「お父さん、お母さん・・・やっと満州に帰ってきました」。森田美咲は55年ぶりに中国の大地を踏んだ。その手には、母の波子、美咲、ロシア人のエレナが氷室啓介を囲んでいる写真。

目を閉じた美咲に、子供の頃のおぞましい記憶が蘇る。家庭教師だったエレナが、森田家に出入りしていた男・氷室啓介に処刑された惨劇――その一部始終は、幼い美咲と公平、そして母・波子の目前で行われたのだ。それは、赤い月の夜のことだった…。



美咲達、森田一家が小樽から満州に渡ったのは昭和9年5月のこと、母・波子は30歳、父・勇太郎は33歳、長男の一男は9歳で美咲は3歳だった。

波子達がたどりついた牡丹江駅には、当地の手引きを担う塚本という男がいた。勇太郎と波子は、小樽時代の知己・大杉寛治と、塚本の口利きで酒造りに活路を見いだす。大杉は関東軍の参謀副長、塚本は満州で幅をきかせる協和物産の社員だった。

波子と勇太郎夫婦の必死の努力と、越後白雪のベテラン番頭・池田の尽力により、森田酒造は日本酒「弓鷹」の醸造に成功し、もともとの住民だった匪賊の襲来におびえながらも、財を成していく。

波子達の奮闘があったからこそ森田酒造は成功したわけだが、その影に関東軍の大杉の力が大きく影響していたことは否めない。大杉は波子の初恋の相手だった。



昭和14年の満州。軍人達に「弓鷹」を振る舞っていた波子は、ライバル会社「凱歌」の女社長・原洋子と知り合う。洋子は夫に先立たれたあと、女手ひとつで日本酒「凱歌」を守り、牡丹江日本婦人会の会長も務めるバイタイリティあふれる女性だった。女でありながら自立した考えを持つ波子と洋子は共感し、うち解け合う。

翌年の冬、波子に一通の手紙が届く。大杉からの手紙だ。波子と二人だけで会いたい、大杉はそう手紙に書いた。手紙を知った勇太郎の心は騒いだ。二人が会ってもしものことがあったらどうすればいいのだ。

勇太郎の心配を笑った波子だったが、実際に大杉に会うと、求められるままに関係を持ってしまう。大杉は波子を想い続け、独身を通していたのだ。



昭和18年、波子は、塚本が連れてきた氷室啓介(22)と出会う。氷室は謎めいた雰囲気と、悲しげな瞳を持つ若者だった。

氷室と共に森田家を訪れたロシア人エレナ(21)に、一男は一目ぼれする。氷室は、エレナの父親から彼女のことを日本人男性から守ってほしいと頼まれていたので、エレナに代わって一男の誘いを断る。一男は氷室に対抗心をわかせ、二人は剣道で決闘した。波子は一男の身を案じながら、氷室を捨て置けない自分にうろたえる。

結果は氷室の圧勝だった。それをきっかけに氷室とエレナは急激に接近し、二人は恋に落ちる。波子はそのことにまったく気づかず、エレナを美咲の家庭教師として雇い入れた。

昭和19年5月、一男とエレナの家を訪ねた波子は、氷室とエレナの情事を目撃してしまう。波子に激しい嫉妬が燃え上がった。



翌昭和20年8月、明日にもソ連が侵攻してくるかもしれない状況で、大杉が別れを告げに波子を訪ねてきた。その会話をエレナが立ち聞きする。波子は確信した。エレナはロシアのスパイに違いないと。

匿名の密告書を受けとった氷室は我が目を疑った。協和物産の社員というのは仮の姿で、氷室の正体は関東軍情報部所属の軍人だったのだ。上官は氷室にエレナの処刑を命令する。

兵隊達と森田酒造に踏み入った氷室は、エレナの所持品から、彼女がスパイであることをつきとめる。必死に止める波子を払いのけ、氷室は恋人エレナを処刑した。



日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が満州に侵攻すると、森田酒造も騒然となった。満州人の暴動が起こり、波子は家を捨て、避難することを決意する。勇太郎は、新京(現・長春)の組合理事会に出て留守である。二人の子供を守れるのは波子しかいない。

ところが、牡丹江駅に着くと、避難列車は軍の関係者で占められ、波子たち一般庶民は後回しにされる。

波子は、氷室に助けを求める。関東軍の軍人である氷室なら何とかしてくれるはずだ。波子はその冷徹な眼差しを見据えて頼んだ。

氷室から避難許可証を手に入れた波子は、洋子達が待つ自宅に戻る。が、洋子は日本に戻ることをやめた。夫の墓を残して帰れないと言う。池田も居残りを決めた。波子は洋子に見送られ、子供たちとよしこ、妙子、つねの3人の女中達、そして八重を伴い、駅へ向かう。

