【64年ぶりに姉妹が再会】日系移民が故郷ニッポンで生き別れた家族を捜索:世界!ニッポン行きたい人応援団
ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜夜8時54分)。
今回は、生き別れた日系移民の家族が祖国ニッポンで再会する「ニッポン里帰り応援団」をお届けします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
紹介するのは、アルゼンチン在住の髙松ふみ子さん、イズミさん親子。
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ふみ子さんの生まれ故郷は、熊本県大津町。1962年、新天地で農園を持つ夢を抱いた父・半次郎さんに連れられ、弟の康三さんと一緒に12歳でアルゼンチンに移民。
当時、神戸の港からアルゼンチンまでは船で1カ月半。寂しさを必死にこらえ、やっとの思いで着いた先は“緑の地獄”といわれた過酷なジャングル。電気も水道もなく、生きるのにやっとの毎日…ふみ子さんは家計を助けるため、10代から家業のタバコ栽培を手伝います。
その後、17歳で親元を離れて出稼ぎに。19歳の時にアルゼンチン人の夫と結婚し、2人の子宝に恵まれるも離婚。以来、女手一つで2人の子どもを立派に育て上げました。
日本人であることを片時も忘れず、アルゼンチンで生きてきたふみ子さん。
いつの日か故郷の熊本に行くための資金になればと、76歳になった今も自宅でマッサージの仕事をしていますが、料金は1時間で1800円ほど。貯金に回す余裕はほとんどありません。
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そんなふみ子さんには、ニッポンにどうしても帰りたい理由がありました。
ふみ子さんは、7人兄弟の下から2番目。すでに社会人だった上の兄弟たちはニッポンに残ったため、64年前に生き別れに。
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一番上の兄と2人の姉は他界したそうですが、生きていれば現在83歳の兄・昭光さんと、80歳の姉・ミツ子さんに、元気なうちに一目会いたいと願っています。
50年以上前に届いたミツ子さんの手紙から、当時広島にいたことは分かっていますが、これを最後に音信は途絶えたまま。昭光さんは64年間一度も連絡を取れておらず、どこに住んでいるのかも分かりません。
そんなふみ子さんを、ニッポンにご招待! 64年ぶりの故郷にやってきました。
高齢のふみ子さんに付き添うため、長女のイズミさんも初来日。
向かったのは、東京・渋谷。現在の忠犬ハチ公の銅像は、ふみ子さんが生まれた頃に建てられ、幼心にずっと見たかったそう。さらに、満開の桜が咲き誇る藏前神社へ。
故郷の春をしっかり心に刻み、生き別れた兄と姉に会えるよう祈ります。
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そしていよいよ、64年間音信不通の兄・昭光さんの消息をたどるため、熊本へ。
空港を出たふみ子さんは、「私の生まれた土地!」と感動。早速、生まれ故郷の大津町に向かいます。
今回は、生き別れた日系移民の家族が祖国ニッポンで再会する「ニッポン里帰り応援団」をお届けします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
生まれ故郷の熊本で音信不通の兄を捜索
紹介するのは、アルゼンチン在住の髙松ふみ子さん、イズミさん親子。

ふみ子さんの生まれ故郷は、熊本県大津町。1962年、新天地で農園を持つ夢を抱いた父・半次郎さんに連れられ、弟の康三さんと一緒に12歳でアルゼンチンに移民。
当時、神戸の港からアルゼンチンまでは船で1カ月半。寂しさを必死にこらえ、やっとの思いで着いた先は“緑の地獄”といわれた過酷なジャングル。電気も水道もなく、生きるのにやっとの毎日…ふみ子さんは家計を助けるため、10代から家業のタバコ栽培を手伝います。
その後、17歳で親元を離れて出稼ぎに。19歳の時にアルゼンチン人の夫と結婚し、2人の子宝に恵まれるも離婚。以来、女手一つで2人の子どもを立派に育て上げました。
日本人であることを片時も忘れず、アルゼンチンで生きてきたふみ子さん。
いつの日か故郷の熊本に行くための資金になればと、76歳になった今も自宅でマッサージの仕事をしていますが、料金は1時間で1800円ほど。貯金に回す余裕はほとんどありません。

そんなふみ子さんには、ニッポンにどうしても帰りたい理由がありました。
ふみ子さんは、7人兄弟の下から2番目。すでに社会人だった上の兄弟たちはニッポンに残ったため、64年前に生き別れに。

