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出雲
リポーター:森下千里 |
古代神話の里として有名な出雲、今縁結びの里として若い女性たちに注目されています。
縁を求めてやってきたのは、森下千里。出雲大社前駅から「出雲大社」に向かい縁結びの事について色々と説明を受けます。「出雲大社」は大国主命が縁結びの神様として有名であり、旧暦にあたる10月には神在月と称し全国の八百万の神々が集まることでも有名です。
さらに詳しく話を聞くために、すぐ隣にある「出雲歴史博物館」へ向かいます。ここには「縁結び図」という神々が縁結びの取り決めをしている絵を見ることができ、さらに詳しい話を聞くことができました。小腹がすいてしまい博物館の方に勧められ、「ぜんざい学会」にてぜんざいをいただく事に、ここのぜんざいは出雲を訪れる観光客に大人気という。甘い物を堪能した後は出雲大社前駅から松江にある「八重垣神社」に向かいます、列車は宍道湖の北部を通るルートで宍道湖の景色を楽しむ事ができます、松江に着くと宍道湖の恵に舌鼓をうちたいと、スズキの奉書焼を現代に蘇らせた「臨水亭」にてランチをいただく。
バスに乗り「八重垣神社」へ、スサノオとイナダ姫のヤマタノオロチ伝説が縁結びの物語だということを知ります。縁結びを占う鏡の池の占いをし大満足の結果に。旅の疲れを癒す宿は、日本三大美人の湯の一つ湯ノ川温泉にある、弥生式住居を再現した、宿「松園」。
こちらでは弥生の宴という、古代の人々が食べた食材を使った料理を食べることができます。古代人の生活を堪能した翌朝、電車に乗り、斐伊川に向かいます。斐伊川は当時暴れ川として有名で、これがヤマタノオロチ伝説につながったのではないかとも言われています。川の近くに、「八本杉」と言われる、ヤマタノオロチの墓があり、地元に本当にあった伝説のように語り継がれています。電車に乗り「古代鉄歌謡館」に向かう。神楽「八岐大蛇退治」を鑑賞、演武をした方々に伝説について話を伺い、スサノウとイナダ姫が住んだと言われる、須我神社の存在を知ります。本当に実在したかのような二人の真相確かめるべく、須我神社へ向かいます。日本初ノ宮と称されるこの神社は、日本で一番最初の和歌が作られた事でも有名です、その歌が日本で最初のラブソングだと気づいたとき、縁を巡る旅を締めくくります。
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大阪~京都
リポーター:大和田獏 |
陰陽師「安倍晴明」の謎を解きに、大阪へとやってきたのは大和田獏。
まずは安倍晴明生誕伝承の地と言われる「安倍晴明神社」へ。神社に入ると五芒星のマーク。星型の神紋(セーマン)は陰陽道で用いる代表的呪術図形。安倍晴明が作った独特のもので「晴明拮抗印」ともよばれる。宮司に話を聞くと、なんと「晴明の母は狐の化身」だという。晴明の父、保名(やすな)がある日狐を助け、後日狐は恩返しに、人間の女性に姿を変え、「葛の葉」と名乗り、保名の妻となって晴明を産む… JR阪和線、北信太駅近くの「葛の葉稲荷神社」に晴明の母が祭られているというので、早速向うことに。樹齢三千年の大楠(オオクス)を眺めながら鳥居をくぐり参拝。謎のルーツを持つ安倍晴明が正史に登場し活躍するのが、みなさんご存知の通り京都です。心躍らせながら大和田は大大阪を後にし京都へと向う。 京都でまず向ったのが、京都駅から程近いところにある平安京創生館。そこには平安京の町並みが再現された巨大な模型が展示されている。大学教授の山田先生によると、桓武天皇の平安京造成には風水が用いられていました。怨霊からの防御が理由の一つにあったそうです。実は京造成の裏で活躍したのが、風水に精通していた当時の陰陽師たちで安倍晴明もその一人だと言われている。話を聞いた大和田は、当時の権力者にとって、「方角・方位」というのが実に重要だったと考える。その方位の神様を祭る大将軍神社へ向う大和田。ここには晴明の子孫の古天文学資料が数多く陳列されている。宮司の話を聞いて、安倍晴明は今で言う「天文博士」もしくは「気象予報士」みたいな人だったのではと考える。次に大和田は、安倍晴明の邸宅跡に建てられたという「晴明神社」へ向った。参拝客でいっぱいで、中でも若い女性の姿が目立つ。晴明のお守りを購入し、今夜の夕食処「閑臥庵」へ。門をくぐるとお堂があり、中の像には「鎮宅霊符神」とある。実はこれ、安倍晴明が魂を入れたとされ、方除・厄除けの神として信仰されているものなのだ。
お堂の隣が食事処であり、人気の普茶料理が楽しめる。大和田は9240円のコースを注文。翌日は京都駅から電車とバスを乗り継いで福井県名田庄へ。なんと安倍晴明の末裔がいるというのだ。末裔に伝わる安倍晴明ゆかりの話を聞き、最後にお払いを受けることにした大和田。そのお払いも一般的なお払いと違ってまさにミステリアス!伝説の安倍晴明にぐっと近づけた、大満足の旅になりました。 |

