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第20回 レオナルド・ダ・ヴィンチ

時は学問や芸術の文化が花開いた中世ルネッサンスの時代。レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日にイタリアのフィレンツェに程近いヴィンチ村で生まれた。ダ・ヴィンチとは"ヴィンチ村出身の"という意味を持つ。公証人の父と農家の娘だった母は、正式に結婚できなかったため、レオナルドは私生児として、幸せとは言い難い幼少期を過ごす。
 14歳の時、レオナルドは父に連れられ、芸術の都フィレンツェへ。当時名を馳せていた画家・ヴェロッキオの工房に弟子入りすると、驚くべき絵の才能を発揮する。
 25歳で「受胎告知」を完成させたレオナルドはその後独立し、自分の腕をさらに磨こうとミラノに移る。そこで彼は、あの世紀の大作「最後の晩餐」を描く。構図、表現力ともに、これまでの絵画の常識を覆したこの作品は、彼の名をヨーロッパ中に知らしめた。
 そして51歳の頃、レオナルドは「モナ・リザ」の制作に着手する。しかし、遅筆や他分野の研究のため、なかなか作品を仕上げることが出来なかった。一方、ライバル・ミケランジェロは次々と傑作を完成させ、レオナルドは、このままでは芸術界No.1の座を、年下のミケランジェロに奪われることを恐れていた。
 その頃、芸術の中心はフィレンツェからローマに移りつつあり、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の祭壇に「最後の審判」を描くという大計画が持ち上がっていた。もしこれを描くことが出来れば、再び自分の名声が世に轟くと考えたレオナルドは、仕事を依頼されることを想定し、完璧な傑作を描くための準備をすすめる。この準備とは、人体の解剖。しかし当時、人体解剖は神の領域を侵す悪しきこととされていた。だがレオナルドは、死者の体にメスを入れ、骨格や筋肉の構造を知ることが出来れば、よりリアルな人間が描けると考えていた。彼は病院で人体解剖に励み、夢中でデッサンに取り組んだ。
 そんな折、当時のローマ教皇レオ10世から、肖像画の依頼が舞い込む。これを足掛かりに、「最後の審判」の制作に漕ぎ着けたいと、レオナルドは、まず絵の具をしっかりと定着させるニスを作り始めた。ところがこれを知った教皇は、絵を描く前から仕上げのことを考える男には何も任せられないと、機嫌を損ねてしまう。さらに追い討ちをかけるように、レオナルドが雇っていた職人が、彼が死体を切り刻んで魔術を行っていると告発する。
 その結果、レオナルドは教皇に死体解剖を全面禁止され、彼の評価はどん底まで落ちてしまう。以後、仕事の依頼はぷっつり途絶え、もはやイタリア芸術界から追放されたも同然となってしまった。しかも、結局「最後の審判」の制作は、あの宿命のライバル・ミケランジェロの手に渡ってしまったのであった・・・・・・。
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テレビ東京