番組概要
バックナンバー
出演者プロフィール
ご意見ご感想
TOPへ戻る
 
     
 
第16回 野口 英世

 野口英世は、1876年11月9日、福島県翁島村、現在の猪苗代町で貧しい農家の長男として生まれた。本名は、野口清作。1歳半の時、彼の人生を左右する大事件が起きる。囲炉裏に落ちた清作は左手を大やけどし、それ以来、自由がきかなくなってしまう。左手が不自由になった清作は勉学に励み、小学校の成績はいつもトップクラスだった。
 
  16歳の時、清作は友人からの援助で手術を受ける。あきらめていた左手が治り、医学の素晴らしさに感動した清作は、医学の道を志す。高等小学校を卒業後、左手の手術を受けた会陽医院の渡部先生の元で書生となり、医学への第一歩を踏み出す。
 20歳で医術開業試験に合格した清作は、2年後に日本細菌学の権威、北里柴三郎のいる伝染病研究所に勤務。この頃、名前を英世と改名する。
 本格的な細菌研究のため、24歳でアメリカに渡った英世は、ペンシルヴァニア大学での「蛇毒」の研究が認められ、28歳でロックフェラー研究所に入る。研究に没頭した英世は、次々と偉大な業績をあげ、世界中にその名が知れ渡ることとなる。
 
  そして1918年、第一次世界大戦の真っ只中、英世は当時世界的に問題になっていた黄熱病の病原体を解明する委員会のメンバーに指名される。これは、世界で注目され始めた彼に白羽の矢が立ったためである。
黄熱病の病原体は、以前研究したことのある「梅毒」と同じ種類のものと考えていた英世は、解明に自信を持っていた。さっそく研究は開始され、英世は連日寝る間も惜しんで研究に励んだ。そしてわずか9日目に、黄熱病の病原体を発見するのである。
 その後、英世はすぐさま黄熱病予防の「野口ワクチン」を開発、エクアドルに広まっていた黄熱病は沈静化した。この功績をたたえ、エクアドルでは名誉軍医などの要職に任命され、野口ワクチンは瞬く間に世界に広がった。世界の救世主となった英世は、細菌学者の頂点に立つ。
 しかし、その裏に野口英世の人生最大のトホホが隠されていた!
 世紀の難病だけに、発見があまりにも早すぎることから疑問視する声があがる。臨床試験が開始されてから4年後、英世が発見したのは黄熱病の病原体ではなかったことを指摘されてしまう。
 黄熱病は「菌」でなく、「ウイルス」。当時の性能の悪い顕微鏡では、細菌の約20分の1の大きさしかないウイルスは、見えるはずがなかった。つまり英世は、全く別のモノを見て黄熱病だと思い込んでしまったのである・・・・・・。
Back
 
 
テレビ東京