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「2000年に一人の美少女」。滝口ひかりの破壊と再生のストーリー

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テレ東プラス

2019.2.21

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「2000年に一人の美少女」として彗星のごとく登場し、瞬く間に人気アイドルとしての地位を確立した滝口ひかり。橋本環奈が1000年に一人であるならば、滝口は2000年待たなければこの世に現れなかった。やっと出会えた衝撃たるや...。

キャッチコピーそのままに、嘘偽りのない美貌は、当然のように各メディアから出演の要請を受けることになる。

時代は滝口、アイドルファンの多くがそう思ったに違いない。

それから数年、当時所属していた日本ツインテール協会発のグループ「drop」を突然の卒業。そして昨年「セルフプロデュース」のアイドルグループ「ゑんら」を結成し、僕たちの前に、滝口は再び戻ってきた。卒業の理由、2000年に一人のプレッシャー、そして活動休止期間中のことについて訊いた。

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最初は、もう芸能界を辞めるんだろうなと。芸能界に少し疲れてしまって。

――「2000年に一人の美少女」という看板を背負って、dropというグループでアイドル活動をされていましたよね。そこから一転、卒業となった理由は?

滝口ひかり(以下、滝口):グループにいる時に、すごく先のことを考えたんですね。2、3年ではなく、20年や30年先を考えた時に、私の居場所はここじゃない、自分で道を開きたいと思ったんです。

現状のままでは、敷かれたレールも見えなくて、未来もない。このまま衰退していくのかもしれない恐怖があったので、直接前のプロデューサーにも言ったんですよ。「私は10年後や20年後、何をしてると思いますか?」って。そうしたら「結婚していると思います」と言われて。

――そういう話じゃないですよね(笑)

滝口:だから、面倒を見る気がないんだなって(笑)。それを言ったら、「うーん......」というリアクションだったので、当たっていたんだと思います。そうなると、自分でやっていった方が良いのかもしれないと思っちゃいますよね。

――グループを辞めてもアイドルを続けようという気持ちはあったんですか。

滝口:最初は本当に、もう芸能界を辞めるんだろうなと。芸能界に少し疲れていたというのもありました。本来は、前に前にという性格ではないんですよ。できることなら目立ちたくないし、喋りたくない。口が悪いのでボロが出るし。

――「2000年に一人」という誰よりも大きな看板を背負っていたわけですが、やはりそのプレッシャーも?

滝口:橋本環奈ちゃんが「1000年」じゃないですか。Twitterで「お前が橋本環奈ちゃんの倍かわいいわけない」みたいなことを言われたんですけど、「そんなの私が一番思ってて、分かってるよ!」って(笑)。2000年前って卑弥呼とかの時代になってくるわけですし、急にそんなキャッチコピーを付けられても......と、当時は本当に「2000年」に対して、迷惑だと思っていました。

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――卑弥呼もまだ存在していなかったから、邪馬台国以前の時代になりますね。

滝口:でも当時は迷惑でしたけど、今は私の名前よりも「2000年」で覚えてくれている人がいるんです。なので、逆にありがたかったかなって。たぶんファンが付けてくれたのですが、それがすごいスピードで広がっていったんですね。

――なるほど。メディアが付けたと思っていました。キャッチコピーが一人歩きをしていくのを見ている間はどんな気持ちでした? 理解できないスピードで有名になっていくわけじゃないですか。

滝口:もうあっという間過ぎて、気が付いた時にはテレビに出ていました。前のプロデューサーからは「2000年に一人の美少女って言われているらしいね。出ることになったから」って。で、「あ、はーい」って(笑)。

最初に出演したのが日本テレビ系列の『人生が変わる1分間の深イイ話』だったんですよ。初めてがこの番組で、人生で初めて楽屋挨拶をしたのが今田耕司さん。もうパニックですよね。デビューして7カ月くらいだったから、少し前まで一般人じゃないですか。そんな私がゴールデンの番組に出ることになるなんて、正直、意味がわからなかったですね。

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早すぎるブレイク 学業をとるか、芸能界をとるかという決断

――大学を辞めてまで芸能界に入って、きらびやかに見えるところの裏で、肩透かしを食らう場面や早すぎるブレイクがあった。確かに、さっきおっしゃっていた、「私の未来は......」となるのは分かります。

滝口:もともとは大学と芸能を両立していて、忙しくなってきたので前のプロデューサーに「休学してくれ」っていうニュアンスで言われたんですよ。たぶん、今後はもっと忙しくなるので、私のことを気遣って言ってくれたと思うんですけど、その時は安定している未来のほうが大事だったんですよ。

――大学の学部も保育士の関係ですもんね。

滝口:保育士の資格を取りたくて。安定している未来が大事だから両立したいですって。

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滝口:それで、「えっ......両立できるから入ったんですけど」みたいなことを抑えめのトーンで言ったんですね。話がちょっと違いますよねって。でも最終的には「デビューの年の冬に卒業しよう」となりました。

――筆者であるツインテール時代から追いかけているファンから申し上げても、早すぎるブレイクに驚きました。そうして知名度が上がれば上がるほど、逃げ場もなくなってしまいますよね。

滝口:私たちもそんなに早くブレイクするとは思っていなかったんですよ。...付いていけてなかった、自分たちの早すぎる流れに...。規模感も1年で集客が1200人くらいになってしまって、ありえないスピードで毎日を過ごしていたので、「しょうがないのかなあ......」とも思ってはいました。その時も、学校に行けないなら芸能界は辞めようと思ったんですよ。だけど、急にファンの顔が出てきちゃって。

――「ずっと応援してくれている」と。

滝口:そうなると、卒業という選択ができなくて、続けることに決めました。ついに休学もして。それからはひたすら、ファンのためだけにやっていました。

――卒業した時は、ファンには別のかたちでの活躍を見てほしいと思っていました?

