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2011年1月24日

愛憎ミステリー

戦国史上最も謎の多い女性、織田信長の正室・濃姫と、類まれなる美貌で成り上がり、 将軍の母として、大奥の権力者として君臨した月光院の人生と愛憎に迫る!

斎藤道三の娘であり、織田信長の正室・濃姫は、天下統一を目前に本能寺の変で信長が倒れるまで添い遂げた。ところが、信長の生涯を記した記録には濃姫の記述は「輿入れ」の事実のみだという・・・。一体なぜ濃姫は織田家の記録から消されたのだろうか?また、子供の頃から美しさが評判だった月光院が町娘から大奥の頂点に上り詰めたその裏には、数々のミステリーが隠されていた!?

出演者

片平なぎさ

【語り】片平なぎさ

濃姫

“美濃の蝮”斎藤道三の娘として生まれた帰蝶(濃姫)は、まだ小大名だった織田信長の正室となり、天下統一を目前に本能寺の変で信長が倒れるまで添い遂げた。ところが、信長の生涯を記した記録には濃姫の記述は「輿入れ」の事実のみだという…。一体なぜ濃姫は織田家の記録から消されたのだろうか?信長との結婚話が持ち上がった経緯を調査すると、美濃・斎藤家の内情を記した資料に驚愕の記述を発見!

・濃姫は、父・道三の密命をおびて信長のもとに嫁いでいた!?さらに、濃姫がスパイであることを信長も認識していた!?
・信長の寵愛を一身に受け、嫡子・信忠を産んだ側室・吉乃。その実家である生駒家の後ろ盾によって信長は桶狭間の戦いを制した!?
・織田家の家臣の中でも異例の出世を遂げ、本能寺の変で信長を討った明智光秀は、濃姫といとこ以上の関係だった!?
・本能寺の変を境に、その消息が途絶えたとされる濃姫が生きていたことを示す痕跡・・・。
そして、400年もの間、歴史の闇に葬られていた濃姫の墓に隠された驚愕の事実とは!?

等々、歴史の闇に消えた濃姫の激動の人生が明らかになる!

月光院

寺の住職の娘として生まれたお喜世(月光院)は、子供の頃からその美しさが評判で、地元では「浅草小町」と呼ばれるほどだったという。しかしその生活ぶりは決して楽なものではなく、20歳のときに甲斐甲府藩藩主・徳川綱豊、後に6代将軍となる家宣のもとに自ら奉公へ出た。綱豊(家宣)は、たちまちお喜世の美貌の虜になり、公家の名門である近衛家の出身で位の高い正室・熙子(天英院)は、家宣の寵愛を受けるお喜世の存在が我慢にならなかった。そんな状態の中、家宣が6代将軍に就任した2ヶ月後、側室となっていたお喜世は「鍋松」を出産、熙子も二人の子を産んだものの、早くに亡くなっていた。熙子の中に芽生えた激しい嫉妬と憎しみ…。すでに子供を産むことが難しい年齢になっていた熙子は、自分の息がかかった側室に男子「大五郎」を産ませた。7代将軍の座を巡って激しく争う宿命となった熙子一派とお喜世一派。ところが、大五郎がわずか3歳で急死したことから、大奥に黒い噂が…!町娘から大奥の頂点に上り詰めた月光院みまつわるミステリーの数々が、今、明らかになる!

・不自然な状況で死に陥った大五郎…。さらに、熙子派の側室が新たに生んだ男子・虎松もわずか3ヶ月後に早世…。これらはすべてお喜世一派による暗殺だった!?
・わずか5歳だった将軍・家継に代わって“闇の将軍”として振舞った男・間部越前守詮房。家継が異常なまでに間部になついていた驚愕の理由が、家継の幼名から明らかになる…!?
・月光院が絶大な信頼を寄せていた右腕・絵島が美男役者・生島新五郎と不義を働いたとされる大奥最大のスキャンダル「絵島生島事件」は、月光院を陥れるために天英院が仕組んだものだった!?
・家継の死後、天英院派として8代将軍に就任した吉宗が大々的に行った大奥のリストラ。その裏側には月光院の恐るべき執念があった!?

等々、大奥出世物語を身をもって示した月光院の激動の人生が明らかになる!

大奥

女帝・春日局が作り出した大奥は、最盛期には3000人もの女性が暮らした女の園であり、贅沢の限りを尽くしていたという。今回は、将軍以外男子禁制とされていた大奥の禁断のスキャンダルが明らかになる!着物などを入れる長持ちの中に忍び込んだ男性が大奥で女性と密会していた!?江戸城内に能や歌舞伎の役者が常駐していた!?さらに、乳母の決まり事や新人女中への壮絶ないじめの実態も大公開!

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