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園田マイコ、離婚後すぐに乳がんが発覚。”弱り目に祟り目”を乗り越えて、いま──

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テレ東プラス

2020.3.19

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国立がん研究センター(※)によると、生涯に「乳がん」を患う日本人女性は11人に1人。胃がんや大腸がん、肺がんなどに比べると罹患年齢が若く、データによると20代後半から一気に罹患者が増加傾向をみせている。しかも、この病気は女性だけのものでなく、男性でも罹患するというのだから、身近な人が乳がん経験者だったとしても不思議ではない。

※国立がん研究センターがん対策情報センター「がん情報サービス」最新がん統計(2018年9月15日)

その乳がんがファッションショーやファッション誌で活躍していた、モデル・園田マイコの身体を蝕んだ。それは離婚して間もない2008年、シングルマザーとして頑張ろうという矢先のことである。

今回は壮絶な闘病とモデルとしての生き方、そこから見えてきた人生観を伺いながら、今一度乳がんについて学んでみたい。

突然のがん宣告! その時、どうなる


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──医者に乳がんだと告げられたときは、「まさか自分が」という思いがあったと思います。最初はご自分で気づいたのでしょうか。

園田:そうですね、お風呂に入っている時に左胸に小さなしこりを見つけて。一瞬嫌な不安がよぎりました。私は母が乳がんで闘病していたので、しこりを発見した時は顔が青ざめましたね。「嘘でしょ~!?」って。その後はお風呂にゆっくり浸かるどころではなくなって、不安のあまり心臓はドキドキ。今すぐにも乳がん検診を受けたいと思いました。

──最初は良性診断だったそうですね。しかし、結果は「乳がん」。"その時"はどんな状況になるものでしょうか。

園田:この病気に関して私は3つの病院にかかっているのですが、最初の病院の初診では「95%は良性でしょう」と言われたんです。もう不安で不安で仕方なかっただけに、その言葉を聞いた時はものすごく嬉しくて。「あぁよかった、まだ元気で生きられる」と思いましたね。

その一週間後に検査結果を聞きに行き、宣告された瞬間は今でも忘れられません。初診で安堵していたので、ほぼがんではないだろうと安心しきっていました。なのに、医師が告げたのは「悪性です。乳がんです」と。一瞬、まわりの音が聞こえないぐらいに硬直し、医師の話がまったく入ってこないほど、頭の中は真っ白。表面的には冷静を取り繕っていたかも知れませんが、心の中はものすごい動揺してしまって、その後どのように会計して病院を出たのか、おぼろげな記憶しかありません。そして乳がんを告げられたと同時に、全摘出手術を勧められました。

「全摘出!?......そしたらモデルの仕事はどうなるの?」

その時、私は離婚してシングルマザーとして頑張っていこうという時期でしたので、まだ中学生だった息子を育てていかなければなりません。仕事、子育て、そしてがん......とにかくいろんなことが一気に押し寄せてきて、病院を出てすぐのところにあったベンチにヨロヨロと辿り着くと、人目もはばからず号泣してしまいました。自分でもどれくらい泣いたのか覚えていません。

自分ががんだと知った息子。「この子のために死ねない!」


普段は冷静で穏やかな彼女からは、号泣する姿など想像ができない。まさしく人生のどん底へと突き落とされてしまった園田さん。この状況から、人はどうしたら"闘病"──闘うファイトが湧いてくるのだろうか。

──息子さんもまだ思春期真っ只中の中学生。「育てていかなければいけない」という強さが蘇ったのは、どんなことがきっかけでしたか?

園田:とりあえずひとしきり泣き、少し心が落ち着いてから、まず元夫に電話をしました。病院で受診することは予め伝えていたので、私の診断結果に対し静かに受け止めてくれました。

ありがたかったのは、その元夫が息子に私の病気の話を冷静に伝えていてくれたことです。帰宅後、意を決して息子に話そうとすると、息子の方から「ママ、サポートするから大丈夫だよ」と言って抱きしめてくれました。もう驚きと共に嬉しくて嬉しくて。

息子は中学2年生でちょうど反抗期。年頃の男の子を持つ方ならおわかりだと思うのですが、コミュニケーションをとるのも難しい時期だったんです。その息子にこんな優しさを見せてもらえたことは、怪我の功名だったかもしれません。その瞬間に「この子のために死ねない!」という強い思いが芽生えました。

頭を丸坊主にして、がんとの闘いに勝つ決意!