滝口:うーん......タレントでやっていこうか、辞めようか決めかねていました。本当に1カ月くらい、一般人だったので。何もやってなかった。

――いわゆるフリーだった時期ですよね。

滝口:ニートです。

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セルフプロデュースアイドル「ゑんら」結成のきっかけはニート経験から

――訂正します、ニートだった時期ですよね。その頃のお話を深掘りさせてください。具体的にはどういうサイクルで過ごしていましたか?

滝口:えっ、あっ......(笑)。よくあると思うんですけど、昼夜逆転はしていました。Netflixやアマゾンプライムを見たりだとか。でも、過ごしていくうちに、本当に私って何もないなって思って。この生活にも2、3週間すると飽きてきちゃって。

――代わり映えのない毎日と、自分自身に。

滝口:妹(滝口きらら)と、木乃伊みさと(現・ゑんら)としか会っていなかったし、みさとしか友達がいないんですね。私にはみさと以外、何もないなと思っていましたけど、彼女もたぶん同じ気持ちだったと思うんです。だから、私たちで何かやりたいねってなって、妹もちょうど、当時のアイドルグループを辞めてふらふらしていた時期だったので、今の「ゑんら」を始めました。

ゑんら『さよならを教えて』MV




――端的にいうと、みんなふらふらしていたんですね。

滝口:いや、妹は個人で仕事をしていたようですよ、歌がうまかったので。だから誘って、3人でアイドルをまたやろうと思ったんです。みさともクリエイターとしてグッズとかを作っていたらしい、たぶん。

――では滝口さんのみ、完全にニートだったわけですね。良くも悪くも、リフレッシュのタイミングだったのかも。

滝口:完全にそうです。あのニート時代は、そのための時間だったと思います。

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――ゑんらは、これからの目標みたいなものは話し合って決めているんですか?

滝口:そうですね。私が「〇月にはこれをやって」というふうに道筋を立てるんですけど、ゑんらのグッズや作詞・作曲はメンバーのみさとがやってくれます。妹も次は作詞をするんですけど、びっくりしたことに、作詞の才能あったんですね。全然気づかなかった。

実家が遠いので、私たちは通勤する時間が1時間以上かかるんですけど、その間に面白がって作詞をしていたのを見せてもらったら、すごく良くて。みさとに送るのをためらっていたんですけど、先日送ってみたら、絶賛。妹は開花していました。

――実際にスタートして、ここが大変だったり、大切だと思ったところは?

滝口:3人だと思っていることを言い合えるので、いざセルフプロデュースアイドルを始める時はそこが大切なんですよ。意思疎通がきちんとできるかできないか。デビュー前は結構、喧嘩もしましたけどね。

―――どういった喧嘩を?

滝口:コンセプトやお金のやりくりをどうしていくのか。スケジュールについてや、チェキ会をやるのかやらないのか。すごく喧嘩をしました。

―――それぞれ目標は違うと思うんですけど、すり合わせは順調に進みましたか?

滝口:みさとは結構な理想志向で、私は現実を見ていました。お金の面がちゃんと考えられていないので、きちんと数字でプレゼンするんですよ。月にどのくらいかかるか、といった初歩的なこととか。

そういう現実を突きつけられると、理想主義者(みさと)は日和る。「あ、そうだった......」みたいに。それで「これが現実的だよ」というと納得してくれるというか。なので、二人の考えを上手く折衷させて作っていくという感じです。

――妹さんは何を......?

滝口:いつも役割を聞かれる時は、私は運営、みさとがクリエイターで、妹がパシリっていうオチがあるんですね(笑)。でも、見えない部分をやってくれます、印刷とか。必要書類を取りに行くだとか。事務的なことですけど大切なことで、みんなでDIYをしてアイドルを作っている感じなんです。

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(後編はこちら)

<プロフィール>
滝口ひかり
千葉県出身。芸能界入り前は保育士を目指していたが、男性ファッション雑誌『Samurai ELO』のスタッフに街中で声をかけられ雑誌にスナップが掲載。その後、2014年8月30日より、日本ツインテール協会のアイドルグループ「drop」に加入、同年『週刊プレイボーイ』の読者投票でグランプリを獲得。「2000年に1人の美少女」というキャッチフレーズで人気に。drop卒業後、セルフプロデュースユニット『ゑんら』を結成し、活躍中。
Twitter:@wyenra_hikari
Instagram:@takiguchi_hikari

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