波子達を乗せた列車が向かったのは、ハルビンだった。途中、ソ連軍機の機銃掃射に何度となく列車が襲われ、多数の死傷者が出た。12時間で到着する距離を、波子達は4日がかりでたどり着く。



8月15日、波子達の到着直後、日本は無条件降伏を受け入れ、勢いづいた満州人たちは、金目の物から手荷物まで没収した。

市内のホテルに宿をとった波子は、美咲の頭を丸める。ソ連軍の兵士に強姦されるのを避けるためだ。が、ホテルに押し入った兵士達に恐怖した美咲は、思わず女の悲鳴を上げてしまう。美咲に目をつけた兵士の前に、八重が進み出て、胸を突き出して見せた。兵士は八重と女中達を隣室に連れていく。

犯された女中達は傷つき、泣いた。朝鮮人だったために一人、難を逃れたよしこは、居たたまれず、朝鮮に帰ることを決める。八重はよしこと途中まで同行し、実家の下関を目指すことにした。



波子達は、身の安全のため、避難民が集まる難民所に移った。そこでの生活は悲惨なものだった。一日二回の粗末な食事に腹をこわし、周囲の人間が次々と死んでいく。

そんな時、勇太郎が帰ってきた。波子と子供達は喜び、勇太郎に抱きつく。ところが、せっかく再会できたというのに、勇太郎は強制労働に就くため自ら志願してソ連兵に連行される。

勇太郎が去ったあと、波子は決意した。格安でアパートを借りた波子は、煙草や大福餅を仕入れ、路上で商売を始めた。



牡丹江に連行された勇太郎は、わが家だった家を見て泣き崩れる。そこには、中国人の家族が住んでいた。勇太郎は絶望のあまり、死のうとする。

そんな勇太郎を助けたのは氷室だった。氷室は関東軍の軍人だった身分を隠し、殺された森田家の若番頭、村中の徴兵延期証書を利用して逃走し、ロシア語を話せることから、ソ連軍の通訳になっていた。氷室は勇太郎を励まし、捕虜収容所を出ることが決まると、一緒にハルビンまでついていく。

帰ってきた勇太郎に付き添っている氷室を見て、波子はさらに驚いた。しかし、氷室は勇太郎を引き渡すと、姿を消してしまう。



波子達のもとに戻った勇太郎の体調は思わしくなく、冬を越すことはできなかった。満46歳の生涯だった。

火葬するお金のない波子は、冷たい大地に勇太郎の亡骸を埋葬する。夫が死んで、生きる希望を失ってしまった波子。そんな彼女の前にハルビン手広く商いをする鄒琳祥が現れる。

そこで波子は、阿片で全身を蝕まれた氷室と再会する。氷室を救いたいとアパートに連れ帰った波子は、懸命に看病する。夫が死んですぐに別の男を部屋に入れる母親に対し、不潔だと厳しく批判する美咲と公平。しかし、波子は地獄の苦しみに耐える氷室から目を逸らさない。やがて、波子の看病のおかげで氷室は危機を脱する。

その頃、ハルビン市街では、民主連軍が、日本人たちを人民裁判にかけ、処刑を行っていた。波子たちはその中に、塚本がいるのを発見する。駆けつけ、助けようとするが、塚本は波子たちの目の前で処刑されてしまう。その後、氷室は波子の前から姿を消してしまう。



7月、日本への総引き揚げが決まる。波子は、鄒琳祥に頼み、氷室の元へ向かう。氷室は、総引き揚げの決定を知っていた。が、ハルビンに残り、日本人難民を一人残らず日本に帰した後、関東軍の軍人であると中国政府に自首するつもりだと打ち明ける。

波子は、その日、氷室と初めて結ばれる。

氷室の愛情を受けることは、波子が子供達を守って生きていくために、どうしても必要なことだった。が、氷室のもとから帰ってきた波子を、美咲と公平は許さなかった。波子は子供たちに話す。「生きて、生きて、生き抜くのよ」。



55年ぶりに牡丹江を訪れた美咲は、その後、一人の老人に会うために晩夏の京都を訪れる。波子から預かったエレナの十字架を渡すために・・・。


※ 満州国・・・ 満州事変の翌年、1932年に、日本が中国東北三省および東部内蒙古を範囲に作り上げた傀儡国家。皇帝は、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀。1945年、日本の敗戦により消滅した。