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著書『モデル、40歳。乳がん1年生』(KKベストセラーズ)の表紙で、園田さんはインパクトのある丸坊主頭を披露している。

──モデルという"美"の仕事をしていたマイコさんにとって、髪をすべて剃ってしまうということは、かなりの覚悟が必要だったと思うのですが。

園田:それはもう、本当にその通りで。宣告された直後は「私、死んじゃうのかな」という不安と恐怖に襲われましたが、抗がん剤治療をはじめるにあたっての一番の心配は、見た目に対する恐怖でした。

母も乳がんで抗がん剤治療をしていたんですが、その副作用で脱毛したりゲッソリと痩せてしまったりと、見た目もかなり変わって。「私もそうなるんだ」と思うと、モデルとしての仕事に迷惑をかけてしまうこと、さらには仕事が減ってしまうこと、収入が減ることで子どもを育てていけるのかという将来に対する不安などがありました。

しかし、病気になってしまったものは仕方がありません。どこかで覚悟して、「まずは一生懸命病気と闘おう!」という気になり、「さぁ、坊主にしてちょうだい!」と病院の理容室に行きました。理容師さんから「お! 似合うね!」なんて言われて、気分はよかったです(笑)。

──闘病したのは3つ目に受診した病院でしたね。抗がん剤治療はいかがでしたか?

園田:最終的に私は聖路加国際病院で治療しました。左胸の2cmの乳がんは乳房温存手術で行うこととなり、その後は抗がん剤、放射線、ホルモン療法、分子標的治療薬などを行いました。

抗がん剤の副作用には、脱毛、吐き気、味覚障害、便秘などがありました。1回目が一番辛かったです。その症状がよくなったかと思えば、また強く出たりと繰り返し繰り返しやってくる。そのたびに「まだ頑張れる」と思ったり、「もう頑張れない」と思ったり。でも、2回目、3回目ともなると、「何日目でこういう症状が現れるんだよな」なんてわかってきたりして、ある程度自分の中でも心構えができるようになっていくんです。

また、先生が吐き気をコントロールしてくれていたおかげで、母が抗がん剤治療で辛そうにしていた様子を思えば、それほどではなかったんじゃないかと思います。「医学って、ものすごい速さで進歩しているんだな」と思わされました。

そんな辛いがん治療を一旦乗り越え、「卒業」という日を迎えることができた園田さん。乳がん手術を受けたあの日から今年で11年。一時は全摘出を提案されたものの、モデルという仕事のことも頭をかすめ乳房温存を選択した彼女。主治医からは、温存でも全摘出でもリスクは変わらないという診断があったことも後押しとなった。その甲斐あり、今もこうしてモデルとして活躍することができ、しかも新しい活躍の場も得ることとなったようだ。

「乳がんに負けないで」、力強くエールを送る女性の味方として


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園田さんは現在、モデルの仕事をする傍ら、乳がん啓発のピンクリボンをはじめとする活動にも積極的に取り組み、自らの体験談を踏まえ側面でサポートしている。その活動内容について訊いてみた。

──乳がんに関する活動は、啓蒙のための講演だけではないと伺いました。他にはどんなことをされていらっしゃるのでしょうか。

園田:乳がんの治療を卒業してしばらくは、ピンクリボンでの啓蒙活動をはじめ、講演会に呼んでいただいて体験談をお話しすることも多かったですね。ただ、ここ数年は乳がんで闘病中の患者さんと共にファッションショーに参加するなど、活動領域も広がっています。

先ほどお話ししたように、抗がん剤治療では脱毛をはじめ"見た目の変化"があります。そんな姿を鏡で見てがっかりしない女性はいませんよね? 弱気になっては闘えませんので、少しでも元気な気持ちになってほしいと私も参加させていただいているのが、病院の乳腺科の先生が始めたファッションショー。乳がん治療中の方、これから治療をはじめる方が出演し、ステキな衣装を身に纏ってランウェイを歩きます。

「ファッションショーなんて自分には無縁」と思って最初は尻込みしている方でも、いざスポットライトを浴びてランウェイに立つと、もうキラッキラ輝くんです。塞いでいた気持ちも一瞬にしてパァーッと晴れるんでしょう。皆さん本当に満面の笑顔になる。ショーが終わった後は、みんな「やり遂げた!」という感動で涙が出たりして、本当に素晴らしい企画だと思っています。

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がん患者というと、どこか他人事のような気持ちがある。いや、がんとは無縁でありたいと願うからこそ、自分とは関係のないことと思いたい。

しかし、生涯に乳がんを患う日本人女性は11人に1人といわれ、日本人の死因の第1位は男女共にがんである。必要以上に怖がる必要はないが、身近に潜む病気だからこそ、がんを患った人への理解と互助が必要だろう。この記事が早期発見へとつながる受診、日ごろの生活などを見直すきっかけになってもらえたらと思う。

【プロフィール】
園田マイコ/Maiko Sonoda
1969年生 東京都出身。高校卒業後よりモデルとして活躍。39歳の時に乳がんと診断され、温存手術を受ける。その経験をもとに『モデル、40歳。乳がん1年生。』(ベストセラーズ)を執筆した他、ピンクリボン運動の講演活動なども精力的に行っている。

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