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第13回 大石内蔵助

 1701年3月14日、元禄文化が花開いた、5代将軍・徳川綱吉の時代、江戸中を揺るがす大事件が起きた。江戸城内、松の廊下で、赤穂藩藩主・浅野内匠頭が高家筆頭・吉良上野介に斬りつけたのである。天皇の使者を迎える大役を任せられた浅野内匠頭。だが、その指導係となった吉良上野介にしきたりを教えてもらえないばかりか、多くの恥をかかされ、さらに面前で吉良に罵られたことに耐えかねての行動だった。当時、江戸城内での刃傷沙汰はご法度。浅野内匠頭は即日切腹、赤穂藩は取り潰されることとなった。
 そして一方の吉良が、軽傷で生きていることを知った赤穂藩士たちは、筆頭家老・大石内蔵助を中心に復讐を誓う・・・というのが通説だが、ここに大きなトホホが隠されていた。なんと内蔵助は、討ち入りをしたくなかったのである!
 松の廊下の刃傷事件から5日後、内蔵助は赤穂城に家臣たちを集め今後の方針を決める会議を開く。藩士たちの意見は「籠城」「城の明け渡し」「吉良への復讐」「切腹」という4つに分かれ、大揺れに揺れる。ここで内蔵助は、「吉良の首をとる」という胸の内を告げ、浪士たちはこれに合意、さらに彼は誓約書を提出させるが、その本心は違っていた。これらは、あくまで家臣たちを静めるための行動であり、内蔵助は討ち入りする気はなかったのである。
 事件から1カ月後の4月15日、内蔵助は赤穂城を明け渡し、藩士たちは仇討ちを胸に秘めながら、バラバラに散っていった。赤穂を離れた内蔵助は、京都の山科に引きこもる。しかし当時、山科に住むということは、朝廷の仕事をするということを意味し、つまり内蔵助は次の就職先をさがしていたのである。
 そして主君の無念の死から1年半の1702年12月14日、大石内蔵助と46人の義士たちは江戸の吉良邸へ向かい、ついに討ち入りが決行される。だがこれも、貧しさにあえいでいた浪士たちからの突き上げが厳しく、内蔵助は討ち入りを決行せざるを得なくなっていたためだったのであった・・・。
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テレビ東京