日本を知る、地域を考える〜特別編@文京区:地方自治体を応援するメディアホルグコラボ企画:老若男女が暮らしやすい街づくりを目指して、”文の京”で奮闘する元OL区議
山手線内にありながら、豊かな自然に恵まれた文京区。東京ドームや日本サッカーミュージアムといったスポーツレジャー施設、あるいは森鴎外や夏目漱石が過ごした文化の名残を備えたこの街は、都内でも随一の魅力を備えているように思う。
ところが「23区の中では、今ひとつ知名度が低いのが課題」と語るのは、文京区議会議員の海老澤敬子さんだ。渋谷や新宿のように、区名を冠した鉄道駅を持たないためか、「文京区といえばどこ、というのがあまり周知されていない」というのだ。
今回は〜日本を知る、地域を考える〜特別編として地方自治体を応援するメディア「ホルグ」との初のコラボ企画を展開します。文京区議員海老澤敬子さんの議員を志しそこに至るまでの経緯やモチベーションをテレ東プラスで、議員としての具体的な行動や施策に関してをホルグでそれぞれ紐解いていきたい。
前職はOL。それも取り立てて政治に深く関心を寄せたことのないありふれた会社員だったと振り返る海老澤さんが、一念発起して文京区議選への出馬を決意したのは2007年のこと。きっかけは、自身が身をもって体感した行政不審だった。
「自分と同じ不便を感じている人を、1人でもサポートしたい」。それは政治を志す動機としてありふれたものかもしれないが、彼女の半生をつぶさに追えば、決して口先の言葉でないことが理解できるはずだ。
▼7年間の介護体験から、行政への強烈な不満を体感
もともとは茨城県の生まれ。筑波大学農林学類(現・生物生産資源学類)を卒業し、最初の勤務先はセゾングループだった。
「セゾングループは当時としてはいち早く、職種別採用を取り入れた会社でした。それまでは希望の会社に入れたとしても、望む仕事ができるかどうかは配属次第。その点、マーケティング希望であった私としては、グループ内のどこに配属されても職種が約束されているのが魅力でした」
ちなみに海老澤さんの卒業テーマは「主婦のTPO別購買行動」。学生時代に養った知識を活かして商品開発に携わることを目標としていた彼女にとって、職種別採用は渡りに船の制度だったわけだ。ファミリーマートに配属された彼女は、早くも2年目からヒットを飛ばす。
「私が考案したのは、今ではどこのコンビニにも当たり前のように置かれている、ぶっかけそばでした。それまでコンビニには小分けそばしかありませんでしたが、お湯をかけるだけで食べられるカップ麺のように、ぶっかけタイプの商品があってもいいのではないかと考えたんです。野菜と麺が触れ合った状態では雑菌が繁殖しやすいなど、様々な問題点が指摘されましたが、フィルムシートを1枚挟むことで解決し、商品化に漕ぎ着けました」
その商品が、30年経った現在も店頭に並んでいることを踏まえれば、この着想がいかに画期的であったかが窺える。
海老澤さんはその後、同グループの新規事業となるチケットセゾンの導入を手がけるなど、いっそうの活躍を続けるが、プライベートで大きなアクシデントに見舞われてしまう。父親が脳梗塞で倒れ、半身不随の状態に陥ったのだ。
「セゾングループ時代、私は父を7年に渡って介護しています。東京と茨城の実家を行き来し、介護と仕事を両立する生活は、非常にハードでした。さらにその日々の中では、行政の不効率さ、理不尽さを痛感させられることが多々ありました。例えば、介護保険の申請に必要な書類は煩雑で、1つでも不備があれば他の窓口にたらい回しされ、まるで手続きが進まないこと。あるいは、行政の福祉タクシーを利用する際、往復1セットで予約することができず、診療後に無駄な待ち時間が発生すること。さらには65歳以下の要介護者にはおむつの支給がないなど(※当時)、とにかく不満を挙げればキリがない状態でした」
会社側が時短勤務を認めてくれたのは幸いだったが、それでも有給などを駆使して、懸命に時間を工面している身。限られた時間を介護にあてる上で、不効率なまま放置される制度は障壁以外の何物でもなかった。おそらく、同様の思いを強いられている介助者は少なくないだろう。
行政サービスに山積する非効率性は、やがて行政自体への強烈な不信感へとつながっていく。
▼「だったら自分でやってみれば」のひとことに開眼
