昭和の初め、日本と中国2つの国を熱狂させた1人の女優がいた。彼女の名は「李香蘭」。
日本人・山口淑子として生まれたが中国で育ち、中国人女優・歌手の李香蘭として活躍した。時代に翻弄されるも、強く生き抜いた彼女の激動の人生。

 1920年。山口淑子は満鉄(南満州鉄道)で社員に中国語を教えている父・山口文雄と母・山口アイの間に中国で生まれた。淑子は、父の親友・李将軍の養女となり「李香蘭」という美しい中国名をもらう。当時中国では、親しい家族同士で儀礼的な養子縁組をすることは珍しくなかった。北京の名門ミッションスクールに通い、幸福な少女時代を送る彼女に時代の波は容赦なく押し寄せる。
 そのころ建国された満州国は、アジアの5つの民族が平等に暮らす「五族協和」を建国の理念に掲げていたが、実際は関東軍が実権を掌握し、他民族を虐げていた。北京の町は日増しに反日の気運で満ちていく。女学校でも日本軍に対する抗議集会が活発に行われた。そんなとき、淑子は黙ってうつむくしかなかった。  関東軍が設立した「日満親善」「五族協和」を宣伝するための国策会社、満映(満州映画協会)は、淑子の歌の才能と美貌、流暢な中国語に目をつけ、歌う女優・李香蘭としてデビューさせる。淑子が18歳の時だった。映画女優となった淑子は一見華々しい生活を送っているように見えたが、撮影所での中国人差別を目の当たりにして心を痛める日々だった。
 さらに満映代表の日満親善女優として、初めて祖国日本の土を踏んだとき、入管係官に呼び止められ吐き捨てられる。「一等国民の日本人が三等国のシナの服を着て、シナ語などしゃべって恥ずかしくないのか。それでも日本人か!」日満親善という言葉の虚しさをかみ締めた淑子は、祖国に対する幻影が崩れていくのを感じていた。
 次々と映画に出演し映画の仕事が面白くなってきた頃、淑子に大役が回ってくる。 日本の大スター、長谷川一夫との共演である。たちまち評判となり「白蘭の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」など長谷川との共演作品が次々と制作され、大陸三部作と呼ばれるようになる。 3作とも長谷川一夫の日本青年に、李香蘭の中国娘という設定のロマンス。そこには日本は強い男、中国は従順な女、中国が日本を頼るなら、日本はこのように守ってやろうというメッセージが込められていた。「支那の夜」では日本人船員が中国人少女を殴るシーンがある。殴られたにもかかわらず、相手に惚れ込んでいくというストーリーだった。
 これは中国人にとって屈辱以外の何者でもなかった。中国人が傷ついていることにようやく気づいた淑子は、今までの自分を呪う。日本のため、中国人のためと思い、精一杯がんばってきたが、逆に中国人を傷つけていたとは・・・。日本の国策映画に次々と出演した彼女を誰もが中国人だと思っていた。 淑子の思いとは裏腹に、中国や満州だけでなく、日本本土でも李香蘭の人気は高まっていく。殺伐とした時代に、人々は彼女の歌声に救いを求めたのだろうか、世界大戦が開戦した年、東京の日劇でワンマンショーを行うと、切符を求めて並ぶ群衆が日劇を取り巻き、ケガ人まで出る騒ぎとなった。「日劇七回り半事件」である。
 そして迎えた終戦。日本は敗退し、満州国はわずか13年の歴史を閉じた。数日後、淑子は中国人でありながら日本軍に協力した”漢奸”つまり祖国を裏切った売国奴として、銃殺刑に処されると報じられる・・・。