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第36回 秀吉とおね(女太閤記)

 1561年、織田信長が桶狭間において今川義元を討った翌年、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は足軽組頭・浅野長勝の養女おねと祝言をあげた。この時、藤吉郎25歳、おね14歳。おねはもちろん初婚、藤吉郎は二度目の結婚であった。足軽であった藤吉郎にとって、おねの父は足軽組頭、つまり上司の娘であった。
一介の足軽では、板張りの床に藁にくるまるのが精一杯だったが、おねにとって好きな夫と枕を並べて寝られるだけで幸せだった。
 しかし、世は戦国時代。藤吉郎の主君信長は日の出の勢いで、その勢力を伸ばしていた。妻となったおねは、武家の娘らしく藤吉郎を内助の功でサポートし、戦に出て出世を狙う夫のため、信長に直訴をする。こうして藤吉郎は納戸役という裏方から一躍、歴史の表舞台に登場する。さらに1566年の「墨俣の一夜城」で、その名を天下に知らしめ、急速に出世の階段を上っていく。
 1574年、結婚から13年目にして、藤吉郎は近江長浜の城主に就任、最下級の身分から一国一城の主にまで上り詰める。そしてこの時、名を羽柴秀吉と改める。通常、新城主は領民に新たな税を課すのが通例であった。秀吉もそれにならい長浜の領民に課税をしようとしていたが、おねは民衆の訴えを代弁し、新たな課税を取りやめさせる。この一件で長浜の支配は安定、その手腕は信長をも感嘆させ、さらなる出世の足掛かりとなった。

 おねと出会い、秀吉は異例の出世を遂げた。しかし、二人には大きな問題があった。結婚13年目にして、まだ子どもが出来なかったのである。おねは、自分に出来ることは、せめて夫の出世を助けることだと思っていた。
だが、このおねの内助の功が、女太閤といわれた彼女にとって、思わぬトホホをもたらした・・・・・・。
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テレビ東京