伝説のラリードライバーが70歳でサハラ砂漠に挑戦した理由とは

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2020.3.4

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そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

ラリードライバー、篠塚建次郎(71歳)。

パリ・ダカールラリーの優勝で、その名は歴史に刻まれた。世界一過酷と呼ばれる自動車レース、通称パリダカ。パリからアフリカ大陸へ悪路を駆け抜ける約20日間ものレース。

篠塚の優勝は23年前だが、その栄光は今も色あせていない。今でも彼のサインを自慢するファンが世界中にたくさんいる。

【動画】ラリードライバー・篠塚建次郎 71歳で現役、アフリカ大陸を舞台にしたラリーに挑戦

驚くのは篠塚が今なおレースに出続けていること。71歳のレジェンドは年齢に負けない現役なのだ。

篠塚「もう単純なんですよ。とにかく走りたい。やっぱり走るのが一番自分にとって幸せなんですよ。」

パリ・ダカールラリーで日本人初優勝

往年の篠塚は現在のスポーツ界で言う大谷翔平や大坂なおみのような存在だった。その理由は歴史を塗り替え、世界に認められたという事実。

パリ・ダカールラリーへの出場は22回を数える。道なき道をおよそ3週間かけて走破するこのレースに篠塚は人生を賭けた。

それまでの優勝は全てヨーロッパ勢で、日本人が勝つとは誰も思わなかった。第19回大会で篠塚はついにそれを成し遂げた。

毎日走ることだけを考えていられるその時間がとっても楽しい。だが2008年、通過国の情勢不安により大会は中止に。翌年から舞台を南米に移した。還暦に達した篠塚はそれを機に参戦を取りやめる。アフリカから離れたことも大きかった。

人生の第2章 "アフリカ・エコレース"

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篠塚「純粋に走り屋なんで、やっぱりサハラ砂漠を思いっきり走りたいと言うのが1番大きな目的で。70歳になる時にそれをやるのが一番いいと思った。」

一昨年、70歳での出場を決めたアフリカ・エコレース。アフリカの大地を走りたいという純粋な衝動から新たな物語は始まる。古希から喜寿へ。70歳から77歳まで走るんだ!というのを人生の目標にした。

始まった人生の第2章。12年ぶりのアフリカ大陸のレースで、篠塚は目標としていた完走を果たし77歳までの連続出場と成績向上を心に誓った。

次は71歳での出場。参加費用はスポンサーを募ってまかなう。これまでは誰よりも早く走って優勝する事だけを考えていればよかった。しかし、今回は一から十まで全部自分でやらなくてはならない。

どんなに切り詰めても資金に3000万円は必要で、一昨年の出場に際しては100社以上を回った。

「急きょ出場を断念せざるをえなくなって...」

篠塚は昭和23年、東京生まれ。高校ではバイクで走り回り大学時代にラリーに魅せられた。

1991年、世界ラリー選手権で日本人初優勝し、翌年も連覇を果たす。サーキット場とは違う変化に富んだ地形を走る判断力に篠塚は長けているのだ。

だが、その篠塚でさえサハラ砂漠には苦しんだ。優勝争いの中、時速200キロ以上で横転し、砂丘で跳ね上がった車が8回転してリタイヤしたこともある。それでもこの挑戦はやめられない。2年連続のアフリカ・エコレース出場へ篠塚は準備を進める。

しかし去年12月、篠塚から急な連絡を受け、会いに行くと...

篠塚「エントリーして色々準備はしていたんですけど、急きょ出場を断念せざるをえなくなって・・・。」

資金の3000万円が集まらず、今回は参戦を取りやめることになった。

ラリー参加とは別の理由でダカールへ

だが物語はまだ終わらない。資金不足でラリー参加を見送った篠塚だが、ある志のためにセネガルのダカールへとやってきた。

一人当たりのGDPが世界平均のおよそ1割というセネガル。生活に苦しむ貧困層もまだまだ多い。パリ・ダカールラリーのゴール地点だったことから、篠塚はこの国の苦しみを肌で知った。

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日本から持ってきたノートを現地の子供たちに届ける。持参したノートは自宅がある山梨県の小学生から寄付してもらった。今年で18年目になる慈善事業で、昔はレースでゴールした足で訪ねていた。

18年前に寄付した"小学校"

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ノートを渡す小学校はダカールの中心地から外れた貧しい地区にある。学校に着くと「ケンジロー」コールが起きた。
これはノートをくれるから、だけではない。

実は18年前、篠塚はこの地に小学校を一校丸ごと寄付していたのだ。だが老朽化と塩害で建て直しとなり、この日は新校舎の完成式典が取り行われた。ただし仮校舎で。

完成式典をしたのに新しい校舎は未完成なのだ。これがアフリカ。だが名前は決まっている。「篠塚健次郎小学校」

篠塚「ダカールって自分の中で特別な場所。パリ・ダカールで22回走ってダカールとつながりを持っていたいなと思って学校を寄付しようということになった。」

以前の校舎には教室が3つしかなく午前と午後で生徒が入れ替わっていたが、新校舎には教室が12もある。次の完成予定は3月だという。

篠塚が絶対に訪ねたかった場所

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そしてもう一か所、絶対に訪ねたい場所があった。

それは西アフリカ、セネガルにあるパリ・ダカールラリーのゴール地、ラックローズ。篠塚が今年、出場を断念したアフリカ・エコレースもここがゴールになっていた。篠塚はゴールする選手たちをその目に焼き付けに来たのだ。

悔しさはエネルギーだ。人生がたとえ悪路だらけのレースでも篠塚がアクセルを緩めることは決してない。