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The
Cider House Rules Auther & Director
原作/脚色 ジョン・アーヴィング
1942年3月2日ニュー・ハンプシャー州エクセター生まれ。世界中で幅広く支持されるベストセラー作家。幼少時に文学好きの祖母の影響を受ける。地元の名門プレップ・スクールであるフィリップス・エクセター学院を経て、ピッツバーグ大学、ニュー・ハンプシャー大学、ウィーン大学で学ぶ。65年からアイオワ大学創作教室でカート・ヴォネガットに師事する。68年に処女作の「熊を放つ」を発表、好評を得て、翌年映画化の企画も検討された。その後は「ウォーターメソッドマン」
(72)、「158ポンドの結婚」 (74)を経て、78年に発表した「ガープの世界」がハードカヴァーだけで10万部を売り尽くすベストセラーとなり、80年にはペイパーバック部門のアメリカ図書賞を受賞、現代アメリカ文学の人気作家の地位を獲得した。以降は
「ホテル・ニューハンプシャー」 (81)、「サイダーハウス・ルール」 (85)、「オウエンのために祈りを」(89)、「サーカスの息子」(94)、「ピギー・スニードを救う話」
(96)と話題作を発表しつづけて、98年に最新作「未亡人の一年」 (2000年初夏日本刊行予定)を上梓している。 これまで、82年にジョージ・ロイ・ヒル監督により『ガープの世界』、84年にトニー・リチャードスン監督により『ホテル・ニューハンプシャー』の2作が映画化されている。「オウエンのために祈りを」を原案とした『サイモン・バーチ』(98)ではプロデューサーとしても名を連ねているが、劇中に原作の登場人物の名前は一切使われていない。自らの著作を初めて脚色した本作で、見事アカデミー賞脚色賞を受賞した。『ガープの世界』と本作には特別出演している。また、「サイダーハウス・ルール」はピーター・パーネルによって、「オウエンのために祈りを」はジェーン・ジョーンズ演出で舞台化されている。
64年に大学時代に知り合ったシャイラと結婚、3人の男子がある。現在はヴァーモント州トロントに住む。85年に初めて来日している。
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監督 ラッセ・ハルストレム
1946年6月6日スウェーデン、ストックホルム生まれ。幼少期より8mm映画に熱中、音楽学校在学中には16mmで音楽映画を制作しテレビ局で放映された。それがきっかけでテレビを中心に活躍を開始する。75年に長編“En
Kille och en tjej(恋する男と彼の彼女)”で映画監督デビュー。77年にはスウェーデンの人気グループ“アバ”を題材に2作目『アバ・ザ・ムービー』を監督、世界的ヒットを記録した。3本のコメディ“Jag
ar med barn(僕は子持ち)”(79)、“Tuppen(気取り屋)”(81)、“Tva killar och en tjej(幸せな僕たち)”(83)を経て、85年に『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の
監督・脚本を手がけ、国際的な監督としての地位を手に入れた。同作はニューヨーク映画批評家協会賞、ゴールデン・グローブ賞の最優秀外国語映画賞を獲得し、アカデミー賞で監督賞、脚色賞候補となった。続いてテレビでリンドグレーン原作を映像化した『やかまし村の子供たち』(86/V)、『やかまし村の春夏秋冬』(87/V)で高い評価を得た。91年にはアメリカに渡って、リチャード・ドレイファス、ホリー・ハンター主演で初のメジャー映画『ワンス・アラウンド』(V)を監督。以降はアメリカを中心に活躍、93年にはジョニー・デップ、ジュリエット・ルイス、レオナルド・ディカプリオ主演の『ギルバート・グレイプ』の監督、製作を務め、レオナルド・ディカプリオにナショナル・ボード・オブ・レビュー助演男優賞をもたらし、ゴールデン・グローブ賞とアカデミー賞の候補とさせた。95年には、南部のある家族の二世代それぞれの愛を裕福で保守的な土地の人々の目からコミカルに描いた、ジュリア・ロバーツ、デニス・クエイド共演作『愛に迷った時』を監督している。94年に女優のレナ・オリンと結婚、二児をもうけており、現在は米国とスウェーデンを行き来している。
最新作はミラマックス製作によるジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ共演作 “Chocolat”。
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