発起人は人気パン屋店主 選手はワケありOK「北海道ベースボールリーグ」の勝機とは

野球

2020.5.19

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

「北海道に初めての野球リーグを」と言い出した男の朝は早い。

まず本業がある。北海道初の独立リーグ「北海道ベースボールリーグ」発起人、出合裕太、36歳。

【動画】北海道初の独立リーグ 北の大地から壮大な夢を追う男たちの奮闘の日々に密着

営むパン屋は富良野屈指の人気店だ。毎朝3時前から働き始める。

札幌の大学を出てパンの製造会社に就職。その後、紆余曲折を経て、7年前にこの店を開いた。

生地を練り、発酵を重ねて1つ1つ形を整えていく。こうした作業は人づくりにも似て楽しいという。

パン屋といえば、子供の憧れの職業の上位だが、出合がこの仕事を始めたのは別の理由からだった。

それは、パン屋は朝早い分、午後を自由に使えるから。だからパン屋。パンを売るのは妻と二人の子供を養うため。

本当にしたいのは野球のこと。

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基本理念は「選手の育成」と「地域貢献」

去年4月、設立へと動き出した北海道初の独立リーグ。2020年に2チームでスタートし、その後10年をかけ8チームへと拡大を目指すという。

既存の独立リーグは国内に3つ、全国に計20の球団があり北海道は空白地帯だった。

独立リーグは、NPBを目指す選手の受け皿になっているが、収益面などの運営はどのリーグ、どの球団も手を焼いている。

ではどこに勝機があるのか?

利益は二の次。新リーグの基本理念は、選手の育成と地域貢献にある。

4年前に立ち上げたベースボールアカデミーはリーグ発足への足場作り。クチコミで全国から選手が集まり、去年は15人が在籍した。人口の減少で営業をやめた富良野市内の診療所を選手たちの住まいとしている。

家賃も光熱費もタダ。人が住むというだけで地域にはメリットがあるからだ。人がいれば物がまわりお金もまわる。

選手たちは自炊していて、食材は地元の農家からアカデミーが買っている。

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給料は出ないが、生活ができ、野球ができる。それが選手のニーズ。

過疎が進み、少子高齢化に悩む町にとっては、若い世代が住んで活動してくれることが何よりのニーズなのだ。

さらに選手たちは午前中だけという条件で、町のあちこちで働いている。人手不足に特に苦しむ第一次産業。トマトやアスパラガスを栽培する農家では体力のある若者の働き手はとてもありがたい。

地元の農家や企業は労働力を得る。球団はスポンサー料を貰い、選手の生活を支える。

今までなかった循環を出合は実現させた。

選手はやる気があれば"ワケあり"でもいい

アカデミーの4年間で1球団の設立にはめどがついたものの、1チームでは試合が組めない。そこで去年夏、出合は選手獲得へのトライアウトを実行した。

新リーグを担うあと1球団の頭数を揃えたい。

参加者20人。出合は彼らに勝敗や収益を追うリーグではないと告げた。

このトライアウトで出合が見極めるのは選手のやる気。未完成でいい。伸びしろのある、前向きな選手がほしいと出合は考えていた。

ワケありでもいい。ワケを取り除けば光るかもしれない。

人生観を変えた世界最貧国での経験

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山田雄熙(ゆうき)は気になる候補者の一人だった。ポジションは投手。一般入試で日本体育大学野球部に入った努力家だ。しかしイップスに苦しみ、大学3年で一度は選手を引退。だが、あきらめきれない思いがくすぶり、就職を捨ててでも挑戦したいとやってきた。

出合は山田を合格させる。かつての自分になかったものがあったからだ。

富良野に生まれた出合は子どもの頃は野球選手になりたかった。けれど、その夢に向かって走る勇気がなかった。

そんな出合の人生観を変えたのが青年海外協力隊で赴任したアフリカ・ブルキナファソのこと。一人当たりの平均収入、ひと月5千円という世界最貧国の一つだ。

出合は現地の子供たちに野球を教えるために、この国に派遣された。野球を見たこともない子供たちに、どうしたらルールや面白さを伝えられるのか。ゼロからの出発が逆に自分の殻を破ってくれた。

夢なんて叶うもんじゃない。かつての自分を見つめれば夢から逃げていただけだった。

だから今、夢に挑む。

出合が野球を教えた子供がプロ野球選手に

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去年11月の国際会議では情報収集と人脈作りに努め新リーグのPRにも駆け回った。

外国人との交流を手伝ってくれる助っ人がいた。ブルキナファソ出身のラシィナだ。現在、四国の独立リーグでプロとしてプレーしている。

実はラシィナは子供の頃に出合に野球を教わった一人なのだ。8年前、ブルキナファソへ二度目の訪問を果たした出合は、見込みのある選手を日本に野球留学させようと考えていた。

候補者を見定めながら悩んだ二日間。この時、選んだのが当時15歳のラシィナだった。

ラシィナの家庭は貧しかった。野球をすると祖父から無駄なことはやめろと叱られたという。しかし、それでも夢を信じて走り続けたラシィナ。

来日して2年、練習生から選手契約を勝ち取り、ブルキナファソ初のプロ野球選手になった。

人は誰だって本当は思いを貫いて生きたい。ラシィナの満ち足りた笑顔は今、出合の背中を押してくれる。

年70試合のうち有料試合は10試合

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自治体との折衝も慣れ、この日は美唄市へ。もともとは炭鉱の町。しかし閉山をきっかけに町は衰退ムードに包まれ人口の流出が深刻な悩みになっている。

野球は町に活気を取り戻す力になりうる。チーム名は黒いダイヤ、石炭から名付けた「美唄ブラックダイヤモンズ」。

レラハンクス富良野のチームカラーは大地の緑。アイヌ語でレラは風、ハンクはへそを意味する。

5月に開幕し、年70試合。有料で客を呼ぶのはうち10試合ほどだという。

3月、揃った選手たち。レラハンクス16人。ブラックダイヤモンズ15人。

新型コロナによる緊急事態宣言で延期となっていた開幕戦が5月30日に決定した。

北の大地は今、桜の季節。冬に耐えて花が咲くように、苦しみの先に彼らの思いはきっと実を結ぶ。