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長野
リポーター:永島敏行 |
長野県・諏訪地方にある、御柱3000本の謎を解きにやってきたのは永島敏行。
新宿駅からスーパーあずさに乗り、下諏訪駅に降り立つ。目の前には大きな御柱が…。 そう、諏訪といえば7年に一度行われる日本の奇祭「御柱祭」が行われる場所としても有名で今年がその年である。まずは諏訪大社に巨大御柱があるということで「諏訪大社下社春宮」へ。そこには巨大御柱が4本立っていた。実は諏訪大社にはこうしたお宮があと3つあり、計16本の御柱がある。今年行われる御柱祭の大総代が、茅野にある「諏訪大社上社本宮」に居るということで、電車に乗って下諏訪駅から茅野駅へ。 上社本宮前のお茶屋さんで大総代の五味さんと出会った永島、諏訪名物のところてんを食べながら、「御柱」ひいては「御柱祭」について語る。町を歩いてみると、あちらこちらに小さな御柱が…小さな祠やお地蔵さんの周りにも御柱が立っている。諏訪大社の御柱祭は一段落すると、秋から「小宮」と呼ばれる行事が年末まで諏訪各地で行われる。諏訪中の神社という神社が御柱祭をするため、諏訪だけで御柱の総数は3000本にも上るとされている。こうした御柱は昔から続く諏訪独特のものだとされている。その起源を探るため、永島は長年「諏訪信仰」を研究をしてきた田中先生に解説してもらうことに。田中先生によれば、「諏訪信仰」の起源は縄文だ…という。
永島は再び下諏訪へ。誰が何のために作ったのか謎の石仏「万治の石仏」を眺めた永島は、本日のお宿へ向かう。下諏訪の温泉街を歩く永島。通りには温泉がかけ流されている。「綿の湯」と呼ばれ、諏訪大社の神が化粧したお湯との伝説もある。「御宿まるや」は1日に3組しか予約は入れないことでできる手厚いおもてなしが人気。「綿の湯」に浸かり、御柱に思いを馳せる永島。一泊2名一室で21000円。御柱の起源が古代…という説はまさにミステリー、ということで翌日は諏訪の古代巡りに。茅野駅からバスで尖石縄文考古館へ。そこで縄文時代を代表する土偶、「縄文のビーナス」、「仮面の女神」と対面。また、尖石縄文考古館近くの中ッ原縄文公園には、古代に立てられていた巨大な木柱が再現されていた。やはり御柱は古代から続く信仰だったのではと考える永島。
昼食に向かったのは「信州マタギ亭」この店は地元で獲れる鹿や猪、熊の肉を食べさせるお店。猪鍋コース4000円~。実は諏訪地方は昔から獣肉を食す文化が色濃く残っているという。 諏訪の巨大御柱を眺め、町を歩き古代文化に触れる旅の中で永島は、「御柱」ひいては「諏訪信仰」に古代から連綿と続く人間のありのままの自然な姿を見つけることができました。 |

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奈良
リポーター:高木美保 |
卑弥呼で盛り上がっている奈良県、本当に奈良に卑弥呼がいたのかを確かめに来たのが高木美保。
さっそく奈良駅から電車に乗り込み、卑弥呼に関する重要な物が見つかったという「黒塚古墳」へ。発掘されたものが展示されている「天理市黒塚古墳展示館」に卑弥呼と発掘品の関係を尋ねる。
しかしこの古墳にはさらに重要な物、卑弥呼や当時のシャーマンがかぶった可能性のある「日本最古の木製仮面」も発掘されました。この木製仮面をクッキーにしたという「三輪座」という喫茶店でお店の人と卑弥呼談義で盛り上がる。再び電車に乗り込み、田原本町にある「唐古・鍵遺跡」に向かう。この遺跡は今からおよそ2,000年前に栄えた、弥生時代の代表的な集落の遺跡である。説明を受けるため、遺跡に隣接している「唐古・鍵考古学ミュージアム」に入る、当時のシャーマンの模型が展示されており卑弥呼もこのような人物だったのではないかと説明を受ける、そしてこの遺跡の目玉といわれる、楼閣が描かれた土器を拝見する。
一日動き回った疲れを癒すため、大正元年創業の老舗の宿「大正楼」の卑弥呼プラン13650円、古代の食材や奈良の特産品を利用した料理を美味しくいただくことができました。 2日目、奈良で有名な三輪山を御神体とする「大神(おおみわ)神社」に向かう、日本国最古の神社と名高いだけではなく、薬の神社としても有名で、その力は卑弥呼と関係があったかもしれない。卑弥呼の謎の最後の場所「著橋古墳」まで、日本最古の道と言われる「山の辺の道」を使って向かう。途中にある「桧原御休処」にて休憩をとり、旅の人と卑弥呼について盛り上がる。再び歩き出し到着した「著橋古墳」の圧倒的存在感に驚く。この場所は卑弥呼の墓ではないかと噂され、全長278メートルに及ぶ前方後円墳となっている。卑弥呼の存在に思いを寄せる旅を締めくくる。 |
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