ラグビー日本代表 トンプソン・ルーク「日本人であることは、自分の誇りだ」
2019 ラグビーW杯 日本代表 トンプソン・ルーク 写真:ロイター/アフロ
そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない
ラグビー日本代表候補、トンプソン・ルーク。
彼の座右の銘は...「郷に入れば郷に従え」
郷に従って15年。
ラグビーでは国籍が違っても、条件を満たせばプレーする国の代表になれる。しかし男は敢えて帰化し日本人になることを選んだ。今やファンからは親しみを込めて「トモさん」と呼ばれているトンプソン・ルーク。苦労人だからなのか、誰にも優しいトモさんは人気者だ。
これまで三度のワールドカップに出場。日本代表の桜のジャージを着て、64試合に出場した。今年、日本で初めて開催されるワールドカップへ。トモさんは日本代表候補が顔を揃える特別チーム、サンウルブズに召集された。
代表選考は生き残り競争。今38歳のトモさんは年齢を理由に落とされてしまうこともあり得る。トモさんはラグビー最強国のひとつ、ニュージーランドに生まれた。父が営む農場が遊び場。野山を駆け回るうち、自然と体は鍛えられた。
ラグビーを始めたのは遅く13歳から。14歳で州の代表に。だが自分より凄い選手も大勢いた。転機は大学時代。プロの誘いが舞い込む。
母国ニュージーランドを遠く離れた日本からだった。憧れのプロ契約に胸躍らせ、23歳で海を渡る。しかし突如チーム方針が変わり、わずか2年で戦力外を言い渡された。
母国に帰る道もあったが彼はそうしなかった。二部リーグに低迷していた近鉄ライナーズから誘われ日本に残る決断をする。二部という不遇な環境の中、男はすべきプレーを黙々と続けわずか2年でチームを一部に昇格させた。
以来、近鉄一筋。
近鉄を、一途に愛し続けた理由は家庭にもある。日本の暮らしが気に入り、「まや」という日本の名前を付けた長女。その彼女が先天性の白内障で失明の恐れが発覚した。家族挙げての闘病生活を支えてくれたのが近鉄だった。
チームと選手が愛し、愛される家族のような関係。この国の温かさに惚れたトモさんは、この国の人間になりたいと心から思い、日本に帰化した。4年前のワールドカップで世界を驚かせた南アフリカ戦。もちろん彼もそこにいた。もしもいなかったら、あの奇跡の逆転トライは生まれなかっただろう。
試合終了間際、ペナルティを得た日本。点差は3点。同点狙いのキックか、逆転を狙うスクラムか。その時、トンプソンは仲間に言った。
「歴史を変えるのは誰?」
そして歴史は変わった。打ち立てた金字塔。その栄光と共に、トンプソンは代表引退を表明した。しかし今年になって代表復帰。なぜなのか。その理由を聞きたくてニュージーランドに滞在するトモさんを訪ねた。
今は日本との二重生活。家族はここに暮らし、自分の生活拠点は日本にある。代表選考の合間、一週間の休みができ、家族と再会。
引退したままなら家族とのこの生活を365日続けられた。しかし、男の大和魂はそれを良しとせず、再び桜のジャージを目指すことにした。
代表復帰は、妻の一言がきっかけだった。去年6月に行なわれた日本代表の国際試合。妻とテレビ観戦したトモさんは日本のプレーに合わせて体を動かし声を張り上げていたという。妻は聞いた。
「もう一度、出たいんじゃない?」
妻は愛する夫の気持ちが手に取るようにわかっていた。こうしてトモさんは家族と離れ、日本の為に戦うことを選んだ。ワールドカップ日本代表選出への最初の関門、合宿参加者が発表された。
そこにはトンプソン・ルークの名前が。トモさんは言う。
「日本人であることは、自分の誇りだ」