1919年第1次世界大戦が終結し、シベリアに拘束されていた戦災孤児の救出をポーランドは世界各国に要請した。だが、大戦後間もない時期…イギリス、アメリカ、フランスとどの国も援助を断ってきた。そんな中…唯一救いの手を差し伸べたのが日本だった。外務大臣内田康哉はすぐ日本赤十字の石黒社長に救援を要請。3年かけ765人の孤児を日本に連れ、助けた。日本に到着した孤児は服がボロボロで、靴もほとんど履いておらず、心身ともに傷ついていた。そんな彼らのため日本中から寄付が届き、慰安会を開いたり、動物園に見学させたりした。そんな彼らを献身的に介護していた看護婦がいた。。彼女は腸チフスを患った子供たちを介護。全員回復へと導いたが彼女自身が腸チフスに感染し殉職した。だが、日本人の懸命な姿勢は今もポーランド人の心に深く残っており、政府は阪神大震災の後、その被災児をポーランドに招待した。