一番上の兄と2人の姉は他界したそうですが、生きていれば現在83歳の兄・昭光さんと、80歳の姉・ミツ子さんに、元気なうちに一目会いたいと願っています。
50年以上前に届いたミツ子さんの手紙から、当時広島にいたことは分かっていますが、これを最後に音信は途絶えたまま。昭光さんは64年間一度も連絡を取れておらず、どこに住んでいるのかも分かりません。
そんなふみ子さんを、ニッポンにご招待! 64年ぶりの故郷にやってきました。
高齢のふみ子さんに付き添うため、長女のイズミさんも初来日。
向かったのは、東京・渋谷。現在の忠犬ハチ公の銅像は、ふみ子さんが生まれた頃に建てられ、幼心にずっと見たかったそう。さらに、満開の桜が咲き誇る藏前神社へ。
故郷の春をしっかり心に刻み、生き別れた兄と姉に会えるよう祈ります。

そしていよいよ、64年間音信不通の兄・昭光さんの消息をたどるため、熊本へ。
空港を出たふみ子さんは、「私の生まれた土地!」と感動。早速、生まれ故郷の大津町に向かいます。
タクシーの運転手さんの計らいで、ニッポンにいた頃を少しでも思い出せるようにと立ち寄ったのは、肥後大津駅。64年前、小学校の恩師や親友たちに見送られた思い出の場所です。
しかし、周辺は当時と風景も変わり「街になってしまって分かりません」とふみ子さん。
かつては田んぼや畑が多くありましたが、大企業の工場が進出して目覚ましい発展を遂げ、すっかり様変わり。それでも、ふみ子さんが家族と暮らしていた新小屋地区は、昔の面影がそこかしこに残っていました。

ここで出会ったのが、ふみ子さんの父親を覚えているという岩田二生さん。ところが、昭光さんは当時すでに社会人で、別の場所に働きに出ていたため、新小屋ではあまり見かけなかったそう。
岩田さんはせっかく来てくれたからと、ふみ子さんの実家に案内してくれました。
12歳まで家族と過ごした場所には、すでに新しい住人が。兄・昭光さんの行方は掴めなかったものの、一家の記憶が残る町に里帰りすることができました。
続いて訪れたのは「大津町歴史文化伝承館」。昭光さんと同世代の方がいそうということで、大津町を長年担当するベテラン運転手・倉掛博子さんが案内してくれました。
館内には、肥後大津民芸造花保存会の皆さんが。ぜひ力になりたいということで、昭光さんの写真を見てもらいますが、手がかりは得られず。
捜索の励みになればと、大津町の伝統工芸である梅の造花をいただきました。

ここで、ふみ子さんが小学校時代の写真を見せてくれました。そこには、姉妹のように仲が良く、家族ぐるみで付き合いがあったという、親友・府内ちずるさんの姿が。
そこで、兄・昭光さんの行方を知っているかもしれないと、まずはちずるさんを探すことに。
倉掛さんに地元の方がよく集まる精肉店を紹介してもらい、聞き込みをすると、お店の方から、中心部の高尾野に府内姓と古庄姓が多いとの情報が。早速、高尾野方面へ向かいます。
倉掛さんの案内で、大津町に詳しいさつま芋農家の古庄律雄さんに事情をお話すると、古庄さんは、ちずるさんと同じ名字の知り合い、府内榮喜さんに連絡。電話で榮喜さんに聞いてみると……なんと、榮喜さんの妹が「府内ちずる」さんだと判明!
その後、すぐにちずるさん本人から電話があり、「私、ふみ子、覚えていますか?」と伝えると、「覚えている、覚えている」とちずるさん。事情を説明し、後日直接会えることに!

翌日、親友・加藤ちずるさん(旧姓・府内)のご自宅へ。お互い顔を合わせると、「60何年ぶりとは思えないね」とちずるさん。
ふみ子さんが取り出したのは、小学4年生の時に2人の母校・大津小学校高尾野分校で撮られた集合写真。
「同級生誰もこんな写真持っていないと思う、あなただけよ」と話すちずるさんに、「宝物だよ」とふみ子さん。アルゼンチンでの過酷な暮らしの中で、故郷の親友との思い出が心の支えになったのです。
旧交を温めたところで、兄・昭光さんの行方について尋ねますが、残念ながら「分からない」とのこと。しかし、ふみ子さんの祖母・スマさんの親戚にあたる大田黒さんの住所なら分かるそう! 同じ町内に住んでいる親戚なら、昭光さんの行方を知っているかもしれません。
大田黒さんの元へ向かう前に、別れを惜しむちずるさんとふみ子さん。イズミさんが「時間が経っても、母と友人でいてくれて本当に感謝します」と伝えると、「お願いね、お母さんのこと」とちずるさん。「本当に元気でいてよ~」と、ふみ子さんとハグを交わしました。

