テレ東プラス連続ウェブ小説:「夜ごと悩めるバリキャリ女子の『WBS(私の・場所・探し)』」
第二話 ゆとりって言うな! 負けず嫌い明日香のレジスタンス
「はぁ......」
まだ誰も出社していないガランとした社内にポツンと佇んでいる、谷元明日香の深いため息が響いた。
今日、絶対にツメられる。
ツメられる、とは証券会社の業界用語で、営業目標に達していないことを上司に責められることだ。
離職率が高いと言われている証券会社。
実際、激務に耐えられず入社2ヶ月で辞めていった同期の人間が何人もいて、その度に上司たちが「ゆとり世代だね」と囁いているのを耳にしてきたが、私は違う。絶対負けない!という強い思いで明日香は頑張ってきた。

明日香の両親はしつけに厳しかった。
小学校の頃からテストで90点以下を取った日は友達と遊べないルールがあったので、いつも必死に勉強し、成績は常にクラスで一番だった。
中学校に進学すると、所属するバレーボール部の厳しい練習もこなしたが、たとえ周りがサボろうとも一人真面目に練習を続け、1年生のときからレギュラーとして活躍した。
そんな明日香は、ゆとり教育に甘んじること無く厳しい環境を乗り越えてきたと自負しているし、負けず嫌いなだけに『ゆとり世代』と言われることを極端に嫌がっている。
男性が多い証券会社のリテール営業部に配属になったのも、彼女のそんな真面目で努力家なところが入社試験で伝わったからなのだろう。
飛び込み営業で断られ続けても、一日中電話営業して一件もアポが取れなくても、粘り強くアタックし続ける明日香は、同期の間での営業成績は常にトップクラスだった。
明日香もそれを誇らしく思っていたし、自分の努力が評価されることが単純に楽しかった。
ところが最近はどういう理由か、全く手応えがない。
入社して1年目、突然スランプがやってきた。
明日香は内心「きっと今年は大殺界だから」と六星占術のせいにしているが、支店長の前ではさすがにこの言い訳は通用しない。
先週の出来事だ。
開業医だという男性から商品について詳しく話を聞きたいと明日香の元に連絡が来た。以前、飛び込み営業をした住宅街にあるクリニックだった。
医師の自宅に出向くと、気の良さそうな70代後半くらいの『高梨』と名乗る男性が迎えてくれた。クリニック内ではないのになぜか白衣を羽織っている。
高梨は、明日香も拍子抜けするほどあっという間に口座開設と商品の購入を約束してくれた。そして「他社さんは、勝手に注文するんだよ、参っちゃう。谷元さんは真面目で信頼できるよ」と、か細い声で言った。
明日香は正直、「そんな悪質な証券マンが今時いるかな?」と違和感は覚えたが、支店へ戻る途中の坂道で美しい夕焼けに見惚れているうちに、無事に今月は目標達成できるという喜びで頭がいっぱいになっていた。
だが、昨夜の仕事帰りに事件は起きた。
「靴が汚い営業マンは細部まで意識の届かない人間だ」そんな誰かの言葉をしっかり心に留めていた明日香が、目立ち始めたパンプスの傷を直そうとデパートに立ち寄って店内を物色していると、高梨から着信があった。
「お世話になっております、谷元です」
通話をオンにして名乗ると、聞きなれない女性のイラついた声が聞こえてきた。
「お宅と取引しようとしている高梨の娘なんですけど!」
「は、はい。お世話になっております......」
相手の高圧的な口調に戸惑い、一気に全身が汗ばむ。胸の谷間や脇の下がヒヤリと冷たくなるのを感じながら、耳元にもう一度集中すると、どうやら高梨はとっくに医師を辞めており、今は半分ボケ始めて隠居生活を送っていること、そして高梨のクリニックや金銭管理は電話をかけてきた娘がすべて任されているらしいことがわかった。
「老人を騙すなんて、ありえない!」「父はあなたが突然やってきて無理矢理買わされたと言ってるんですけど」「今すぐ説明しに来て!」
矢継ぎ早に飛び出す非難の言葉に驚いた明日香は高梨の自宅へと急いだ。
無理矢理買わせてはいないし、そもそも詳細を聞きたいと電話をかけてきたのは高梨の方だ。そのときの通話記録も残っている。話せば誤解はすぐに解けるはずだったが、高梨の娘というその女性は、明日香を見るなり「え、こんな若い女の子なの? 上司は? 支店長よ、支店長連れてきなさい!」と言い放った。
さすがに支店長は無理だ。混乱した明日香は必死の思いで自分の教育係である先輩の坂口に電話をかけた。だが坂口は顧客引き継ぎの大事な会食中で、抜けるのが難しいという。
意を決してもう一度インターフォンを鳴らすが、「支店長呼べって言ってるの! あなたバカなの? それとも私の言うことを聞きたくないの?」帰ってきたのは冷たい女性の声だった。
理不尽な理由で、しかもひどく感情的に他人から当たられることが初めてで、明日香は気持ちが高ぶり、顔をまっ赤にして気がつけば涙を流していた。
泣きながら、もう一度坂口に電話をかける。
「すみません、坂口さん......わっ私じゃ無理です。話を聞いてもらえません......」
結局、坂口が会食を抜けて来てくれることになった。
あれほど高圧的な態度をとっていた高梨の娘は、坂口を見るなり嘘のように落ち着いた。明日香はそれが悔しくて、爪が手のひらに食い込み血が滲む程きつく手を握りしめながら、高梨の娘と坂口の前で状況を話した。
なんとか誤解だったことは理解してもらえたが、残念ながら取引はキャンセルとなった。もう一つ残念なことに、高梨の娘は明日香に対して気まずそうにはしていたが謝罪はしてくれなかった。
帰り道、坂口は「ま、これも経験だ」と明日香に向かってやさしく言う。だが明日香はこの展開に納得できないまま悔し涙を流し続けた。
そして、今日だ。
大泣きして困らせた坂口に謝るのも、取引がキャンセルになったのを支店長に報告するのも、何もかも気が重い。
明日香は温かいカフェオレでも飲んで落ち着こうと、給湯室に移動して自分用のマグカップを手にとったそのとき、誰かの話し声がした。
憧れの先輩、清水美里と坂口が出社してきたらしい。
黙ってその場に立っていると、二人が給湯室を横切るときに「結局、谷元もゆとり世代ってことよ」という美里の声が聞こえた。
――ガシャン!
