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東京23区内でトップクラスに有名な区といえば「新宿区」。JR新宿駅は世界一の乗降者数を誇り、世界でも名の知られた街である。しかしそんな新宿区が意外にも最近できたばかりの街だということはご存知だろうか。
実は新宿区ができたのは、1947年(昭和22年)のこと。「四谷区」、「牛込区」、「淀橋区」の合併により誕生したのだ。四谷や牛込は今でも駅名や地名が残っているため、現在でも馴染みがあるが、淀橋区は地名にも存在しない。にもかかわらず、なぜ聞いたことがある気がするのだろうか。
そう、「淀橋」といって思いつくのがヨドバシカメラだ。
ヨドバシカメラは淀橋区で誕生したカメラ屋だからヨドバシカメラなのである。さらに調べてみると、淀橋区の名残を感じられるところも若干だがまだあるよう。今回、淀橋区の残り香を散歩しながら辿ってみた。
まずは淀橋区役所跡地に行ってみると......。
淀橋区を巡る記事のスタートに選んだのは、新宿区役所。この区役所通り沿いに、旧淀橋区役所の跡地があるよう。
区役所通りをまっすぐ行くと、旧淀橋区役所があったところがあったらしい。(wikipedia調べ)区役所通りをまっすぐ大久保の方へ進むこと5分。
昼でも夜の匂いがする、区役所通り。朝キャバのお姉さんたちがお客さんの呼び込みをしていた。ご苦労様です。
歌舞伎町の有名なバッティングセンターの裏にある......
この駐車場が淀橋区役所だったよう。一応周りを巡ってみたが、石碑などは立っておらず、歌舞伎町の端っこの妙に広すぎる駐車場が、それらしい雰囲気を醸し出していた。
念願の淀橋市場へいざ。
肩透かし感は否めないが、お次はメインの淀橋市場へ。淀橋市場へは、Googleマップによると、歩いて20分。
新宿と大久保って近いんだよね、と思いながら歩きはじめる。
大久保駅沿いは、飲み屋と外国人が多く、異国感すらも感じる。
歌舞伎町から大久保駅までの道のりは、韓国料理や居酒屋など賑やかな雰囲気。かつちょっとディープな雰囲気があり、歩いているだけで飽きない。けど昼間でもどこかピリッとした空気感を感じるのは気のせいだろうか。
大久保駅、すぐそばの交差点。小滝橋通りまでくれば淀橋市場まであと少し。
この小滝橋通り、大久保駅の喧騒はどこへやら。急に閑静な住宅街になる。新宿......いや、淀橋区高低差ありすぎる。
小滝橋通りに入ったら5分程度で到着! 淀橋市場は、昭和14年に開場した青果市場で、淀橋区役所の隣に設置されたんだそう。淀橋の名を残す数少ない施設のひとつである。
淀橋市場の定食屋でお昼を食べるために、スタートを11時半にしているので、「腹が......減った」状態である。
豚の生姜焼きじゃないんかい! ということはさておき、本日のおすすめだったマグロの漬け丼を頼む。750円。私はごはんを半分にしたので、50円引きで700円。おいしいし、良心的だし、お店の方がハツラツとしていて気持ちのいいお店。
正直、もう淀橋区のことはどうでもよくなってきたが、まだ回らなくてはいけないところがある。ということで、淀橋の名を残した小学校を通り、淀橋という名前の橋へ向かう。
神田川がリフレインする、神田川沿い。
淀橋の名を残す施設のひとつが淀橋第四小学校。教育施設で唯一、淀橋の名を残しています。
淀橋第四小学校を横目に、淀橋へ向かうためにGoogleマップを見ていると、気になる文字が。
神田川歌碑......! この文字を見た瞬間、「神田川」が頭の中でリフレイン。遠回りになるが、足早に歌碑に向かった。
小さなベンチのある憩いの場にひっそりと佇む神田川の歌碑。こんな立派な歌碑で神田川の歌詞を見ていると、南こうせつさんの歌詞の美しさに胸を打たれる。改めてめっちゃいい歌じゃん、神田川。
ちなみにWikipediaによると、
"中野区内の末広橋近くの公園には「神田川」の歌碑が建てられている。なお、実際の歌の舞台はもっと下流の戸田平橋付近で、喜多条が住んでいた「三畳一間の小さな下宿」は豊島区高田3丁目7-17に所在した「千登世旅館」(2008年廃業)の隣にあったといわれる。"
なんだそう。いろいろ調べてはみたものの、なぜここに歌碑があるかは不明。神田川の歌を口ずさみながら、神田川沿いを歩く。
はじめて神田川沿いを歩いてみたが、歩行者と自転車しか通れない歩道、緑、川のせせらぎ......散歩するにはうってつけの道で、神田川沿いだけの記事でもよかったかもしれない。と、余計なことを思う。
そんなことを考えているうちに淀橋に到着! ただの橋なんですが、数少ない淀橋の名を残す場所だと思うと、感慨深い。
ちなみに淀橋という地名の由来は、
昔「姿見ずの橋」と呼ばれていました。「淀橋」の名の由来は、「川の流れが緩やかでよどんで見えたから」という説など諸説あります。
淀橋市場のホームページ(http://www.shijou.metro.tokyo.jp/info/05/)より引用。
川が淀んでたから淀橋って、このご時世ならありえない由来。しかし、上下水道が発達した現在は、淀みは少なく、むしろ水面に光が反射してキラキラ輝く川になっていた。時代とともに街並みは変わりゆくんだな、と妙にセンチメンタルになってしまった。多分そろそろこの淀橋散歩のゴールが近いからである。
浄水場跡地は新宿駅の目の前
次は淀橋浄水場跡地へ向かう。淀橋浄水場跡地は新宿駅の真ん前! 現在のエルタワーのところにあるんだそう。ここからは新宿駅に向かってまっすぐ歩くだけである。
淀橋から左に顔を向けると、もう西新宿のオフィス街だった。
西新宿のこの円形の信号機を見ると、"新宿副都心"を強く感じるのは私だけ?
新宿エルタワーの裏に、淀橋浄水場跡地がある。
大きな石が置いてあるだけなんですが。
淀橋浄水場は1898年(明治31年)に竣工。1965年(昭和40年)に廃止されるまで、都民の飲料水を供給する浄水場だったそう。新宿駅西口に約56ヘクタールに及ぶ広大な浄水場跡地があったおかげで、副都心計画が進んだとも言われているそう。高層ビル群の裏側に歴史あり。
そう、ヨドバシカメラは淀橋区で誕生したカメラ屋だからヨドバシカメラなのである。さ最後は淀橋区で誕生した、ヨドバシカメラへ辿り着いてゴールとなる。
全長およそ5.3km。新宿の西をぐるっと廻る、今はなき淀橋区をたどる散歩だった。
職安通りの喧騒、異国情緒漂う大久保に、閑静な住宅街の淀橋市場~神田川。そして、高層ビル群の西新宿を歩けば、知っているようで知らない新宿を垣間見れた気がする。