テレ東プラス連続ウェブ小説:「夜ごと悩めるバリキャリ女子の『WBS(私の・場所・探し)』」

2018.06.02

第三話 絶対誰にも見せたくない、私の幼稚なあの部分


静かな部屋の中で、美里はキャンドルを灯し、深々とソファーに座るとお気に入りのマグカップに顔を近づけた。


ベルガモット&ジンジャーのハーブティーの香りが鼻を抜け、一日中酷使した体と心に安らぎを与えてくれる......はずなのだが、今夜は全くリラックスできない。


今朝、給湯室にいた谷元明日香は、美里の言葉に動揺してマグカップを手から滑らせると、涙をこらえながらも抗うような眼差しをこちらに向け震える小さな声で「私、ゆとりですか?」と訊いてきた。


その様子から『ゆとり』は本人にとって一番言われたくない言葉だったのだと、美里には容易に予想がついた。


坂口が"ナチュラル失礼おじさん"との会食を抜けた後、セクハラおやじから散々な目に遭い、それを乗り越えて出社してきた美里としては、明日香が坂口に甘えたように思えて瞬間的に、苛立ってしまったのも事実。
「私、ゆとりですか?」という明日香に、つい勢いで「そうね」と答えてしまった。
真面目で根性もある彼女のことは入社当初から陰ながら応援していたし、決して明日香を傷つけるつもりはなかった――美里が、今夜はどんなハーブティーを飲んでもリラックスできそうにないが、別のフレーバーも試してみようかと立ち上がったときだった。


――ピロリン!


スマートフォンがメッセージ受信を知らせる。
恋人の鶴岡将太から、5日ぶりの連絡だった。


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将太とは2年前に友達の紹介で知り合った。スポーツブランドの営業マンで美里と同じく学生時代はバレーボールに没頭していたことから出会ってすぐ意気投合した。一見スタイルの良い爽やかイケメンに見えるが、美里はよく食べてよく笑う素直なところに惹かれた。


先週の日曜日、美里の誕生日の前祝いで高級レストランで食事をしようと約束していたのだが、急遽顧客とゴルフの予定が入り、前日にデートをドタキャンした。


「なんか美里って、接待ゴルフ多いよな」という将太のメッセージに、つい「何それイヤミ?」と返してしまった。
「ごめんそんなつもりじゃない! レストランはキャンセルしておく!」とすぐに返事が来たが、返信が後回しになり、結果的に美里が既読スルーをしているような状態でやりとりは途絶えていた。


冷静になればわかる、将太は嫌味を言うような性格ではないし、単純に「最近ゴルフ多いな」と感想を言っただけなのだろう。むしろレストランの予約までしてくれていたのだから、あちらに嫌味を言われても仕方ないくらいだ。


新しくカモミールティーを入れてから、ソファーに座り、メッセージを開くと「今から会いに行っていい?」とあった。メッセージを眺めながらカップに口をつける、それから「どうして?」と返した。すぐに既読になり「話したいから!」と返信が来た。


すっかり失念していたが、日付が変われば美里の誕生日だ。恐らく将太は誕生日を祝うために部屋に来ようとしているのだろう。


「わかりやすい人......」思わず微笑みながら独り言が出てくるほど、将太のことが愛おしい。それに、自分よりもはるかに素直に生きている将太が羨ましく思える。美里は、空になったマグカップをキッチンに運び、あえて間をおいてから「いいよ」と返事を送る。
そして将太が来る前に、残してあった洗い物を済ませようとしたそのとき、インターフォンが鳴った。


いくらなんでも早すぎると思ったが、まぎれもなくインターフォンのモニタに映っているのは将太だった。
玄関のカギを開けると、背の高い将太がほんの少しだけ身を屈めドアを開けて入ってくる。小学生のように目を輝かせ「びっくりした? ピンポン来ちゃった攻撃!」と少しおどけてみせる。


ひとりでモヤモヤしているときに明るい将太がいてくれるのは嬉しい。しかし、既読スルーをしていたことと、家にいるくせにすぐに返信をしなかったこと、すべてが見透かされているようで美里は素直に笑えない。それを見て将太は「あれ? 怒った?」と少しだけ不安げな表情に変わる。


