「令和でも語りたい昭和な人たち」#11 世界卓球男子ダブルス金メダリスト 木村興治さん

2025.08.25
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木村興治氏/テレ東リアライブ

5月、カタールで行われた世界卓球。戸上隼輔、篠塚大登組が男子ダブルスの金メダルを獲得してテレビ東京スポーツ局は歓声に包まれた。

2005年の中国・上海大会から中継を開始して20年。64年ぶりの快挙の瞬間だ。そんな歓喜の中、筆者は64年前が気になった。

「1961年の金メダル。誰?」と思っていたら、「木村興治、星野展弥組」の文字が飛び込んできた。「木村興治?木村......、あっ、木村さんじゃん」。

卓球協会で専務理事、副会長を務めていた木村さん。恥ずかしながら、その事実を知らなかった。連絡先を関係者から教えてもらい、会いに行くことにした。

7月末の暑い日。国立競技場近くのジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア内にある「日本スポーツマンクラブ」におじゃました。

現在、木村さんが会長を務めている。御年84歳。「どうも、お久しぶり」。風貌も声も、初めて会った時とほとんど変わっていない。何だかタイムスリップしたような気分だ。

「いやあ、周囲にカタールは大変だからと言われていたんで、家でテレビを見ていましたよ。そこで初めて知ったんです。自分の時以来だと。

ちょっとショックを受けましたね。そこまで日本の男子ダブルスは勝ててなかったんだって」。

木村さんは、サウスポーのペンホルダー。一枚ラバーから裏ソフトラバーに変えて、世界で勝負できるようになった。

自慢のフットワークでフォアに回り込み、強打を打ち込むスタイルが信条。バックはほぼ使わない。「ミスターフットワーク」と呼ばれていた。世界卓球ではミックスダブルスでも2個の金メダルを獲得している。

「ダブルスは動き回れるんですよ。シングルスだと、中国選手に前陣で攻められると動き回れない。自分の技術を徹底して使えるのがダブルス。

僕らが優勝した時は、男子は団体戦もシングルスも負けて最後ダブルスが残っていた。だから、勝ててホッとした、が本音。これで何とか日本に帰れると、思いました」。


篠塚大登 PHOTO:World Table Tennis

同じサウスポーということで、木村さんに篠塚選手のプレーを分析してもらった。

「篠塚選手は非常に柔らかい。左の良さを生かしたフットワーク。ドライブ、スマッシュもいいものを持っている。それを出せれば決勝でも勝てると思っていました」。

では"木村選手"と比較すると?「動きの広さは、僕の方があったと思うけどね」という答えが返ってきた。さすが「ミスターフットワーク」だ。

筆者が初めて木村さんと会ったのは2005年1月、JOCと報道関係者との懇親会。偶然、席が隣になった。

当時、筆者は各競技団体との渉外を担当していたが、卓球協会の人と話すのは初めてだった。当然最初は、卓球世界選手権の放送など考えていなかった。


2004アテネ五輪 帰国する福原愛(c)SANKEI

しかし、テレビのワイドショーが生んだアイドル「天才卓球少女・愛ちゃん」、「泣き虫愛ちゃん」の話になり、俄然興味が湧いた。

前年、福原愛選手はすでに15歳でアテネ五輪に出場しており、テレビ東京でも福原選手の試合を一部放送していた。

「オリンピックじゃなくても視聴率が取れるかもしれない」。それからは担当者を決めて、時間が許す限り卓球協会に足を運ぶことにした。

その後、別セクションからも「卓球はいいと思うよ」という話が上がり、放映権もクリアして4月末から始まる上海大会の準備に取り掛かった。

あっという間の出来事だったが、一方で卓球をわかっているスタッフは皆無。「裏ラバー?」、「接着剤なんて関係あんの?」などなど。まあ、大変だったことを覚えている。

開会前に木村さんと2人で、上海のホテルで食事をする機会があった。専門的なことはチンプンカンプンだったが、すごく頭の中に残っている話がある。木村さんはこんなことを言っていた。

「今は福原はじめ女子が目立っていますが、これから男子も楽しみですよ。岸川聖也(38=現男子代表監督)、水谷隼(36=東京五輪金メダル)という若い子たちが、ドイツのブンデスリーガで武者修行してます。

必ず中国といい勝負をするようになりますよ。これからは、男子もお願いします」。

その時の中国との実力差を考えると、そんなことが現実になるとは到底思えなかったし、「夢を語ってるだけ」くらいの感じで聞いていた。

それがどうだ。その時から20年が経ち、自らの金メダルを上書きするペアが出現するなど、男子の層は分厚くなっている。シングルスも手の届くところまで来ている。

上海の会食を思い出すと、恥ずかしい気持ちが沸き上がってくる。木村さんは今の日本の卓球界の状況を想像できていたのだろうか。

「想像できてはいませんでしたね。ただ荻村(伊智朗=故人、1954、56年世界卓球シングルス金メダリスト、元国際卓球連盟会長)さんと話してプロ化を90年代に進めました。

卓球はメジャーなスポーツではなかったけど、選手には本当の意味で専門家になってもらいたいと思いました。そうでないと中国には勝てない。競技者規定を作って、賞金も選手に全額渡るようにしました」。

スポンサー契約も解禁され、卓球だけで勝負できる基盤を木村さんは整えた。松下浩二さんがプロ1号となり、福原愛さんは10歳でプロ宣言した。

選手が普通に「中国に勝とう」と言える機運が、ここから少しずつ醸成されていった。

「中国という強大な集団に立ち向かっていくためには、個々の選手が極めつきのプロになることが必要なんです。

専門家の集団じゃないと、競技の発展はない。それで"時々、中国に勝つ"でいいんです。中国のように"いつも勝てる"ようなことは、社会構造から言っても難しいですから」。

最後に"木村さんにとって卓球とは?"と尋ねると、「"心と体の友"ですよ」という答えが返ってきた。

「体という部分では、卓球を通じて自己研鑽ができたなと思っています。心の部分は、相手との関わりが心の刺激になるという訳です。

卓球は台を挟んで4メートルくらいの距離で常に相手と顔を合わせています。サービスを出す瞬間、一瞬目を見合わせるんです。相手のことを知りたいと思うのが、卓球なんです」。

卓球台を挟んだ会話を繰り返し、木村さんは多くの仲間を作ってきた。ピンポン外交の初期のころから卓球に携わり、中国との関係も深い。

現在、母校早大が手掛ける「ワセダクラブ」で卓球の指導責任者を務め、「早稲田ファン」の一般の人たちと一緒に汗を流している。まだまだ、現役だ。


張本智和 PHOTO:World Table Tennis

先日行われた「WTTチャンピオンズ横浜2025」では、張本智和選手が中国人の世界王者を撃破して優勝した。

さて世界卓球、五輪の舞台で"中国に時々勝つ"タイミングはいつ来るのか。シングルス、団体戦の金メダル。木村さんにはその瞬間をぜひ見届けてもらいたい、と切に願っている。

テレ東リアライブ編集部 E.T(新聞、テレビでスポーツ現場30年のロートル)