テレ東プラス連続ウェブ小説:「30代の女子会。恋も仕事も家族も大事ー三者三様、女の生き様」

2018.09.26

第四話 リミットなんて言わせない~女の幸せの定義とは?~


バスオイルが放つサンダルウッドの香りが、沙紀の鼻腔から全身へ巡ると、至福のため息が自然と溢れ、凝り固まっていた心と体が一気に解放されていく。
こんなにゆっくりと、自宅のバスタブに浸かるのはどれくらいぶりだろう?


沙紀は、バスタブの縁に置いてあるポータブルテレビの電源を入れると、再び肩まで湯に浸かり目を閉じた。
「ああ......最高」
テレビの音をBGMに、沙紀は存分にバスタイムを楽しんでいる。
沙紀は昔から、仕事や何か作業をする時、リラックスしたい時、何かしら音がないと落ち着かない。特にテレビの音が一番しっくりくるため、普段、自宅にいる時はテレビをつけっぱなしにしておく癖がある。しかし、プロジェクトマネージャーに抜擢されてから、テレビをつけるどころか、帰ってただ寝るだけの生活を送っていた。せっかく『癒しの場所』として借りた家を満喫する時間もなく、時折虚しくなったりもしたが、自分でイチから作り上げた今回のプロジェクトを、なんとしてでも成功させたい、その一心で過ごしてきた。
そして昨日、クライアントからOKをもらい、無事納品を済ませた。沙紀は身を粉にして頑張った甲斐があったと心から安堵した。
仕事は、頑張れば頑張るほど自分の血肉となり、評価となって返ってくる。なし終えた時の爽快感と充実感は、他の何物にも代えがたい。


沙紀が働くIT業界は、女性が増えてきたものの、内情は、まだまだ男性上位の業界だ。そんな環境でのし上がるには、実力はもちろん、強い精神力も必要になる。沙紀は、この業界に入ったからにはキャリアを積み、絶対に出世してやると決心していたので、男社会の中でがむしゃらに頑張ってきた。
沙紀は、ポータブルテレビの横に置いておいたミネラルウォーターを取ると、一気に3分の1ほど飲み干した。額から玉のような汗が伝い流れていく。どんどんデトックスされていく感覚が心地いい。


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「仕事ばかりじゃなくて、恋もしなくちゃ息詰まるぞ?」
ふと、河原部長の言葉が脳内でリフレインし、沙紀は眉をひそめた。
河原は40代半ばの、一見頼りがいのある素敵な上司といった印象だが、実は『無自覚パワハラ上司』だ。
プロジェクトが佳境の頃、沙紀が残業をしていると、河原が缶コーヒーを2本持って沙紀の隣の席に座った。
「お疲れ。頑張ってるな。飲むか?」
「ありがとうございます」
"いかにもな上司像"を演じる河原の様子に、沙紀は少々滑稽さを感じた。
「体調は大丈夫か?」
「はい。体力には自信があるんで」
「そんなこと言って。お前は頑張りすぎるきらいがあるからなあ」
(明日の朝までに、資料をまとめて先方に提出しなきゃいけないんだから仕方ないじゃない......)
またもや"いかにも論"をぶつけられ、沙紀は悶々とする。
もちろん、河原から発せられる言葉は裏表のない真実で、今も沙紀のことを心配した故の言葉であることもわかっている。しかし、それを言うタイミングや伝え方のセンスが絶望的に欠けているのが河原の欠点だ。
「毎日こんな調子じゃ、どうせ彼氏もほったらかしなんだろ?」
「彼氏なんて作ってる余裕ありませんよ。今は仕事が何より大切なので」
沙紀の言葉に嘘はない。ずっと夢見ていたプロジェクトマネージャーとしての初めての大仕事。多少、私生活を犠牲にしても構わないと思っている。
「岡崎さぁ、仕事に一生懸命なのもいいけど、仕事ばかりじゃなくて、恋もしなくちゃ息詰まるぞ?」
河原は困り笑いの表情を見せ、優しく諭すように言った。
沙紀はさすがにカチンときた。
しかし河原は、沙紀の様子に全く気づいていない。
「恋ももちろんいいですけど、今私、仕事が一番楽しいんです。毎日充実してるし、何の不満もないんですよね」
これ以上何も言ってくれるな......そんな意思も込めて伝えたつもりの言葉だったが、河原はより一層、腹立たしく感じる困り笑いを作ってこちらへ向けてきた。
「そんなこと言って。恋愛も大事なことだろ? 恋をして、自分を磨けよ」
(......じゃあ何? 恋をしなくちゃ自分を磨けないとでも言いたいの?)
相手が年の近い友人だったらとっくに噛み付いているところだ。