最愛の父が逝った後、海老澤さんは13年目にして転職を決意する。これは何もかもリセットして、1からやり直したいという気持ちの表れでもあった。新天地はチケットセゾン事業の経験を生かして、株式会社ぴあに決まった。
慣れない広告営業には苦労も多かったが、様々な人と接する職種は肌に合っていたようで、海老澤さんは映画業界や広告代理店へのパイプを着々と築き、その3年後にはさらに博報堂に転職。クリエイティブ部門のプロデューサーとしてさらなるキャリアアップを目指す。
そんな中、思いがけない転機が訪れる。
「あるイベントで政治家の方をゲストで招いた際に、私が感じていた行政への不満を全部ぶつけてみたんです。すると『だったら君が自分でやってみればいいのに』と言われ、思わずはっとさせられました。自ら立候補して政治をやる。そんなこと、それまでまったく考えたことがなかったので、まさに青天の霹靂でした」
その言葉により、燻らせていた思いはそのまま原動力となる。海老澤さんはほぼすべての政党にメールを送り、自分がやりたいこと、作りたい社会の姿を熱量たっぷりに伝えた。いくつかの政党からは丁寧な返事があったが、後押しを得るまでには至らない。そのうちに自民党が初めて候補者を公募することを知り、これに飛びついた。一介のOLが、政治の世界へ飛び出した瞬間だった。
「自民党の公認を受けられることになったのが2006年の12月。しかしもちろん、最初はわからないことだらけです。そこで年が明けた07年の元日から、とにかく毎日駅前に立って、地域の人に自分の顔と名前を覚えてもらう努力をしました」
選挙期間外であるため、名入りのたすきなどは使えないが、介護当事者としての経験から、自分が行政をどう変えていきたいのかを毎日アピールした。そのうち、毎朝行き交う人々の中から、ぽつぽつと応援してくれる人が現れ、やがて人が人を呼び、応援の輪が広がっていく。
「選挙運動中は、本当にいろんな人に声援やアドバイスをいただきました。そこで選挙期間外となる開票当日の朝も、皆さんにひとことお礼が言いたくていつもと同じ場所に立ったんです。すると、多くの人が握手をしに来てくれて...。それだけでも挑戦してよかったと痛感しました」
結果、初出馬ながら海老澤さんは2位当選という快挙を成し遂げる。
▼区民の声から街の不便を見つけ出し、解消する
実は内心では、初めての選挙は落選しても、4年後の再挑戦のための糧となればいいと割り切っていた。だからこそ、当選の結果に誰よりも驚いたのは海老澤さん自身だった。
ともあれ、自らの介護体験と豊富な社会人キャリア、そして何よりフレッシュな感性を持った議員の誕生は、文京区政に新しい風を送り込むこととなる。今年で11年になる議員生活を振り返り「まだまだ力不足。それでも、少しずつ前へ進んでいる実感はある」との手応えもある。
すでに議員としていくつかの成果もあげている。例えば公道に自転車専用レーンの必要性を最初に提言したのも海老澤さんだ。
「私自身が車椅子を押して街を歩いていた際、歩道を行き交う自転車が怖くてしかたがなかったんです。いつ父の体にぶつかるか、いつもひやひやしていました。そこで自転車専用レーンの設置を訴えたところ、当初は『どこにそんなスペースがあるんだ』と猛反対を受けましたが、区民の皆さんの声の後押しを受け、少しずつ実現に向かいました」
また、自らが文京区をさらに詳しく知りたいと立ち上げた散歩イベント「文京探索委員会」の活動を通して、高齢男性の思いがけないニーズを知った。
「杖をついているお年寄りが男子トイレで用を足す時、杖の置き場がなくて困ってしまうことがよくあると聞きました。そこで便器の脇に杖や傘を架けられるフックの導入を主張したんです。これは女性である私には、まったく想像できなかった不便でした」
もうおわかりのように、海老澤さんの武器は、地域密着型のコミュニケーションにある。自ら街を歩き、人の声を直接聞くことにこだわり、小さな声をつぶさに拾い上げる。もちろん、介護の人手不足や貧困による教育格差など、まだまだ問題は多い。
「それでも、緑豊かで古くから多くの文豪に愛されたこの"文の京"を、より良い街にして、より多くの人に知っていただくためにも、一歩ずつ前進していきたいと思います」
OL時代から見据えていた、誰もが暮らしやすい街づくり。海老澤さんの挑戦は続く。
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