車いすテニス界のレジェンド・国枝慎吾が引退会見「最高のテニス人生」で挑んだ3つの戦いとは?

国枝慎吾 引退会見 写真:AP/アフロ
これほどまでに清々しく、晴れやかな現役引退は滅多にないだろう。
車いすテニスで数々の偉業を成し遂げた国枝慎吾が2月7日、所属先であるユニクロの有明本部(東京都江東区)で引退会見に出席。
同社会長の柳井正氏同席のもと、11歳で車いすテニスと出合ってから約28年にわたる競技人生を振り返り、今後の活動について言及した。
国枝の功績は枚挙にいとまがないが、日本国民にとって最も記憶に新しくインパクトがあったのは東京2020パラリンピック男子シングルスの金メダル獲得だろう。
自身も長い競技人生を振り返ったとき一番思い出に残っていると言い、「東京で金メダルを取ったことが僕の中のピリオドだったと思う。
開催が決まった2013年から8年越しの夢が叶った瞬間。今でも鮮明で写真を見ると震えるような感情になる。一番の集大成」と語った。
パラリンピックは他にも2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ大会に出場しシングルスで3個、ダブルスで1個の計4個の金メダルを獲得。
海外ツアーでは、車いすテニスが現行のグランドスラム(四大大会)に統合された2009年以降、実に単複計50勝(シングルス28勝、ダブルス22勝)という驚異的な成績を挙げ、男子歴代最多記録を打ち立てている。
特に2022年には全豪オープン、全仏オープン、ウインブルドン選手権、全米オープンのうち、最後に残ったウインブルドン優勝も果たし生涯グランドスラムを達成。
「チーム(のみんな)と抱き合ったときに『これで引退だな』って、芝生のコートの上で最初に出た言葉だった」と秘話を明かした。
今でこそ「レジェンド」と称される国枝だが、車いすテニスの知名度を上げる道のりは苦難の連続だった。
現在はパラスポーツと呼ばれるようになった障害者スポーツ自体、純粋にスポーツとは受け止められず、障害者のリハビリや福祉の一環という位置づけ。そうした概念を変えるため国枝は矢面に立ち奮闘を続けてきた。
「アテネパラリンピックの頃は金メダルを取っても(新聞の)スポーツ欄に載らない。それをどうにかスポーツとして扱ってもらいたい。車いすテニスってこんなに面白いんだ、想像以上に秋サイティングなスポーツなんだって。パラリンピックもよく『共生社会の実現のために』と言われますけど、スポーツの感動とか興奮を与えられなければ、そこにも繋がっていかない。だからスポーツとしてのこだわりは相当強く持ちながらプレーしていました」

PHOTO:Gettyimages
現役中は「相手との戦い」「自分との戦い」に加え「スポーツとして見てもらうための戦い」が重く肩にのしかかっていたという。
そして、そのプレッシャーを取り除いてくれたのが東京パラリンピックの金メダルだったとも。
「昨年はようやく気負いを感じることなく純粋にテニスができた。そういう環境を若い選手に用意できて良かった」と自身の果たした役割に納得の表情を見せた。
また、国枝の代名詞である「オレは最強だ!」のフレーズは、彼が本気で世界のトップを目指そうと決意した2006年1月の出会いから全幅の信頼を寄せるメンタルトレーナーのアン・クインに授けられたもので、国枝の窮地を何度も救ってきた。
それでも右肘の故障と2度目の手術の影響でスランプに陥り、世界ランク1位の座から陥落した2016年には迷いも......。
テーピングに書いてラケットに貼っていたこの言葉を「外そうかなと悩んだ。でも外さなかった。外したらもう(王座は)戻ってこないと感じた。『オレは最強だ!』と断言することで弱気の虫を外に飛ばせた」と知られざる胸の内も明かしている。
そんな弱音を唯一、吐き出せたのは献身的なサポートで国枝を支えてきた妻・愛さんだ。
「メディアの前では強気な発言とか金メダルを取りますって言わなきゃならない。でも妻には『もう無理かも』『もうプレーできない。引退かな』とか、そういう言葉を吐き出せる。2017年からは大会にも帯同してくれて、ホテルでも家のようなアットホームな雰囲気でオンとオフを切り替えることができた。すごく助けになった」と愛妻への感謝を口にした。
また、国枝が「最大の挫折」と言う2016年リオパラリンピックでも、シングルス3連覇を逃しベスト8に終わった辛い時期に「妻の存在はすごく大きかった」と語った。

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そんな国枝に対し、政府は国民栄誉賞を検討。本人にも2月3日に連絡があったといい「車いすテニスと自分がやってきたことが最大限評価された。大変光栄に感じた」と感慨もひとしおの様子。
「もうやり残したことはない。最高のテニス人生を送れたと言い切りたい」と満面の笑顔を見せた。
今後については明言を避けたが、車いすテニスがさらに発展し、真にスポーツとして社会に受け入れられるために、たとえば健常のプロテニス大会に車いすの部を作る活動を世界的に展開していきたいというビジョンを披露。
柳井会長も「今までは助走、これからが人生の本番」と発破をかけ、引き続き国枝の挑戦を支援していくと明言した。
奇しくもこの日が誕生日だった柳井会長の言葉を借りれば、この競技引退は「新しい国枝慎吾の誕生」。前人未到の偉業を成し遂げたレジェンドの新たな人生が始まる。
(文=高樹ミナ)