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第5回 織田信長

 1534年5月12日、尾張名古屋一帯を治める織田信秀の長男として誕生した、信長。少年時代は大うつけと呼ばれていたが、15歳で斉藤道三の娘、濃姫と結婚。25歳で尾張を統一、26歳であの桶狭間の戦いで今川義元を破り、天下統一に歩み出す。豊臣秀吉を部下に持ち、徳川家康と同盟を組み、「天下布武」(=武力を持って天下を制す)を旗印に次々と勢力を広げていった。一方で、敵対する者に対しては容赦をせず、37歳の時には比叡山を焼き討ち、女子どもを含め、約3千人を皆殺しにしたともいわれている。41歳で最大のライバル・武田信玄を長篠の戦いで破り、天下統一は目前となっていた。天下人としての威容を示すため、安土城の建設を開始したのは42歳の時だった。
 1582年、信長の天下統一事業はまさに完成直前だった。全国の要所を制覇し、後は中国の毛利氏を攻め滅ぼせば、戦国の世に終止符を打つことができる。しかしある日、毛利攻めに苦心していた秀吉から、出陣を依頼する書状を受け取る。信長は2、30人の近習だけを連れ、居城の安土城を出た。この時信長はまっすぐ毛利攻めに向かうはずだった。ところが、秀吉には合流せず、なぜか京で定宿にしていた本能寺に足を止める。そしてここで、彼が重用し、取り立ててきた部下の明智光秀に襲われ、その生涯を終えることとなる。なぜ、光秀は主君に牙を剥いたのか?実はその理由にこそ、信長のトホホがあったのである!
 
 ある日、信長が近習の者と話をしていたところ、光秀の妻・熙子が美人だと知り、城へ来るように命じた。そしてなんと、廊下で待ち伏せて襲うという暴挙に出た。しかし、熙子に扇で叩かれて暴行は未遂に終わる。信長は、人の物を欲しがる性格の持ち主だったのである。その日から信長は、6歳も年上の光秀を苛め抜いた。キンカン頭とののしったほか、酒の飲めない光秀に対し、「酒が飲めないなら、この刀を飲んで見せろ!」などと絡んだという。
そして極めつけは、徳川家康を招いての宴会だった。
その準備をしていたのは、他ならぬ明智光秀。光秀は山海の珍味を取り寄せ、壮大な宴会を準備していたが、時期が梅雨だったため腐りかける魚が出てきてしまった。その臭いを嗅ぎつけた信長は激怒し、光秀を足蹴にし接待係を解任する。さらにライバルであった秀吉の下での毛利攻め合流を命じ、光秀のプライドはズタズタとなった。
その後、本能寺で光秀に攻められた信長は自害、49歳で激動の人生を閉じる。信長が光秀の妻に手を出すというトホホな事件がなければ、「本能寺の変」は起こらなかったかもしれない・・・。
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テレビ東京