古代文明ミステリー たけしの新世界七不思議大百科 第5巻

テレビ東京テレビ東京
バラエティ・音楽
2018年1月5日(金)よる9時放送

みどころ

古代文明ミステリー たけしの新世界七不思議大百科 第5巻

2018年1月5日(金) 夜9時放送

現代のインディ・ジョーンズ、ビートたけしが、編集長として七つに収まりきらない世界の不思議を網羅する『新・世界七不思議大百科』。
第5巻となる今回のテーマは、「英雄たちの死の謎」。「聖徳太子」「チンギス・ハン」「西郷隆盛」。
さまざまな角度から、真相がはっきりしない「英雄たちの死の謎」を探ります。

出演者

MC:ビートたけし
賢人:吉村作治、荒俣宏
ゲスト:栗山千明 千葉雄大
進行:須黒清華(テレビ東京アナウンサー)
VTR:堺屋太一 ほか
リポーター:前川泰之、中田あすみ

番組概要

2007年から続くお正月恒例の『たけしの新・世界七不思議』シリーズ。7年かけて「新・世界七不思議」として「ナスカの地上絵」「チチェン・イツァ」「モンサンミッシェル」「パルテノン神殿」「平城京」「アヤ・ソフィア」「カルナック神殿」を選定。
2014年からは「大百科」の編纂がはじまり、第1巻には「マヤ文明の秘宝 ヒスイの仮面」「大英博物館の至宝 ロゼッタ・ストーン」、第2巻には「ローマの円形闘技場 コロッセオ」、第3巻は「ルーブル美術館の至宝・モナリザ画」。第4巻は「ツタンカーメンの黄金のマスク」「大坂城」。
期待の第5巻、知的好奇心あふれるたけしの、壮大な歴史エンターテインメントをお楽しみください。

内容

沖ノ島と聖徳太子の知られざる関係!?古代日本の英雄を襲った悲劇の結末!!

聖徳太子

聖徳太子は47歳の若さで死す!いったいなぜ?その死に隠された謎…!
2017年7月、「神宿る島 宗像沖ノ島と関連遺産群」として九州の沖ノ島とその周辺が世界遺産に登録された。この島で発見されたおよそ8万点もの古代の宝物。数々の宝物はなぜこの絶海の孤島で発見されたのか?
593年、厩戸皇子のちの聖徳太子は、19歳にして日本初の女帝・推古天皇の摂政の地位に就いた。聖徳太子の偉業の一つが「遣隋使の派遣」。607年、遣隋使として小野妹子を送り大国・隋の煬帝に小国・日本の存在を認めさせ、遣隋使計画を成功させた。遣隋使の成功の裏には、大陸や朝鮮半島との交易を支えた頑丈な船と「宗像・海人族」の優れた航海術が必要だった。
遣隋使からもたらされる、最先端の仏教、法律などにより、聖徳太子は着々と律令国家の礎を築いた。しかし遣隋使の目的には、もっと重大な意味があった!不安定な朝鮮半島情勢の中で、隋を頂点とする東アジア全体の和平構想を描いていたのだ。
だが、619年、超大国・隋は小国・高句麗に敗れ消滅。3年後の622年、聖徳太子の母親が死亡、その3カ月後に聖徳太子の妻が死亡、そしてその翌日には聖徳太子が逝去。伝染病が流行っていたというが、聖徳太子が亡くなった時に、高貴な身分の人の死に際して行われる特別の儀式が行なわれなかった。
聖徳太子は、病死ではなく、だれかに暗殺されたのではないのか?いったい誰が?なぜ?

一代で世界帝国を築いたチンギス・ハーン 恐怖の支配と隠し通した墓の謎!?

チンギス・ハーン

たった20年で世界最大のモンゴル帝国を築いたチンギス・ハーン。800年謎だったチンギス・ハーンの墓の行方、その答えが明らかになる!?
チンギス・ハーンは1226年、64歳の時に西夏制圧のため首都・寧夏を目前にして、狩猟中に落馬した傷が悪化し、1227年8 月に逝去。その死は絶対の秘密にされ、西夏国王とその一族、そして寧夏城の住民のみならず、「東方見聞録」によれば亡骸を移送する際に出会った者をことごとく殺りくしたと伝えられる。そして、ひそかに埋葬され、その後、その場所は800年経った今でも誰にも知られることはなかった。なぜ、モンゴルの父ともいうべき英雄チンギス・ハーンの墓は徹底的に隠され続け、痕跡の欠片も残されていないのか?
そんな中、新たな発見が世界を揺るがせた!アメリカのナショナルジオグラフィックのチームがチンギス・ハーンの墓の場所を「特定した」というニュースが流れた!その場所は、昔から墓の候補として有力視されてきたがなかなか証拠が見つからなかった聖なる山ヘンティーン。彼らが調査したのは伝説で有名な「頂上の天空の祠」ではなく、中腹にあった別の祠。レーダー探査したところ、地下に不思議な建造物を発見した。長方形の壁に覆われ、その内側のさらに下に墓らしき埋蔵物が。年代測定をしたところ13 世紀のもので、まさにチンギス・ハーンの時代のものだったのだ!
果たして、本物のチンギス・ハーンの墓なのか?

顔の無い英雄・西郷隆盛 誰もが愛した男の本当の姿と驚愕の死!?

西郷隆盛

教科書にも載っている“その顔”は本当の西郷の顔ではない!?
西南戦争、そして西郷の自決…。しかしその死は自決ではなく他殺!?
明治10年の西南戦争が終結。戦場で自決した西郷隆盛の遺骸には首がなかったことから、様々なうわさが流れ続けてきた。西郷隆盛は写真を撮られることや肖像画を描かれることを極端に嫌った。そのため本当の顔を描いたものは存在しないという。教科書に載っている肖像画も、イタリア人画家が依頼されて、同じ薩摩出身の人物をモデルに描いたものなのだ。
そんな中、2014年、「西南戦争で西郷隆盛の首を発見した男」千田登文の履歴書が発見され、「ある屋敷の側溝で発見された首」が本物の「西郷の首」だったことが証明されたのだが、その死に新たな疑惑が・・・、自決ではなく、他殺の可能性が高いというのだ。
その人柄ゆえに、味方ばかりか敵までも虜になったという明治維新最大の英雄である西郷は、なぜ殺されなければならなかったのか?幼少期からの盟友であった大久保利通が刺客を放った驚きの理由とは?
万人に愛されたがために、自らの死を呼び寄せたかのような西郷の生きざまに隠された死の真相・・・、西郷を殺めた者の正体・理由とは!?