画像1









 





昨日よりヤバく。
川勝正幸(エディター)

 もう新しいものは生まれない。すべては表現し尽くされた。もはや過去の映画の引用とリミックスによる「編集」 の時代だ。そう言われ出して、久しい。しかし、鈴木清順の新作『ピストルオペラ』(01)は、すれっからしの映画ファンのこの諦めにも似た感情をぶっ飛ばしてくれる。  観客の期待と予想を裏切りつづけたまま疾走、ときに迂回、さらに暴走して「終」のマークが出る。すべてが狂ってる。この78歳の監督の最新作をどう言葉に翻訳すればいいのか。

 この映画の宣伝文句に「極彩色のフィルム・ノワール」という語義矛盾を孕んだフレーズが苦しまぎれに使われていたが、言い得て妙。しかし、『殺しの烙印』(67)の世界を『陽炎座』(81)のテイストで演出した作品と早合点してはならない。単なるかけ算などはないからだ。
 確かに、『ピストルオペラ』は、初め『新・殺しの烙印 ピストルオペラ』というタイトルで製作発表された。ギルドの思惑によりプロの殺し屋たちがナンバー1を競って殺し合うという展開は、『殺しの烙印』と同様。花田五郎(平幹二郎)は「かつてアドバルーンで脱出したことがあった」と過去の華麗なるスキルを自慢するから、明らかに宍戸錠が演じた60年代の殺し屋のなれの果てである。りん(樹木希林)が口ずさむのも、民謡でも「林檎殺人事件」でもなく、耳をすませば大和屋竺が歌った「殺しのブルース」のカヴァーだ。
 『ピストルオペラ』における殺し屋ナンバー1、“百眼”は「ターゲットを笑ったままの顔で射殺する」ことにこだわっている。この設定は、鈴木清順を中心に曽根中生の呼びかけで集まった脚本家グループ、具流八郎(鈴木+木村威夫+大和屋竺+田中陽造+曽根+岡田裕+山口清一郎+榛谷泰明)による「続・殺しのらくいん」の幻のシナリオ(『STYLE TO KILL −殺しの烙印VISUAL DICTIONARY−』プチグラパブリッシング刊に初掲載)にも登場する。
  『ピストルオペラ』は『殺しの烙印』なしには誕生しなかった映画である。とはいえ、続編というより全く別の映画と考えたほうがスッキリする。『チャイナタウン』(74)と『黄昏のチャイナタウン』(90)のようにはムードの繋がりがない。
  殺し屋ナンバー3、通称“野良猫”のKIMONOにブーツ姿。締まったふくらはぎをチラリズムしながら銃を撃つ江角マキコは『ショムニ』より露出は少ないが、『ショムニ』より色っぽい(『ピストルオペラ』の江角は不自然体だからであろうか)。かと言って、『ツィゴイネルワイゼン』(80)、『陽炎座』、『夢二』(91)――“大正浪漫3部作”の流れだと思って観ると、しっぺ返しをくらう。

 鈴木清順監督の作品は、いつだって“新しい”。象徴的な咲き乱れる芥子の花と銀の銃弾。生と死が背中合わせになった世界の中で、“野良猫”は和服にブーツというコスチュームで銃を撃つ! 強烈な色彩感覚、時空間を超えた斬新な映像と、観客の予想を見事に裏切るストーリー。『ピストルオペラ』には、鈴木清順監督にしか作ることの出来ないアクション・エンターテインメントが展開されているのだ。

 なぜなら『ピストルオペラ』ならではの新趣向のほうが多いからだ。
 場面が見得を切る度、こだま和文――日本のダブ・サウンドの先駆者――のトランペットが泣くのには驚いた。和な風景にTICO(リトル・テンポ)のスティール・パンがなじみ、エゴ・ラッピンの中納良恵の声がハマる。予想がつかないところから音が飛び出し、あるいは意外なタイミングで消滅するジャマイカ発のダブ・ミックスと鈴木清順の予定不調和な編集と音楽/SE使いは、受け手に似た質の快感を与えてきたと思うが、ついにこの映画で邂逅を果たしたのである。
 そして、少女・小夜子(韓英恵)にはグラッときた。清順ワールド初のロリータ登場! である。マキコもオナニーまではすれど、裸になるのは英恵ちゃんだけ。廃屋となった銭湯で繰り広げられる野良猫と少女・小夜子の暮らしぶりにはうっとりする。

 もちろん、『ピストルオペラ』にはワン&オンリーの「清順美学」が貫かれている。
 段差の極端にあるセット。ぶっきらぼうな柱。ガラーンとした空間にかぶる原色の照明。どう考えても物理的におかしい部屋の玄関と内部の構造。対話している役者の背景が異空間。横移動。
 ナンバー1のランキングを巡る殺し屋同士の対決は、バッド・テイストの伝道師ジョン・ウォーターズの『デスペレート・リビング』(77)のゴミの国が可愛く見えるほど気色の悪い世界恐怖博覧会で行われる。ゴダール以上に乱暴なジャンプ・カット。デイヴィッド・リンチよりワイルドな元祖・辻褄より眼の快楽派しか撮れない、観客をギョッと言わせる映像の数々。
 しかし、これらは清順ファンを居心地よくさせてくれるような画作りではない。感覚を逆撫でされっぱなし。いわゆる「清順美学」の烙印を観客から押されることを拒否しネクスト・レベルを狙った態度を、『ピストルオペラ』から強烈に感じるのだ。

 まさかのエンディング。そして観客は途方に暮れる。『ピストルオペラ』を観たら、清順リスペクトのタランティーノもウォン・カーウァイもあせるだろう。ジャームッシュは自作にもうSENSEIの映画を引用することを諦めるに違いない。1923年生まれのジイサンのほうが昨日より若い、いや、昨日よりヤバい。次回作が観たくなる。

| introduction | story | director | staff | cast | review | credit |