私はアレで有名になりました! ペルーで国民的英雄となった日本人とは?:世界ナゼそこに日本人

2018.08.12

海外での日本人の活躍に共感し、日本人としての誇りが持てるドキュメントバラエティ「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝」。世界で活躍する知られざる日本人を取材・紹介し、ナゼそこで働くのか、ナゼそこに住み続けるのかという理由を、波瀾万丈な人生ドラマとともに紐解いていく。



イタリア共和国


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最高視聴率34%を叩き出すイタリアの超人気番組で"日本人なら幼いころから誰もが知るアレ"を披露して一躍時の人となり、超有名人となった45歳の男性。
タレントでもないのにイタリア版「徹子の部屋」にゲスト出演し、ひとたび街を歩けば大勢の人から写真をせがまれるほどの人気ぶりだが、さらにイタリアから北東に約1200キロ離れたルーマニアの人気番組にも出演し、今や国境をも越えてフィーバー中なのだという。


しかし、その人気の裏には、ある意外な過去が。聞けば男性は、16年前に日本を出て以来、一度も帰国することなく、それどころか過去に考えられないような大事件を巻き起こしてしまったという。その事件のカギを握るのは、日本に住む母親。今でこそ毎日のように両親と電話をしているが、かつて海外へ旅に出た後、両親と長いこと音信不通状態に。心配した両親は探し方がわからず、とあるテレビ局のある番組に協力を依頼。その結果、母親が日本を出て、行方不明の息子を海外で大捜索する模様がテレビで放送されるという事態に...。


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そんな騒動がありながらも、今では国境を越えるほどの人気者となった男性。その背景には、世界一のある事に命懸けで挑戦し、それをやってのけたからこそ今があるというのだが、一体どういうことなのか。そしてなぜ男性はイタリアで人気者となったのか。彼を人気者へと押し上げた"日本のアレ"とは?



シエラレオネ共和国


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日本のテレビが滅多に訪れない国、西アフリカのシエラレオネ共和国。世界有数のダイヤモンド産出国として知られ、ある超大物政治家とのつながりも深いという。そんなシエラレオネには在留日本人はたったの22人しかいない。その中で、"ある事"で人々を救い感謝されている2人の日本人に密着。現地の人々に慕われ、感謝される2人が遠いシエラレオネで成し遂げた偉業とは?


(1人目)35歳男性


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トタン屋根の村で名前を大合唱されるほど大人気の35歳の男性。日本の"あるモノ"を使って村人たちの生活を向上させ、大感謝されているという。


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実はこの村は、洪水の被害者が住む仮説住宅の村。雨季になると降水被害が頻発し、被災者が続出。各地に同様の仮設住宅の村がいくつもあるという。


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そんな村で名前を大合唱されるほど感謝され大人気なのは一体なぜなのか。男性が村人たちから感謝されるきっかけとなった"あるモノ"とは?


(2人目)26歳女性


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現地の国営放送の番組に出演し、主要新聞の一面に大統領とともに紹介される謎の日本人女性。聞けば国連や国際ボランティアとしてシエラレオネに来ているわけではないというが、一体どんな人物なのか。


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現地の人々いわく、「一生懸命だけど少しドジな若くて小柄な女性」のよう。密着取材中、女性が住んでいる町で火事が発生。さらにこの2日後、再び近所で火事が発生したという。ナゼこんなにも火事が頻発するのか。


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近所では火事が発生し、数年前にはエボラ出血熱が大流行したシエラレオネに、なぜ23歳という若さで単身来ることになったのか。そしてなぜ新聞の一面を飾ったりテレビに出演することになったのか?



ペルー共和国


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最弱が最強に勝つ...南米ペルーで"ある偉業"を達成し、国民的英雄として語り継がれている日本人男性。ペルーで知らない人はいないほどの有名人で、男性の名前をつけた小学校では定期的に彼の功績を学ぶ授業が行われているという。


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一体どんな人物なのか。男性と縁の深い人々は"彼は人生の先生""彼はペルーの歴史を変えた"と語る。


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実は男性は、今から36年前に49歳という若さで他界。葬儀では外国人にも関わらず国葬級の扱いを受け、約5万人が参列。


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新聞やメディアでは"ペルーが泣いた日"と大きく報道され、当時の大統領も男性の死を悼むコメントを発表するほど、ペルー中が悲しみに包まれたという。


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彼はなぜペルーへ渡り、英雄と呼ばれるまでになったのか。そして、一度は「ペルーの敵」と呼ばれ迫害されながらも成し遂げた、ある偉業とは?

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