1500万円に!
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依頼品は、「猪熊弦一郎の抽象画」。
戦後、アメリカ・ニューヨークで銀行の支店長をしていた依頼人の祖父が、現地で知り合った猪熊本人から直接譲り受けたものだという。
長年、自宅に無造作に飾っていたが、ある日、AIに「本物ならいくら?」と尋ねたところ、「最低でも300万円」と返答され驚愕。番組に鑑定を依頼した。
生涯、新たな画風に挑戦し続けた画家・猪熊弦一郎。
1902年、香川県高松市に生まれ、東京美術学校西洋画科に入学。23歳で妻をモデルにした「婦人像」が帝展に初入選した。
当初は写実的な画風だったが、ピカソやマティスに憧れ、対象を単純化したモダンな表現へと転換。35歳でフランスへ留学すると、敬愛するマティスから「君の絵はうますぎる」と言われる。ピカソの影響が強く、技巧に頼りすぎているという意味だった。猪熊はこれを機に、自分らしい表現を求めてゼロからの再出発を決意した。
【動画】「AIに300万円と言われた」抽象画が1500万円に!

依頼品は、「猪熊弦一郎の抽象画」。
戦後、アメリカ・ニューヨークで銀行の支店長をしていた依頼人の祖父が、現地で知り合った猪熊本人から直接譲り受けたものだという。
長年、自宅に無造作に飾っていたが、ある日、AIに「本物ならいくら?」と尋ねたところ、「最低でも300万円」と返答され驚愕。番組に鑑定を依頼した。
生涯、新たな画風に挑戦し続けた画家・猪熊弦一郎。
1902年、香川県高松市に生まれ、東京美術学校西洋画科に入学。23歳で妻をモデルにした「婦人像」が帝展に初入選した。
当初は写実的な画風だったが、ピカソやマティスに憧れ、対象を単純化したモダンな表現へと転換。35歳でフランスへ留学すると、敬愛するマティスから「君の絵はうますぎる」と言われる。ピカソの影響が強く、技巧に頼りすぎているという意味だった。猪熊はこれを機に、自分らしい表現を求めてゼロからの再出発を決意した。
戦後はパブリックアートにも取り組み、やがて純粋な抽象画を追求。52歳でニューヨークへ渡ると、自由な熱気に創作意欲をかき立てられ、そのまま20年余りを過ごした。平行線や幾何学模様を駆使し、色彩豊かな抽象画を次々と生み出していった。
1993年、90歳で大往生。亡くなる直前まで創作を続けた、生粋の画家であった。

改めて依頼品を見てみよう。
黄色を基調とした鮮やかな抽象画で、隅には「guén 57」のサインが確認できる。

額の裏には、恐らく本人の筆で「黄色の中の構図」とタイトルが記されている。1957年はニューヨーク滞在3年目。抽象画を我が物とした頃である。
本人評価額は、祖父とAIを信じて「300万円」とした。

鑑定結果は…なんと1500万円!
本人評価額を大きく上回る結果に、スタジオは騒然。
鑑定を担当した「永善堂画廊」代表取締役・山村浩一氏は、「猪熊弦一郎の作品、本物です」と評価。

「抽象画なので基本的な見方は自由だが、中央の細い線で描かれた四角の中に白、黒、赤が強く塗り込まれており、まるで大きな画面の中にもう一つ小さな絵が存在しているような、猪熊独特のリズム感がある名品」(山村氏)

さらに、1960年代に猪熊がニューヨークで日常や作品を紹介したスライドショーの写真にも依頼品が写っていることから、本人も非常に気に入っていた作品だったことがうかがえる。
この結果に、依頼人は「本当にビックリしました」と喜びを噛み締めていた。
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