年商1億円を稼いだ【昭和のネオン職人】妻と息子の死…最後に遺された手紙の言葉:家、ついて行ってイイですか?
9月27日(日)に放送した「家、ついて行ってイイですか?」(毎週日曜夜8時50分)では、広島市で出会った豊さん(82)の家について行きました。
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レトロな横川商店街(広島市)にある立ち食いうどん店「辰屋」へ。取材Dがうどんを堪能していると、お店の常連・豊さんと意気投合! この日はお盆で長女が帰省するそうで「家、ついて行ってイイですか?」と聞くと、「別に構わない」とのこと。ありがとうございます!

「妻は死に、子どもはそれぞれ家を出て、長男も次男も会社を継いでくれている。自分は電話番」と話す豊さん。息子さんたちと会社を経営しています。
談笑しながら歩いていると、築53年・5LDKのお家に到着!
豊さんは、昭和の広島の夜の街を彩ってきたネオン看板の凄腕職人! 「人がやらんことをやらにゃ、金にならないじゃない? ネオンは特殊な電気の技術が必要で、(当時は技術者が)広島に10人くらいしかいなかった」。豊さんは、戦後のネオン産業にいち早く参入したと話します。

昭和40年に撮影した、若き日の写真も。「親父は時計屋さんじゃったんじゃが、私は細かいのが大嫌いで継がんかった。戦争で母の田舎に疎開して、大阪でネオンの修業をした。22歳で独立したんじゃけぇ。その頃は下請けよ」。

有名企業のネオンも担当し、やがて歓楽街の看板も担うように。当時は競合が少なく、広島の歓楽街にある店舗を独占していたと教えてくれました。

一番儲かっていた時の年商は「5800万円くらい」。現在の価値で換算すると、なんと約1億円!

生活スペースに案内してもらうと、壁のいたるところに油性マジックで書かれたメモが。 理由を聞くと「だって分かりやすいじゃない」(笑)。

妻のかよ子さんは、21年前に心筋梗塞で亡くなりました。結婚したのは23歳の時で、出会ったきっかけはお寺の人の紹介。「頭のええ人じゃったよね。自分には過ぎたる人」。
三男一女に恵まれた豊さんですが、三男は31歳の時に心臓の病気で亡くなり、その3年後、かよ子さんも他界します。

ここで長女のみゆきさん(50)が帰省。「三番目の兄は『年を取ったら僕が親の面倒を見る』と言うほど、兄妹の中で誰よりも優しかった。母は、“自分のせい”という自責の念が強く、ずっと言っていた」と、悲しみに暮れていたかよ子さんの様子を明かします。

かよ子さんは、自分が亡くなることを知っていたかのように、みゆきさんに手紙を遺していました。そこには「生まれてきてくれてありがとう」と愛に満ちたメッセージが書かれており、これが最後の言葉になってしまいました。
「もっともっと長く笑顔でいてもらえることを、自分が何かできたら良かった…。でもそんなことを言ったら、また母が『私のせいで…』と自分を責めてしまうから、絶対にそんなことを思ってはダメだと思いながらの毎日」。母を想い、涙が止まらないみゆきさん。

豊さんは「とにかく元気が一番。親としてはそう思うよね」と話し、最後は笑顔を見せてくれました。
横川の商店街で豊さんの家について行ったら…年に一度のお盆の帰省で最愛の故人を偲び、家族の絆を確かめ合う時間に出会えました。
日曜夜8時50分からは、「家、ついて行ってイイですか?」を放送!
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