「強くなりたい」。その思いが生きる日々を輝かせるのだと思います。
スポーツ界で、芸術の世界で、さらには料理やビジネスの世界で。今、新しいステージへ挑戦し続ける人がいます。この番組では卓越した才能と努力で、常識を覆す彼ら彼女らの"運命の日"までを濃密に取材します。ウェブでは放送内容をさらにお楽しみいただけるよう、ゲスト達のさらなる素顔に追っていきます。
今回は、2012年になんと50歳で競輪選手デビューを果たした高松美代子さん。2017年3月の引退まで、最年長のガールズケイリン選手として競輪界で大活躍されてきました。プロ入りされる前は、小学校の先生をしていたという彼女。自転車競技の世界に魅せられていった理由と、引退後の今の思いを探ります。
<7月2日のゲスト>
高松美代子さん/一般社団法人 日本競輪選手会 ガールズケイリンサポートスタッフ・元ガールズケイリン選手
1962年生まれ。2011年、日本競輪学校の第102回試験に合格し、ガールズケイリン選手の第1期生になる。2012年7月にデビュー。2017年3 月に54歳で現役を引退。現在は選手の指導・育成を行っている。
将来の夢はCA。そして水泳に熱中した少女時代。

ご自宅のリビングでウェブのインタビューに応じて下さった高松さん。その背後には、ロードレース用の自転車が置かれていました。自転車は、今や高松さんの人生を語る上で必不可欠なものですが、実は本格的に始めたのは30代後半から。少女時代は水泳に親しみ、さらに将来の目標はCAになることだったと言います。
高松:ちょうど小学生の頃に、主人公がCAになるまでの姿を描く『アテンションプリーズ』というドラマが流行りまして、私も「将来は絶対にこの仕事に就きたい!」と、憧れてしまったんですね(笑)。そして同じぐらいの時期に、両親の勧めで水泳も始めました。通っていたのは浜寺水練学校という、地元の大阪では有名な水泳教室です。競泳だけではなくてシンクロナイズドスイミングや水球なども学べて、そこを卒業してからは「先生」として下級生達の指導者的役割も、担いながら、自分達の専門競技の練習に励むんです。私は日本泳法の選手でした。高校1年の時にはシニアの部に入り、全国大会で2位になったのが最高順位でしたね。
トライアスロンから自転車競技、そして競輪へ。
「私、場違いかも?」

しかし水泳はあくまでも趣味で、将来の夢はCAと、目標を思い定めていた高松さん。夢を叶えるために短大に進学して採用試験を受けますが、残念ながらご縁はいただけなかったのだそう。そこで母校に就職し、水泳指導をしながら、小学校の教員免許を取得。結婚してからは出産・育児に専念しましたが、子育てから少し手が離れてから、また教員を始めました。そんな"高松先生"が、トライアスロンの世界に足を踏み入れたのは37歳の時でした。
高松:学生時代にTVで試合を見て漠然とした憧れはあったのですが、30代後半で改めて挑戦したい意欲が沸き上がってきたんです。水泳はともかく、ランニングは娘と一緒に川沿いを走るところから、自転車は「ママチャリは乗れるから競技用もいけるかな?」レベルのスタートでした。慣れてからは、水泳、ランニング、自転車と単発のレースにも挑戦し......。ある事実に気付いたんです。自転車なら、ちょっとがんばれば入賞できることに。と言っても、水泳やランニングよりも競技の参加者自体が少なすぎたんですよね(笑)。でもやっぱり、表彰台に登れるって気持ちいいものです。その他大勢よりも絶対に気持ちいい。「もっと強くなりたい!」と、あらゆる大会に参加し、トレーニングをがんばるうちに、最後のゴールスプリントでトップ集団の中から優勝まで持ち込めないのが歯がゆくなってきました。そんな時に、競技仲間から「競輪場の愛好会に参加してみたら?」とアドバイスをいただいて、なるほど、と。行ってみたら周りは高校生ぐらいの男性ばかり。「私、なんか間違えた?」って感じで(笑)。2回目に競輪場に行った日のことです。この日は愛好会の開始時間を間違えて、場内で呆然と立ち尽くしてしまいました。そこで声をかけて下さった方が、私の最初の師匠です。プロ選手だった師匠のトレーニングを受けるようになってからは、出る大会、出る大会、全て優勝しました!
そんな折、競輪の世界では、女子選手のレースが復活・新たなプロスポーツであるガールズケイリンとして誕生する流れが起きていました。第1期の選手養成の募集に高松さんは応募し、見事に合格します。
高松:私としては「自転車のメンテナンスを教えてもらえるのかな~?」「ならばレースでより強くなれる」ぐらいの目標で入学したんですけど、違いましたね(笑)。でも、楽しかったんです。競輪学校って、軍隊みたいな規律の厳しい場だったんですけど、水泳教室でも同じようなことをやっていたので、私には懐かしく感じられました。「右向け右!」、「左向け左!」とか、何だか昔に戻った感じで(笑)。2012年に最年長デビューしてからは、順位はもちろん、お客さんに「高松がんばってるな!」と思っていただくことを目指して、約5年間走り続けました。
「負けそう」だと思った時点で負け。必ず勝つためにやっていたこと

普通の妻、普通の母、普通の教師、普通のスポーツ愛好家だった高松さんが、思わぬことから登り詰めていった、トップアスリートの世界。デビューから半年弱の2012年12月27日に、高松競輪場でやっと初勝利をあげることができました。試合の度に綴っていたノートからも、勝利への気迫を伺い知る事が出来ます。
高松:自分が出場する試合の出走表をノートに貼り、試合の結果と反省点、モチベーションを上げる言葉まで、書き溜めていました。「悔しい!」とかの凄まじい本音も書いてあるので、恥ずかしくて中はお見せできません(笑)。プロの競輪選手は行動、言動の全てが周りのお手本となる存在ですから、毎回、試合には必ず勝つと信じて臨んでいました。人間、「負けそう」と思った時点で、もう負けていますからね。私の場合はジンクスが実行できなくて弱気になるのが嫌で、勝利のためのジンクスも作らなかったぐらい。ノートに書き込む作業が、私が絶対に負けない、より強くなるための支えとなってくれていたんです。
強く輝いて生きるためにも、常に目標を持ち続けていたい

プロ選手としてのさらなる矜持、引退に至るまでや今後の思いは、ぜひ7月2日の放送も重ねてご覧下さい! そして今回のインタビュー。たくさんの"運命の日々"を駆け抜けてきた高松さんの口から頻繁に出たのは「強くなりたい」というフレーズでした。
高松:そうですね。私、ずっと「強くなりたい」と思っています! 強くなる=自分の人生を輝かせることだと思いますし、輝いて生きていくためにも、常に目標を持ち続けていたいですね。現役引退後の今は、今の目標があります。まずはこれまで無縁だったPC操作に強くなることと(笑)、選手達の育成です。プロに必要なものは、人の話を聞ける素直な心、自分を高めるために工夫する心、そして何よりも、目標に向かって「なにくそ!」とがんばれる向上心。向上心をバネに輝ける人は、自分だけではなく周りにも夢を与えることができる。そして、人生のどんな場所でも、もっと強い人になっていけると信じています。
【番組概要】
番組名:「運命の日 ~ニッポンの挑戦者たち~」
放送局: BSジャパン BS7ch 全国無料放送
放送日時: 毎週日曜 夜10時放送
ナビゲーター: 小泉孝太郎
番組公式HP: http://www.bs-j.co.jp/official/unmeinohi/