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林家三平 …山口達也
本名は海老名泰一郎(えびなやすいちろう)。それまでの落語とは一線を画す破天荒な「三平落語」で人気者となり、爆笑王と呼ばれた噺家。「どうもスィマセーン!」「もぅ大変なんすから」「ヨシ子さ〜ん」などの流行語を生み出した。終戦後、復員した後に噺家の道を目指し、父・七代目林家正蔵に入門。正蔵の病没後は、月の家圓鏡(後の七代目橘家圓蔵)の弟子となり、昭和33年に真打ちに昇進。その後、テレビや寄席を中心に爆発的な人気をはくす。昭和54年に脳内出血で倒れ、再起不能をささやかれながらも、壮絶なリハビリの末に高座に復活。しかし、翌年の昭和55年、肝臓がんに倒れ、9月20日に死去。享年54。
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海老名かよ子 …菊川怜・八千草薫(現在/ナレーション)

林家三平の妻。父は東京・本所の釣り竿屋「竿忠」の職人。東京大空襲で肉親を亡くし、兄・喜三郎と共に戦災孤児となった。その後、噺家の三代目三遊亭金馬に引き取られる。
昭和27年、三平と結婚。姑の歌とともに3人での暮らしが始まる。まだ駆け出しの噺家・三平を思う歌の方針から、夫・三平を「おにいさん」と呼び、妻であることは三平が真打ちになるまで伏せられていた。
三平が真打ちになった後も、なぜか一向に楽にならない家計を助けるために日々、内職に追われる。
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林家正蔵(七代目) …伊東四朗
林家三平の父。本名は海老名竹三郎。初代柳家三語楼に入門、柳家三平を名乗る。のち七代目柳家小三治の名を経て、昭和五年に七代目林家正蔵を襲名。得意ネタは「源平盛衰記」で、落語芸術協会初代副会長。
時事感覚に長け、爆笑落語を得意とした噺家で、三平の十八番「どうもスィマセーン」も、もともとはこの七代目正蔵が高座でお客さんを巻き込むために使っていたといわれている。昭和24年に死去。享年55。
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海老名歌 …木の実ナナ
林家三平の母で、七代目林家正蔵の妻。正蔵の病没後、三平を一人前の噺家にするために、海老名家を支え続けた強く優しい女性。三平の妻・かよ子には時には厳しく噺家の妻としての心得を教え、持ち前の明るさと強い信念で、戦後の貧しかった時代を乗り切る。昭和56年、三平が亡くなった7ヶ月後に三平を追うように死去。
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さんゆうていきんば
三遊亭金馬(三代目) ・・・立川志の輔
かよ子の育ての親。本名は加藤専太郎。当初は講談家を目指していたが、大正2年に初代三遊亭圓歌に弟子入りし、三遊亭歌当となる。その後二代目三遊亭歌笑、三遊亭圓洲の名を経て、大正7年に真打昇進。大正15年、三代目三遊亭金馬を襲名する。芸風は「楷書で書いたような落語」といわれ、老若男女誰でも分かり易いと定評があった。持ちネタは目黒のさんま、居酒屋、孝行糖、藪入りなど。昭和39年に死去。享年70。
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さんゆうていかしょう
三遊亭歌笑(三代目) …風間杜夫
三平が憧れる売れっ子の噺家。本名は高水治男。昭和12年、三代目三遊亭金馬に入門。その後、二代目三遊亭圓歌門に移り、昭和15年に歌笑襲名。昭和23年真打昇進。エラの張った顔が特徴的で、自作の新作落語で活躍、終戦直後の荒んだ世相に明るい笑いを提供し、一世を風靡する。得意ネタは「歌笑純情詩集」「迷作集」「妻を語る」「ジャズ息子」など。人気絶頂時の昭和25年に、東京銀座松坂屋前の路上を横断中、進駐軍のジープに轢かれて事故死。享年32。
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つきのやえんきょう
月の家圓鏡(二代目・後の七代目橘家圓蔵) …矢崎滋