そして、ちずるさんの親戚・大田黒さんが住む吹田地区へ。対応してくれたのは、大田黒昭憲さん。ふみ子さんの祖母・スマさんがいた大田黒家の血筋を受け継ぐ遠い親戚です。
大田黒さんは、アルゼンチンに渡ったふみ子さんたちのことを、親戚の集まりなどで聞いていました。
「親戚の方が見つかるなんて、夢のようです」と感動するイズミさん。大田黒さんも「ずっと連絡を取りたいと思っていたのでが、本人がいらっしゃるとは思わなかった」と驚いた様子。
実は昭憲さんには、髙松家の人と連絡を取りたいと思った理由がありました。
案内してくれたのは、地域で管理している共同納骨堂。髙松家代々の先祖がここに眠る中、兄・昭光さんの名前も。昭光さんは5年前、病気で他界していました。

「お兄さん、来るのが遅くなってごめんなさい」(ふみ子さん)。
64年前、アルゼンチンに旅立つ妹を心配し、神戸まで見送りに来てくれた最愛の兄……。
生きて会うことは叶いませんでしたが、墓前で手を合わせることができました。
その後、再び結ばれた親戚との絆に感謝を込め、大田黒家の仏前にも手を合わせます。
「(父母が早くに亡くなり)、髙松さんとの関係自体もあまり詳しく聞いていなかったので、ご本人に会えたのも奇跡に近い。本当に嬉しいです」(昭憲さん)。
50年前の手紙を頼りに広島へ…ついに果たした最愛の姉との再会

64年ぶりの故郷ニッポンで、ふみ子さんにはもう一つ果たしたい夢が。それは、64年前に生き別れた姉・ミツ子さんとの再会です。
50年以上前に届いたミツ子さんの最後の手紙を頼りに、広島・広島市へ。
その手紙には、結婚して延原という姓になったことと広島市内の住所が書かれていました。さらに、住んでいるビルの前で撮った写真も。
しかし、地図を頼りにそのビルを探すと……写真にあったビルは面影もなく、新しいマンションが建っていました。ミツ子さんの足取りはここで途絶え、捜索は振り出しに。
早速、付近の方に聞き込みをすると、昔のことに詳しいという方が。手紙の住所と名前を確認してもらうと、「昔のビルで、延原さんという方が居られた」とのこと。さらに数十年前、隣町の戸坂地区に引っ越したとの情報が!
早速、戸坂地区へ。老舗のお好み焼き店で聞き込みをするものの、「私たちもここへきてまだ40年だから」と、昔のことは分からないそう。
すると、気の毒に思った女将さんが、元気を出してほしいとお好み焼きを焼いてくれました。豚肉やエビ、イカをふんだんに使ったお好み焼きの美味しさに、2人は感動!
「心が入っているから美味しいんです」とふみ子さん。
イズミさんは、「母の兄はすでに亡くなっていて、姉も聞いていた住所におらず心が折れそうでしたが、広島の皆さんに親切で心のこもった料理で励ましていただき、絶対に諦めたくありません!」と決意を新たに。
捜索2日目。ミツ子さんが住んでいるかもしれない戸坂の街で聞き込みを続けます。
そして夕暮れ時、戸坂で約50年生花店を営む安原千寿子さんにお話を伺うと、近所に工務店を営む延原さんという方が! 果たして、ミツ子さんと関係があるのでしょうか?

翌日、延原さんが経営する工務店を訪れたふみ子さんは、「はじめまして、私は髙松ふみ子です。アルゼンチンから来ました。ミツ子姉ちゃんを探しています」と伝えます。
すると、突然のことに戸惑いながらも「ミツ子は私の妻ですけど」と延原さん。
さらに、50年以上前の手紙に書いてあった住所を確認してもらうと、「ここに住んでいたことがあります」(延原さん)。ミツ子さんが元気で暮らしていることも分かりました。
工務店を経営しているのは、ミツ子さんの夫・延原訓昭さん。ミツ子さんは現在、広島県北東部の庄原市に住んでおり、訓昭さんは会社経営のため、平日は広島市内にいると話します。
ミツ子さんからふみ子さんの話を聞いていたという訓昭さん。イズミさんは「伯父さんにお会いできて光栄です!」と伝え、ふみ子さんも「初めてお会いしたのに、ありがとうございます」と感謝を。住所を教えてもらい、いよいよミツ子さんの元へ!
やってきたのは、広島市内から車で2時間の庄原市。優しく面倒を見てくれた最愛の姉・ミツ子さんはまだ、ふみ子さんが来ていることを知りません。