まずは私が謝らなくちゃ。そう思い声をかけようとしたところで、今度は美里のスマホから着信音が鳴った。


「誰?」
「母親から」
「出なよ」
「いや、いい」
「いいから出な。こんな遅い時間に急用かもしれないよ?」


将太に促されて、電話に出ると「あ、みーちゃん、何してた?」とのんきな母親の声が聞こえてきた。その第一声で、他愛もない用事だとわかる。


「別に、もう寝るところ」
「え、もう寝るの? まだ11時前よ? 具合でも悪いの?」
「悪くないわよ。用件は何?」
「特に用事は無いけど。みーちゃん元気かなあって思って」
「あのね、お母さん、悪いけど私疲れてるのよ。用事が無いならかけてこないで」
「相変わらず冷たいわねえ、みーちゃんは......」


言い終わる前に電話を切ってしまった。


(またやってしまった......)今朝の明日香の一件と同じだと美里は思い返す。将太に謝るせっかくのチャンスを母親に邪魔されたような気持ちになって、つい冷たくしてしまった。
職場ではキャリアウーマンを気取っていながら、こんなにも短気で子供じみた一面がある自分に、ほとほと嫌気がさす。


顔を上げると、将太がこちらを向いていた。


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「......何?」
「美里、お母さんに冷たすぎだよ」


さっきまで機嫌の良かった将太が真剣な表情を浮かべている。恐らく電話の向こうの母親の声も聞こえていたのだろう。のんきに話す母親を遮って食い気味に早口で言い返した挙句、話の途中で一方的に電話を切った自分のことを、将太がどう思っているのか、美里は想像してみる。


「美里のこと心配してくれてるんだろ? やさしくしなきゃ」


そうだよね、ごめん。美里はそんな簡単な一言すら口に出せない自分に苛立つ。


「今日は本当に疲れてるのよ」
「大丈夫? 仕事で何かあったのか?」
「将太に話してもわからないことだから、いい」
「いいから話してみたらラクになるかもよ?」
「いいってば! 絶対に将太にはわからないことなのよ!」
「絶対に、かあ......」


昨日の失礼な会食での出来事や、今朝の後輩との一件を、つまりは仕事上の愚痴を彼氏にもらすのは、美里の美徳とするところではない。ただそれだけのことだったが、思いのほか棘のある言い方になってしまった。


「俺達、このまま付き合ってる意味、あるのかな。俺、美里の力になってやれないし。愚痴も聞いてやれないし」


何か言いたかったが言葉が出ない。


「......悪い。なんか俺、面倒くさい男みたいになってるな。帰るわ。疲れてるときに押し掛けるようなことして悪かった」
「え、ちょっと待って......」


将太が立ち上がり、「近いうちに、ゆっくり話そう。また連絡する」と言うと、十数分前に入ってきたときと同じように少しだけ身を屈めて、今度はドアの向こうへと出て行った。


(誕生日、祝ってくれるんじゃなかったの? ゆっくり話そうって何?)


自分の言動が招いた出来事だとはわかっていても、美里は急な展開に頭が追いつかずぼんやりと玄関で動けずにいる。


しばらくすると背中越しにリビングルームにあるテレビのタイマーが作動し『ワールドビジネスサテライト』のオープニング曲が流れてきた。こんなときでも体は日課に反応してしまうのか、美里は自然にテレビの前へと移動する。


最初の特集はセクハラ問題。営業職の女性が街頭インタビューで「会社や自分が不利益を被るかもしれないと思うと、クライアントからハラスメントを受けても言い出せない」と答えていた。
美里は再び明日香のことを思い出す。「ゆとり世代」だと揶揄したのは彼女からしてみればパワハラと受け止めたかもしれない。後輩の頑張りを認めていながら、なんて酷いことを言ってしまったのだろう。明日香にだけではない、将太にも、母親にも、酷いことを言ってばかり......。美里はこの数日の出来事を思い返し、自己嫌悪の暗闇に落ちていく。深い深い暗闇の底から自分の足を引っ張っているのは自分自身だ。そう思うとますます暗闇は暗くなる。


特集のVTRはまだ続いている。あるタクシー会社は2年前から乗客がセクハラ・パワハラ等をやめない場合、タクシーを降りてもらう可能性を運送約款に明記しているそうだ。
それ以来、女性ドライバーの数が2倍に増えた、と伝えている。


(時代も、会社も、少しずつ変化していくんだ)


美里は、暗闇の中に一筋の光が見えたような気持ちになった。それはまだ儚くて弱々しいが、光であることに違いは無い。前向きな気持ちになったとたん、暗闇は目の前から消えた。


「まずは私自身が変わらなくちゃ!」


画面が次のニュースに移った。
自分の決意表明を聞いてからニュースが切り替わったかのような偶然のタイミングに、美里は思わず笑ってしまった。


(第四話へつづく)


作/ニシオカ・ト・ニール
イラスト/大野まみ

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