経済ドキュメンタリードラマ「ルビコンの決断」

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2009年8月13日放送
困難の時こそ夢を持て~テレビで経済復興を目指した男・松下幸之助~
詳しい内容
<ドラマVTR>
昭和20年8月15日終戦、その後、廃墟と化したこの国はどのようにして立ち直ったのだろうか?今回の「ルビコンの決断」は、終戦直後からの経済復興に焦点を当てた。経営の神様・松下幸之助がこの時代をいかに生き、当時の松下電器(現パナソニック)を飛躍させたのか?幸之助を通じて、日本経済の復興を描いた。
松下電器社主・松下幸之助は、終戦直後、全社員を集めて、軍需から民需への転換で日本再建に尽くすという方針を打ち出した。ところがそんな幸之助に対し、公職追放命令が・・・。ここで幸之助を救ったのは松下労組だった。組合員が談判し、後に、公職追放は解除、幸之助は経営に復帰することが出来た。
昭和26年1月、幸之助は米国を訪問、ここで豊かな家電生活を見て衝撃を受けた。米国では普通のごくサラリーマン家庭に、テレビや冷蔵庫、掃除機などの家電製品があったからである。幸之助は家電製品の技術格差を欧米並みにすれば日本人にも家電製品が広まる時代が繰るのではないかと考えた。
帰国した幸之助は、テレビの生産を目指した。昭和28年にはテレビ放送が開始されることになっていたのである。
松下電器は、オランダの家電メーカー・フィリップスとの提携交渉を開始した。テレビに必要な真空管などの技術供給を得るためだった。太平洋戦争では敵対国だったオランダ企業との交渉は厳しいものとなった。多額の技術提供料を求めるフィリップスに対し、幸之助は逆に経営指導料を求めるという強気の交渉を展開した。そして執念は実る。昭和27年、フィリップスとの合弁会社松下電子工業が誕生した。
幸之助は提携の成功に甘んじず、庶民にも手が届く価格を目指してテレビ受像機の量産化を目指す。まもなくしてテレビブームが巻き起こり、皇太子御成婚パレードや長嶋茂雄が活躍した天覧試合などがお茶の間のテレビから流される時代がやってきた。日本経済の戦後は「庶民の豊かさ」が終らせた。
幸之助が残した言葉は、21世紀の今でも多くのビジネスマンに受け入れられている。リーマンショックで打ちのめされた企業や働く人々が後遺症にあえぐ現在の日本経済。戦後の復興期をはい上がった松下幸之助の生き方を見ていくことによって、復活へ向けたヒントを探し出すことが出来るかもしれない。
場面写真
キャスト紹介
松下幸之助役 高橋荒太郎役
三田村邦彦 神保悟志
ゲスト紹介
米倉誠一郎(一橋大学教授)
大浜報道キャスターのあとがき
「時間がない」

他社との事業提携というのはリスクの大きい手段でもあります。
考え出したらきりが無いほど心配事が多いものです。
提携の名の下に、利益の大半を先方に取られてしまうのではないか?
提携が失敗した場合に損失をどうカバーするのか?
もともと持っていた技術が流出してしまう可能性もあります。

しかし、松下幸之助さんはリスクよりもメリットを重視しました。
提携によって商品開発のスピードを得る道を選んだわけです。
当時、「時間がない。急がなければ」という発想を持っていたのは何故なのか?
日本進出を狙うライバルが多かったのでしょか?
ただ当時の日本人にそれほどの購買力があったとは思えません。
海外メーカーにとって日本はそれほど魅力的なマーケットではなかったのでは
ないでしょうか?

それとも、海外進出を当時から意識していたのでしょか?
一日も早く海外のメーカーに追いついて輸出立国を標榜していたのでしょうか?
おそらく、まだそういった状況ではなかったでしょう。

「時間がない」という発想はどこから来たものなのか。
ドラマを見ていて気がつくのは、
「日本人の生活を一日も早く向上させたい」という彼の思いです。
のんびりと、いちから開発している場合ではないという切迫感。
価格の高いテレビを一日でも早く安く、一般の人々の手の届くものにしたいという使命感。
現在では新商品の価格下落のスピードが速くてメーカーが苦労していることを考えると複雑な気持ちになりますが、当時は安い商品作りがメーカーにとっての責任だったのでしょう。
スローライフが標榜される昨今ですが、
「時間がない」という追い詰められ方も大事なんですね。やはり。