「女性には何だかんだとリミットがあるわけだし。仕事も大事だが、いい人を見つけて幸せになることも考えないと。な?」
河原は席を立ち、張り付いた笑顔のまま固まっている沙紀の肩をポンと叩くと、自分の席へ戻っていった。


「結局、女の幸せは結婚して家庭を築くことだって言いたいわけ?!」
潜めていた怒りが一気に噴き出し、思わず独り言のボリュームが大きくなる。
河原の発言は、『パワハラ』や『セクハラ』に充分該当する。しかし、まるで自覚のない相手に訴えかけて何になるだろう。下手に言えば、「強がらなくていい」とか「本当は寂しいんだよな」などと、より腹の立つことを言われてしまいそうだ。
面倒くさい......。沙紀は気持ちを切り替えて、河原と戦うエネルギーを仕事に使うことにした。


『女のリミット』......先日の女子会で、梨花子にも言われた。沙紀はこの言葉を聞くたびに、釈然としない気持ちになる。
「リミットって何? そうなったら女はダメになるわけ?」
確かに、『出産』に関してはリミットがある。それは沙紀自身、充分わかっているつもりだ。


沙紀にも結婚を考えた男性がいた。しかしその頃、沙紀は仕事に打ち込み多忙な日々を送っていた。彼からある日、「仕事と俺との将来、どちらを選ぶのか」と切り出された。もちろん彼のことは大事だが、仕事と比べられるような話ではない。夢が叶うかもしれない大事な時だし、この山を越えてから考えるのではダメかと伝えると、「きっと沙紀は、これからも仕事を選んでいくんだね」と言って去っていった。


彼を失ったショックは大きかったが、泣いている暇などなかった。そして気づけば、2年の月日が過ぎていた。
あの時結婚を選んでいれば、今頃美和子みたいに、優しい旦那や子供と暮らす、かけがえのない幸せな生活を送っていたかもしれない。
(今の自分は幸せじゃないってこと......?)
そんなわけない。
念願の夢が叶い、まだまだやってみたいことでいっぱいだ。
けれどそんな私を見て、「幸せにならないと」と説いてくる人がいる。なんでそう思われるの? 私が女だから? 女には『リミット』があるから......?
「あー! もう、やめやめっ!」
沙紀は頭まで湯船に浸かった。しばらくして、「ぶはっ!」と勢いよく飛び出すと、バスルームの窓を開けて新鮮な空気を吸い込んだ。不思議とモヤモヤしたものが一掃された気がした。


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沙紀は残りのミネラルウォーターを飲みながら、ポータブルテレビに視線を移す。女子会の時に見た、『THE カラオケ★バトル』がやっており、あどけない顔立ちをした大学生の男の子が、コブクロの『ここにしか咲かない花』を歌っている。
「すごくいい声......。こんなのカラオケで歌われたら好きになっちゃうかも」
沙紀はふと、短大時代に付き合っていた彼のことを思い出した。この曲がすごく好きで、カラオケに行くといつも歌ってくれた。
「懐かしいなあ。あの頃の私、目いっぱい恋愛を楽しんでたよね」
テレビから流れる大学生の心地よい歌声は、沙紀を楽しかった時代にタイムスリップさせた。


すっかり一人に慣れてしまった沙紀だが、"このまま一生"のつもりはない。
でも、仕事を頑張れば頑張るほど、『女として』という勝手な概念を押し付けてくる周りや世間に辟易して、恋愛に対して意固地になっていたところは否めない。仕事の忙しさを理由に、出会いやチャンスを自ら逃していたのも事実だ。
広すぎる部屋を借り、悠々自適な独身生活も悪くない。けれどそこに、大切な人が加わっても悪くないと思う。けど、『リミット』だからではなく、まずは共に過ごすことに楽しみを感じてからだっていいと思う。


沙紀はバスルームの入口に置いてあったスマホを手にすると、美和子と梨花子のグループラインにメッセージを送った。
『来週、女子会しない?』


(第五話へつづく)


作/穂科エミ
イラスト/大野まみ


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