経済ドキュメンタリードラマ「ルビコンの決断」

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2010年9月2日放送
"シャープ大逆転劇"の真実
~「液晶テレビ」に賭けた男たち~
詳しい内容
現在、シャープは国内でのテレビ販売台数トップ。「液晶」と言えば、シャープというイメージが定着しているが、実は、30年ほど前は、松下電器や東芝、ソニーなどに比べると、世間では格下の電機メーカーという評価だった。それは、テレビの基幹部品である「ブラウン管」を自社で生産していなかったのが理由の一つだ。その屈辱をばねに、どうやって今までにない薄型テレビ、「液晶テレビ」を生み出したのか?そこにはシャープ創業者・早川徳次の「他社にまねされる商品を作れ」という精神が息づいていた…。

<早川徳次は発明家だったー  徳尾錠・シャープペンシルを発明>
シャープの創業者・早川徳次はアイデアあふれる発明家だった。19歳の時に、穴をあけないベルトのバックル「徳尾錠」を発明。その後、シャープペンシルも考案するなどして、早川金属工業を設立。その後も世界初・国内初の商品を次々に打ち出した。彼の口癖は「他社にまねされる商品を作れ」、「世の中にない商品を作れ」ということだった。

<ブラウン管は他社製・・・>
早川の「世の中にない商品を作れ」という精神から、シャープは国産で第一号のテレビを発売。しかし、ブラウン管はアメリカ製だった。その時、ブラウン管を自社で開発するほど十分な資金力がなかったのだ。その後、松下電器や東芝、ソニーなどが自社でブラウン管を開発し、テレビを販売し始めると、シャープはたちまちシェアを追い抜かれてしまった。

<次なる夢のテレビを作りたい・・・それが早川の悲願だった>
早川徳次は自社でブラウン管を開発できなかったことを悔やんだ。 早川は全社員集会などで社員たちに繰り返しこう言っていたという。 「他社がまねをするような商品を作って欲しい!新しいテレビを作って欲しい!」それを聞いていた、当時20代の若手社員だった町田勝彦(後に4代目社長)はその言葉を胸に刻んだ。

<液晶に出会う・・・しかしテレビ化にはまだまだ壁が・・・>
昭和44年、技術の責任者がある物質を早川のところに持ってくる。それが「液体ながら結晶の性質を持つ」、液晶というものだった。実用化されれば軽くて、薄くて、省電力の全く新しいディズプレイになる可能性があった。早川は早速液晶の開発を指示する。しかし、動画を映し出すのは困難を極めた。
一方、テレビの営業マンだった町田は悔しい思いを度々味わう。 家電量販店からシャープのテレビは格下という扱いを受けていたのだ。

<早川の死・・・>
そして昭和55年(1980年)、早川徳次は夢のテレビを見ることなく、他界する。

<家電不況…液晶事業も赤字、新社長・町田の決断は?>
1997年、山一證券やたくぎんが破綻するなど、金融危機が起こり、家電メーカーもほとんど赤字となっていた。シャープも当時、液晶事業は赤字だった。そんなときに町田は4代目社長に抜擢される。果たして町田が下した驚きの決断とは?そして、かつての屈辱からどうやって国内トップのテレビメーカーとなりえたのか?
場面写真

キャスト紹介

<シャープ
4代目社長>
町田勝彦 役
<シャープ
創業者>
早川徳次 役
永島敏行 夏八木 勲