三平の師匠。本名は市原虎之助。鍛冶屋の職人、ガラスの職工、魚屋など、10以上の職業を転々とした後、大正12年に21歳で八代目桂文楽に入門。その後、七代目柳家小三治(後の七代目林家正蔵・三平の父)の門下で柳家治助を名乗るが、吉原の見世番に転身したり、名古屋や大阪で太鼓持ちをしたりと噺家を一時中断する。その後再び桂文楽門下に戻り、桂文雀の名で二つ目、昭和21年に二代目月の家圓鏡を襲名し真打ちに。昭和24年、父・七代目林家正蔵を亡くした三平が弟子入り、一番弟子となる。その後、七代目橘家圓蔵を襲名。しっとりとした口調の芝居噺を得意とした。昭和55年に死去。享年78。
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金馬の妻・八重子 …松原智恵子
三代目三遊亭金馬の妻で、かよ子の母親代わり。かよ子を本当の娘に様にかわいがった優しい女性。三平の母・歌と意気投合し、三平とのお見合いをすすめる。
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柳田ヨシ子 …紺野まひる
三平が「ヒナゲシの君」と呼ぶ初恋の女性。大流行したギャグ「好きです、ヨシ子さ〜ん」のモデル。大きな呉服屋の娘だったが戦争で全て失い、浅草の飲み屋で働いている。三平を応援し、思いを寄せている。
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やなぎやみきまつ
柳家三亀松 …長門裕之
三味線漫談、都々逸(どどいつ)で一世を風靡した漫談家。本名は伊藤亀太郎。都々逸や新内節(しんないぶし)を寄席で演っていたところ、初代柳家三語楼に見込まれて一門へ。柳家を名乗り、三語楼の「三」の字を譲り受け、その後は三亀松の名前で活躍。三味線一本、着流し姿で戦中戦後を通して一時代を築いた。昭和43年に死去。享年67。
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ちょうかろうばらく
蝶花楼馬楽(八代目林家正蔵・後の彦六) …篠井英介
八代目林家正蔵で後の林家彦六。本名は岡本義。噺家仲間からは住居のあった「稲荷町(の師匠)」と呼ばれた。三代目三遊亭圓遊に入門後、四代目橘家圓蔵一門に移り三代目三遊亭圓楽で真打となる。その後四代目柳家小さん一門に移り五代目蝶花楼馬楽。昭和25年、一代限りの条件で、林家正蔵の名跡を三平の母・歌から借り受け八代目林家正蔵を襲名した。得意ネタは芝居噺や怪談噺。昭和55年に三平が急逝したため、翌年に名跡を返還、初代林家彦六を襲名した。昭和57年1月29日に死去。享年87。
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林家こん平 …石井正則(アリtoキリギリス)
三平の弟子。本名は笠井光男。出身地は通称「チャーザー村」で、正式な名称は新潟県刈羽郡千谷沢村(「ちやざわむら」(現在は長岡市)。昭和33年、15歳の時に単身上京し、三平に弟子入り。その際に持参したコシヒカリに目がくらんで、当時生活に窮していた三平が弟子入りを許可したという。「こん平」の名前の由来は顔立ちがキツネに似ているからとのこと。二ツ目時代からテレビ番組「笑点」に出演。三平亡き後は林家一門を統率。
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林家いっ平 …林家いっ平
三平の次男。本名は海老名泰助(えびなたいすけ)。平成元年に中央大学在学中に林家こん平に弟子入り。 平成5年に二ツ目昇進、平成11年にはシンガポールにて江戸落語初の英語落語を披露する。平成14年に真打昇進。得意ネタはみそ豆、野ざらし、初天神など。今年は中国語での落語にも挑戦する。
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林家正蔵(九代目) …林家正蔵(九代目)
三平の長男。本名は海老名泰孝(えびなやすたか)。昭和53年4月に、 父・三平に入門、林家こぶ平を名乗る。昭和55年、三平没後に林家こん平門下で修行。昭和56年に二ツ目昇進、昭和62年5月に真打昇進。祖父・七代目林家正蔵、父・林家三平と、史上初の親子三代の真打で話題になる。平成17年3月に九代目林家正蔵を襲名。上野から浅草へ敢行した『お練り』には、14万5千人の観客が押し寄せた。
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