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【配信終了日:4月9日(火)】動画はこちら
4月1日(月)に放送した「家、ついて行ってイイですか?(明け方)」(毎週月曜深夜3時55分)では、新橋で出会ったバーボンなつきさんのおうちにお邪魔しました。
なつきさんのお仕事はグルメライター。お酒が大好きで一時期バーボンばかり飲んでいたため、ライターを始めたとき"バーボンなつき"という名前を作ったそう。もともとは板前志望で、和食料理店で長年働いていました。
お部屋は1DKでスッキリ! 「化粧する時間があれば寝ていたい」と話すなつきさんですが、普段のお洋服も、快適さを求めてスカートよりパンツ派。さらに、スタンガンや警棒も常備し、いつ何があっても自分の身を守れるように備えてありました。
また、お部屋のあちこちに湿度計が置いてあります。狭い範囲でも場所によっては湿度が変わってくるのだといいます。
なつきさんが仕事で書いている記事は、料理の方法やおすすめの商品、そしてなつきさん自身が「とにかくオススメしたい!」と思えるものなど、食に関わるものすべてが対象。
「角煮 パサパサ 圧力鍋」でグーグル検索すると、なつきさんが手がけたウェブ記事が出てきます。角煮を柔らかくトロトロに作るための工程が書かれたもので、元料理人志望のなつきさんだからこそ知っているレシピをわかりやすく記載。ぜひ探してみてくださいね!
フードライターのお仕事でもらえるギャランティは5〜10万円ほど。コンサルティングや人材派遣のお仕事もしながら生活を送っているようです。「普通のOLさんよりは稼いでいる」とのことですが、貯金はナシ。宵越しの金は持たない主義だそう。
今度は台所を拝見。一人暮らしにしては大きなサイズの冷蔵庫が気になります。冷凍庫には大きな牛骨が! これでスープを作りカレーなどに使うと、とても美味しいと話します。さらに、普通はあまり見かけない鶏ガラもありました。和食屋時代、板長に怒られながら鶏ガラの仕込みを覚えたそう。
料理が好きになったきっかけは、「母が作る料理が美味しかったから興味を持った」とのこと。料理の手伝いをさせてもらうときは、「包丁が上達しないからピーラーは使うな」と言われていたそうで、小学生で料理の本を欲しがるほどハマってしまったといいます。
「料理の道に進もう」と決め、高校卒業までファミレスの厨房でアルバイト。並行して和食屋でも3年ほど働いていたといいます。しかし、料理人の夢は17歳で諦めていたと話すなつきさん。
実は、生まれつき、掌蹠角化症という病気を患っていたのです。皮膚に水分をとどめておくことができず分厚くなってしまうとても珍しい病気で、乾燥は大敵。お部屋に湿度計があったのもそれが理由でした。お世話になった板長や両親に反対され、それに納得して夢を諦めたといいます。
ボトルの蓋を回せずに開けることが難しかったり、お菓子やおつりをもらう時、手の平を出すのが嫌だったりと、何かと弊害が多いよう。「スカートよりもパンツが楽」と話していましたが、そこには「スカートを履くとき、ストッキングが足の乾燥で伝染しやすいから」という理由が隠されていました。
小学生時代は「汚い」「うつる」など言われ、イジメを多く受けたといいます。運動会のフォークダンスではなつきさんと手を繋ぎたくないという生徒のせいで練習がストップしてしまい、先生に「手袋をして運動会に出ろ」と言われたことも。
「嫌いな人に嫌いと思われても全然構わない!」という気持ちでいると楽になったそうで、高校に入ってから、なつきさんをいじめる人はいなくなりました。男友達の方が、病気の話に触れてこないといいます。
病院に行っても治ることがないなつきさんの病。なつきさんは、「病気を治す」というよりも「受け入れる」という考え方に変わってきたといい、病院へ行くことはなくなったそう。
料理人という夢は叶いませんでしたが、どうしても食に関わる仕事に就きたいという思いで、栄養士の道を考えたことがあると話します。しかし、栄養士になるための専門学校の説明会で病気のことを相談した際、皮膚の病気を持っている人が入学した実例がなく、「就職できるかどうかわからない」と言われてしまったそう。学費を出してくれる親に申し訳ないという気持ちで、その夢も絶たれてしまいました。
「1人で生き抜くためには...」と考え、今度は、どんな仕事でも使うパソコンの技術を学ぶために情報系の学校へ進学。SEとして就職したものの、夢を諦めきれず、飲食店の本部へ再就職。今は「本当に美味しいものを万人に伝えること」を仕事にしているなつきさん。料理人になることはできませんでしたが、料理のおいしさ・楽しさを広めるという新しい夢をつかんで歩き出しました。
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