西武・栗山巧 2000本安打達成を支えた「心技体」それぞれの恩人

野球

2021.9.28

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そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

西武ライオンズの室内練習場は知っている。男がどれだけの汗で今を作ったか。

栗山巧といえば練習。そう断言していい。38歳の栗山は今も見ているほうが何か申し訳ない気持ちを抱くくらいバットを振り続ける。

初ヒットはプロ3年目の21歳。二千本安打への長い旅路はこの一本から始まった。その歩みを一言で表現するなら「地道」ということになるだろう。

大きな怪我なく試合に出続け15年目、32歳で1500本安打。

その道を進めたのは一人ではなかったから。心技体。それぞれの支えがそこにはあった。

「技」を支えたバット職人

栗山巧、二千本安打を支えた心技体。まずは技に迫ろう。

サムライで言えば刀。一流打者のバットはどこで作られるのか。調べると、その工房は岐阜の山あいにあった。刀鍛冶にあたる専門の職人もいるらしい。

腕をふるう職人はこの道20年の渡辺さん。

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イチローや松井がほれ込んだ伝説のバット職人、久保田五十一の愛弟子。現在、100人ほどの選手を担当し、栗山のバットを入団直後から手掛けている。

バットによって通じ合う男と男。要求は細かく、熱心さに動かされるという。

渡辺さんには栗山が言った忘れられない言葉がある。

「ひとつのバットを二人で作りましょう。」

同じ目線が嬉しかった。今も年に一度、栗山は必ずお礼を言いに来る。

「心」を支えた当時の監督

二千本安打を支えた心技体。続いては心。

今年3月、迎えた20年目の開幕。珍しく人を寄せ付けない険しい表情の栗山がいた。試合では持ち前のバットコントロールで二本のヒットを積み重ねる。訪れた安堵。

開幕戦には苦い思い出がある。2009年、25歳の開幕戦第1打席での1球。その残像が頭から離れず栗山は自分のスイングを見失う。精密機械の歯車はその精密さゆえに、一度狂うと直しにくい。

栗山はその泥沼にはまった。何と開幕26打席ヒットなし。

その時だった。

「練習するしかないよな」

声の主は当時の監督、渡辺久信だった。栗山がまだ若手で二軍にいた時代、毎日のように打撃投手をしてくれた恩人の一人。

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折れていた心。栗山は思い出深い室内練習場に連れ出され居残り特打を行なった。渡辺は一軍の監督という立場を越えて、その練習に寄り添ったという。

そして開幕から6戦、27打席目にようやく初ヒットが生まれた。

折れた心はそうして戻る。一人では無理だったと今も思う。

「体」を支えたパーソナルトレーナー

二千本安打を支えた心技体。最後は体。

今年7月の前半最終戦、二千本安打は残り16本に迫っていた。そんな緊張感が高まる中、栗山はこんな取材も許してくれた。

これまで進んでは見せなかった個別トレーニング。パーソナルトレーナーの大川さんが肉体作りを担う。

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大川さんはかつて野茂英雄と個人契約していた。野茂が巻き起こした大旋風。その陰でトレーニングを支えたのが大川さんだった。

栗山はプロ二年目の控え時代に知り合い、その後の体作りが成功してレギュラーを勝ち取った。

栗山がする猛練習は普通にやったら怪我をしてしまう。そうならないための二人三脚。コロナ禍以前は地方遠征にも帯同していた。

2021年9月4日

2021年9月4日。そのときはやって来る。

プロ入りして20年、通算8308打席目だった。

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史上54人目。王・長嶋や落合が名を連ねるプロ野球の高み。積み重ねてきた小さな一歩一歩が男を高みに運んだ。

西武の生え抜きとしては初の快挙。やまない祝福にちょっぴり照れる栗山がいた。

今、38歳。

大きく咲く花はすばらしいが、長く咲き続ける花もすばらしい。栗山巧はそんな選手だ。ファンはそれを愛してやまない。