ミツ子さんのご自宅に到着し、いよいよ16歳と12歳だった姉妹が64年ぶりに再会!
ふみ子さんが「姉ちゃん?」と声をかけると、「分からんよ、全然違うもん」とミツ子さん。「おばあさんじゃけ、ふみ子じゃないよ」と戸惑いながらも、「よく探してくれたね」と喜んでくれました。

ミツ子さんが見せてくれたのは、64年間、肌身離さず持っていた、たった1枚しかない妹の写真。ふみ子さんもアルゼンチンから持ってきた姉の写真を見せると、「私、べっぴん!」とミツ子さん。
明るく振る舞うミツ子さんですが、ふみ子さんがアルゼンチンに渡ってからは親にも頼れず、16歳の時に集団就職で兵庫県の織物工場へ。しかし、工場は倒産。働き口を失い、苦労の絶えない10代を過ごしました。
その後、19歳で夫の訓昭さんと出会い、結婚。3人の子宝に恵まれ、広島市で順風満帆な生活を送ります。
60歳の時、「自給自足の暮らしがしたい」と庄原市に古民家を購入。元々お坊さんが住んでいた住居を改築し、悠々自適な田舎暮らしを送っています。

その後は、ミツ子さんが自分の山で採れたふきのとうで天麩羅を振る舞い、ふみ子さんとイズミさんは、春の旬の味覚に大満足!
そこへ、亡くなった兄・昭光さんの次女・沖土居幸子さんも駆けつけます。
実は昭光さん、ふみ子さんと生き別れた後、広島市に住み、会社を経営。産業用ロボットの技術者として懸命に働き、3人の子どもを立派に育て上げました。
幸子さんによると、昭光さんは生前、アルゼンチンに渡ったふみ子さんのことを家族によく話してくれたそう。さらに、大津町の納骨堂は、バラバラになった家族が最後は一つになれればと、昭光さんが建てたものだと教えてくれました。
「昭光兄さんの子どもまで連れてきてもらって、私、嬉しくてね」とふみ子さん。
64年の時を越え、最愛の兄が残した姪と深い絆を結ぶことができました。

用事がある幸子さんとはお別れし、帰国までの2日間、64年の空白を埋めるべく、姉妹水入らずの時を過ごします。
広島市佐伯区にある、1200年の歴史を持つ湯の山温泉へ。姉妹で初めて湯船につかり「夢みたい」とミツ子さん。温泉の後は、広島名物カキフライやヤマメの塩焼きを堪能しました。
2人で食事を楽しんでいると、他界した12歳上の姉・久江さんの長男・髙松宏志さんが登場するサプライズが! 驚くふみ子さんに、「元気でいてくれてありがとう。こんなところで会えるなんて、びっくりだね」と宏志さん。伯母にあたるふみ子さんに一目会いたいと、東京から駆けつけてくれたのです。
「(ふみ子が)ニッポンに帰ってくれば、みんなで助けてあげられるのにねと、いつも思っていたよね」(ミツ子さん)。宏志さんも交え、ニッポンの家族と幸せな時間を過ごしました。
64年の空白を埋めた抱擁「これから先は幸せだけ!」

こうして迎えた帰国の日。ふみ子さんは「また連絡できるから。今度はもうどこにいるか知っているから……どうもありがとう、姉ちゃん!」と感謝を伝えます。イズミさんも「たった数日でしたが、何年分もの教えをいただいた気がして、家族の絆を感じることができました」と伝えます。
最後にミツ子さんは、手紙を読み上げます。「一人ぼっちになって寂しくなったと思っていた時に、突然現れた妹……。きっと神様がくださったのでしょう。私も一人じゃない、力強く生きられると思う。姉妹の絆を自覚して、大切な日々を送りたいと思っています。本当にありがとう」。
ふみ子さんからは色紙のプレゼントが。そこには、日本語で感謝の気持ちが綴られていました。「とても苦しい人生を耐えてきてくれて、どうもありがとう」と労うふみ子さんに、「ありがとうね、みんな苦しんだからね。でも、今日が幸せだから」と返すミツ子さん。
ふみ子さんは「これから先は幸せだけ!」と伝え、最後は3人でハグを交わしました。
生き別れ、離れ離れになった姉妹が、64年ぶりに結んだ絆――。ニッポンへの念願の里帰りは、涙と笑いに溢れたものになりました。
帰国を前にふみ子さんは、「難しいです、言葉で言うことが…。私たちの兄姉、みんな見つかって、思い出を作っていただいて本当にありがとうございました」と感謝。
イズミさんも「捜索に協力してくださった熊本と広島の皆さんに感謝したいです。ニッポンの皆さんの優しさは、一生忘れません」と語ってくれました。
ふみ子さん、イズミさん、またの来日をお待ちしています!
月曜夜8時54分からは「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送。
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