Behind the Story
放送では伝えきれなかった
取材の現場から。
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田では、香らなかった

熊本市内から、車で南へ。田んぼの続く道を、ただ走っていました。あたりには、香りらしい香りはありません。
八代のい草田。青々と、まっすぐに伸びた一本を手に取って、鼻を近づけてみる。
——青い草の、香りでした。
私たちが「畳の香り」として知っている、あの清々しさではありません。国産い草の九割以上が育つ土地に立っているのに、探している香りが、どこにもない。
あくまで、取材した私たちが個人的に感じたことです。そのうえで正直に書きます。——ここで一度、取材の見立てが崩れました。 -
工場の前で、ふわりと
ナカヤマノウジョウの工場の前に立った、そのときです。ふわり、と。あの、畳の香りがしました。強い香りではなく、優しい印象でした。
泥染めを終えたい草を嗅がせていただくと、今度ははっきりと分かります。香りは、泥に染めたあとに生まれていました。
泥は一種類ではないそうです。何種類もの泥を配合して使う。そしてその配合は、農家ごとに違う。——だから、香りも農家ごとに違うのだと教えていただきました。
いちばん強かったのは、織り上げたござを畳んだ瞬間。ふわりと、立ちのぼりました。
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五百年、畳の下にあった草

あとから知って、腑に落ちたことがあります。 八代でい草が育てられるようになったのは、1505年のこと。五百年以上、この土地が育ててきた草でした。株分けから畳表になるまでは、およそ二年かかります。
泥染めに使う染土が、淡路島から運ばれてくることも知りました。遠い島の土が、八代の香りと色をつくっている。
茶道も、華道も、書道も、柔道も。この国の文化は、畳の上で育ってきました。その、いちばん下にあるのが、この一本の草です。 -
それでも、織り機は動いている
かつて八代には、一万軒のい草農家がありました。いまは、およそ2百軒。
三度の地震と、記録的な大雨。工場の床には、いまも地割れが残っています。それでもここでは、二代目、三代目、四代目が並んで、織り機を動かしていました。
「畳は知っていても、い草を知らない人が本当に多い」
そう伺いました。
ひとつ、心に残っていることがあります。納品するとき、ござに付いた泥の粉を、あまり拭きすぎないのだそうです。届いた先で、その人にとっての最初の香りが立つように。
工場では、畳にはならないござも見せていただきました。床に敷いて、その上で横になるためのものです。私たちはロケで車中泊をすることが多いので、つい「これ、マットの上に敷いたらどうだろう」と考えてしまいました。取材班の、役得のような時間です。




