【武田久美子】「ハイティーン・ブギ」秘話…アイドル時代の過酷な営業明かす

2026.09.24
武田久美子後編
23年ぶりに写真集「Sango」(講談社)を出版した武田久美子。‘82年に13歳でデビュー、類い希な美しさとピュアな存在感に多くの人が魅了された。
インタビュー後編では、デビュー作となった映画「ハイティーン・ブギ」(1982年公開 主演:近藤真彦)の思い出やトップアイドル時代の仕事、ビジュアルクイーンとしての地位を確立するまでの道のりなど、58歳、ますます輝く武田に話を聞いた。
※インタビュー前編

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アイドル時代は「寝る時間も考える時間もなかった」


――映画「ハイティーン・ブギ」でヒロイン・桃子を演じた武田さん。圧倒的な清純さと早熟な美貌が話題となり、社会現象を巻き起こしました。

「当時はまだ13歳、ヒロイン役に選ばれたので出たという感じでした(笑)。芸能界でやっていくという一大決心もなく、あれよあれよという間にデビューをしてしまったので、とてもラッキーだったと思います。
その前からモデルのお仕事をしていましたが、今思い返すと、お芝居や歌の勉強をして基礎を作ってから、自分の意思で出たかったという気持ちもあります」

――お芝居は初めてという中で、「ハイティーン・ブギ」の撮影にどのように臨んだのでしょう。

「お芝居の勉強をしながらセリフを覚えて撮影していました。撮影が終わると演劇の先生のところに行って、次の日のシーンのリハーサルをしてという毎日。ミュージカルのようなシーンもありましたが、ずっとバレエを習っていたので、踊りはできました」

――スターになって、周りの環境が一気に変わったのでは?

「そうですね。一気に忙しくなって、1人で街を歩いたり電車に乗ったりすることができなくなって、学校さえも行けなくなりました。戸惑っている暇もありませんでした」

――歌手としても「噂になってもいい」「シャワーホリデー」といったヒット曲を出しています。アイドルバラエティー「ヤンヤン歌うスタジオ」(テレ東)や、多くの歌番組に出演していた頃のことを振り返って、今思うことは?

「とにかく若かったので、歌番組に出る際も、何も考えていなかったというか、特に緊張していなかったように思います。実は歌のお仕事は、そんなに好きではなかったんですよ。ボーカルレッスンに通いましたが、ちょっと通ったところで急に上手くなるわけではないので…。コンサートなど、アイドルがやることも一応経験しましたが、ずっとお芝居とモデル業が好きでした。当時は忙しすぎて寝る時間もありませんでしたし、いろいろ考える時間もなかったんですよね」

――空前のアイドルブーム、歌番組も多くて大変でしたよね…。お仕事に対するプロ意識が芽生えてきたのはいつ頃でしょう。

「映画でデビューしたこともあり、自分では女優をやっていこうと思っていました。『ハイティーン・ブギ』が公開された時、マネージャーさんと一緒に映画館に観に行ったんです。当時の映画館は立ち見もあり、本当にたくさんの方が観てくださっていました。
大きなスクリーンに自分の顔がアップになった時、鳥肌が立つ感覚というか、『このアップをみんなが見ているんだ』と感じて感動を覚えました。その時『この仕事をずっとやっていきたい。私はずっと映る人間でありたい』という気持ちが芽生えました」

武田久美子後編▲シングルマザーとして育て上げた一人娘のソフィアさんは、米・メディカルスクールに進学。武田久美子Instagramより

試練のアイドル時代を経て「自分らしさ」を表現できるように


――アイドル当時、過酷だった、または印象的だったお仕事はありますか?

「過酷だったのは、歌を出して2年ぐらい経った頃。そんなに歌も売れていないのに、毎週末やっていた営業ですね。土日は地方を回り、1日3ステージこなすこともありましたが、とにかく営業が苦手で、日本全国、毎週いろいろな場所に連れていかれるので、そのうち自分がどこにいるかも分からなくなってくるんですよ(笑)。北海道から沖縄まで、どこに何回行ったかも覚えていないぐらい」

――当時はアイドルの皆さんも、デパートの屋上などでミニコンサートをやって、握手会をして…と、ファンとの交流がありましたよね。

「懐かしいですね。特に印象に残っているのが、ムツゴロウ動物王国での営業です。帰りの飛行機が飛ばなくなり、足止めを食らって、空港の前にあるビジネスホテルに3日間缶詰め状態になったことがありました。夏だったのでとても暑くて、扇風機を回しっぱなしで寝たら、朝、体が動かなくなってしまって…。あの時のことは、忘れられないですね」

――決して華やかなだけではない、舞台裏では大きなご苦労があったんですね。そんなアイドル時代を経て、写真集を中心にビジュアル路線に進んだのは、武田さんの意思だったのでしょうか。

「勝手にそうなっていったという感じです。なぜか写真集などの紙関係は評判が良くて、結構売れていたんですよ。最初の頃はドレスを着て、タンクトップ姿すらない写真集もありました。そこからタンクトップになって、次は水着も何点か混ざるというように段階を踏んで、“私ほどちょっとずつ露出を増やしていった人間はいないんじゃないかな?”と思います(笑)。
肩ひもを片方落とす、次は両方の肩ひもを落とす、次は脱いだ状態で後姿…しっかりと段階を踏んで、いきなりヌードになったわけではなかったので、自分の中ではあまり抵抗がありませんでした。写真集をつくる方も見る方もどんどん欲が出てきてしまい、20代に入るとより露出が求められる…そういうことなのかなと思います」

――スタイルが変わらないようにストイックな生活を心がけたり、渡米されるにあたって英語を身に付けたりと、武田さんは“目標に対して努力を惜しまない方”という印象です。

「目標というか、『変わりたくない』という信念なんですよ。英語も最初は大変でしたけど、覚えてしまえば…でもまだまだ勉強、永遠に勉強です(笑)。
見た目は、あと2年も経てばきっと老けるでしょう。でも、また違う魅力を持った、生き生きとした自分でいられたらいいなと思っています」

――今後楽しみにしていることはありますか?

「娘はまだどの科に進むかは分かりませんが、きっと医師になると思うので、それも楽しみです。いつの日か娘が結婚をして孫ができたら、しっかり孫の面倒が見られる自分でもありたいです。この先、楽しいことがいっぱいあると思うので、体を壊さず、身の軽い自分でいたいですね」

武田久美子後編
【武田久美子 プロフィール】
愛知県生まれ。’82年に映画『ハイティーン・ブギ』で女優デビュー。歌手としても活躍しながら、数々の写真集を発表し大ヒットを記録。’99年にアメリカに移住し、現在はサンディエゴ在住。美のカリスマとして、女性たちからの支持も集めている。

(取材・文/伊沢晶子)
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