思わず明日香はマグカップを落としてしまった。
漫画みたいだけど、ショックなときって本当に人は物を落とすんだ、と明日香はなぜかそんなことを思った。

音に反応した美里と坂口が給湯室を覗き込む。
短い沈黙。美里が、まっすぐに自分を見ている。白いジャケット姿がむかつくほどまぶしく見える。
「私、ゆとりですか?」
明日香の口から言葉が漏れていた。
「谷元、違うんだ......」
坂口が何かを言いかけたが、美里がそれを制して話し出す。
「そうね。昨夜の話は聞いてるわ。確かに災難だったと思うけど、そこで泣くのはゆとり育ちで打たれ弱い証拠よ。もっとしっかりしなさい」
明日香は無言で固まっている。
「先輩にちょっと言われただけで黙るところも、ゆとりね」そう続けた美里は、坂口に制されてその場を立ち去った。
一番言われたくない言葉を、よりによって憧れの先輩に言われた明日香は、その日一日をやり過ごし、定時に退社するとまっすぐ帰宅した。
ルームシェアしている大学生の弟の部屋からはゲームをしているらしき電子音が聞こえる。明日香は「ただいま」も言わずに自分の部屋に入ると、蛍光灯をつけた。
畳の上に敷いた、肌触りが気に入って購入したモスグリーンの絨毯の上に腰を下ろし、天井を見上げると頭の中の考えがぐるぐると回り出す。
「私の世代は、一時的に凹んだり落ち込んだりしただけで『ゆとり』と言われる。誰だって同じようなことがあるはずなのに、どうして自分たちだけなんだろう......」と心底悔しくなった。その悔しさは屈折し形を変え、やがて努力してきた今までの人生を否定する後悔の塊になった。
ため息を吐きながら部屋を見回す。真ん中には冬はこたつになる正方形のテーブル。その上には机代わりにもしているのでデスクライトと、書類やペン立てが置かれている。奮発して買った大きな本棚には、資格を取るための参考書や、自分の顧客に勧められた小説、ゴルフ入門書など、仕事関連で買い込んだ本ばかりがきっちり詰まっている。
弟にはよく「男子浪人生の部屋みたいだ」と笑われる。そのたびに明日香は「今はおしゃれな部屋が似合う女性になるために仕事を頑張って内面を磨く時期なの!」と言い返している。
仕事関係の本ばかり、自分の努力の象徴が詰まった本棚が、やたらと忌々しく思えてきて、今までは絶対にありえないと思っていたけれどいわゆる『バックレる』という方法で仕事をすっぱり辞めてしまうのも気持ちが良いかもしれないと、明日香は考え始めていた。
――こうなったら逆に『ゆとりなんで辞めます』と言って退職しちゃおうかな?
何も手につかないまま夜が更けていた。
23時。いつもは『ワールドビジネスサテライト』を見るのだが「どうせ仕事も辞めるんだし」と、あえてチャンネルを変えてみた。
だが、WBSの内容が気になってウズウズしている自分がいる。
このウズウズは、明日香の中にまだ残っている仕事を頑張りたい気持ちとイコールなのだと、すぐに気づいた。
明日香はリモコンを手にするとチャンネルを7に合わせる。
セクハラ問題の特集から、大手ゼネコンが新型の建設ロボットを公開し、年末には現場に導入するという話題に切り替わった。
明日香はもう頭の中で、勝手にこの建設会社株価の動きをイメージし始める。さっきまで辞めようと思っていたくせに、仕事がしたくて頭が、体が、反応する。WBSを見ていると、徐々に自分の気持ちが整理されていくようだ、と明日香は思う。
やっぱり私はこの仕事が好きだ。一時的な感情や嫌なことから逃げるような辞め方はしたくない。
「それならもう、とことんやるしか無いわ!」
WBSが終わると、明日香はデスクライトをつけ正方形のテーブルの上に全く目を通していなかった今朝の新聞を広げ、隅々まで読み始めた。
その晩、オレンジ色をした小さな炎のような明かりは、いつまでも明日香の手元を照らしていた。
(第三話へつづく)
作/ニシオカ・ト・ニール
イラスト/大野まみ
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