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第18回 おねVS淀殿

1588年、22歳の茶々(後の淀殿)は、かねてからの豊臣秀吉の熱望を受け、側室となる。だが、茶々にとって秀吉は実の父と義理の父、さらには母・お市の方を死に追いやった敵。しかも、叔父の信長が手に入れるはずだった「天下」を漁夫の利ともいえる形で手に入れた秀吉は、茶々からすれば天下をかすめとった泥棒で、嫌悪感しかなかった。
 織田信長の3人の姪、茶々、お初、そしてお江与には課せられた使命があった。それは、織田家の野望である天下を取ること。次女のお初は室町幕府と繋がりの深い京極家へ、3女のお江与は徳川家康の息子・秀忠に嫁いでいた。そして長女である茶々は、最も早く天下を狙える、当時の天下人・秀吉に近づいたのである。
 しかしそこには、秀吉の正妻であるおねが待ち受けていた。長年連れ添ったにも関わらず、おねは子どもに恵まれなかった。そこで秀吉は有力大名や名家の娘を次々と側室として迎え、淀殿を含めその数は16人にものぼっていた。だが不思議なことに、誰一人として秀吉の子を宿すことはなかった。おねはなんとか自分の血縁者を世継ぎにしたいと、甥の小早川秀秋を養子に迎え、このまま子どもが出来なくても、秀秋が秀吉から天下を譲り受けるに違いないと確信していた。
しかしこのもくろみは、茶々によって打ち砕かれる。なんと側室に入った翌年に鶴松という男の子を出産したのだ。秀吉は鶴松誕生に驚喜するが、おねは自分と秀吉が大きくした豊臣家を、横取りされることに我慢ができなかった。
 ところが、世継ぎである鶴松を産んだことで、茶々の城内での存在は徐々に大きくなっていく。しかも秀吉は鶴松を育てるために山城に城を建てさせ、茶々に与える。これが淀城で、以降茶々は淀殿と呼ばれることになる。こうして淀殿は一介の側室の身から豊臣家でただ一人、御台の地位を得る。そして、この頃から徐々におねを軽んじるようになる。いくら正室とはいえおねは足軽の娘、そこへいくと淀殿は大名の姫であった。
 しかし、思ってもみない悲劇が淀殿を襲う。彼女の野望を背負った鶴松がわずか2歳で急死、やり場のない怒りを茶々はおねへと向けていく。これで秀秋が世継ぎになる可能性が出てきたが、この願いは、またしても淀殿によって打ち砕かれる。鶴松の死からわずか2年後、淀殿はまたも男の子を出産する。これが後の秀頼である。この奇跡の子、秀頼の存在が豊臣家を、そしておねと淀殿の確執をさらに深めていくことになる。
 これまでは、側室が世継ぎを産んだ場合、その子は正室に預けられ育てられるのが慣わしであった。ところが淀殿は秀頼を自分の手で育てることを主張し、おねの正室としての面目を潰したのだった。さらに秀吉は秀頼をただ一人の世継ぎとするため、養子をすべて追い出し、おねの甥・秀秋も小早川家へと追いやられてしまう。
 これに怒ったのが、加藤清正らおねに可愛がられてきた尾張派と呼ばれる武官たち。次第に豊臣家は、武官である尾張派と文官である近江派に別れ、それぞれおねと淀殿を頂点とした派閥が出来上がっていく。そんな最中の1598年、秀吉が62歳で死去。おねと淀殿の全面対決をおさえていたくさびが外れてしまう。
 秀吉の遺言に従い秀頼とともに豊臣家の権力の象徴である大坂城に入城した淀殿は、自分こそ秀頼の母であることを世間に知らしめる。一方のおねは、二人が大坂城に入ると京都へ移る。そしてこの時、淀殿が思いもしなかったトホホが待っていた!
 淀殿は自分とそりの合わない豊臣家の大番頭・徳川家康が大坂城に住むことを禁じていた。するとおねは、自分が住んでいた西の丸を淀殿に内緒で家康に譲る。結果、大坂城に入った家康は自分の意見に反対する淀殿一派の粛清を行うのである。
 そして1600年、尾張派と近江派は、ついに「関ヶ原の戦い」を迎える。これは表面的には豊臣家の家臣である石田三成と徳川家康の対立だが、その裏には二人の女の戦いがあったのである。
 その後、裏切り者が相次いだ淀殿派は、数の上でも劣勢となり、関ヶ原の戦いはおねの圧勝で終わりを迎える・・・・・・。
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テレビ東京