神宮を職場に 中村優斗、プロの舞台への道|テレ東スポーツリアライブ企画

野球

2024.12.3

その時点では、まだ何も決まっていなかった。

7月24日、プロ野球オールスターゲームが行われた神宮球場にその男はいた。

「初めて神宮に来ました。応援とかもすごくて、臨場感があって、こういう世界で戦いたい」。

愛知工業大学・中村優斗はそう言って目を輝かせた。

 「第1巡選択希望選手 東京ヤクルト 中村優斗 投手 愛知工業大学」。

その3か月後に行われたドラフト会議でヤクルトから1位指名。

神宮球場は、今後中村の"職場"となることに決まった。

そして宗山(明大)、金丸(関西大)と肩を並べることができた。

 中村の最大の武器は、アマ球界最速の160キロのストレートだ。

ヤクルト高津監督は指名の理由について「ウチはパワーピッチャーが少ないですし、今のスワローズに一番マッチしている」と説明した。

侍ジャパンの栗山前監督も「(投げる)ボールは本当に強いですね」と、ストレートの威力に驚きを隠さない。

 それほど高い評価を受けていた中村だが、地方リーグの悲哀を感じてきた。

常時150キロ超のストレートが投げられるようになっても、なかなか注目してもらえない。

リーグでは中心的存在になったが、同時に複雑な感情が沸いていた。

 「悔しかったですね、ずっと。2年の時、153キロ投げたんですけど、全然、東京六大学とかの方が有名になるんで」。

 ただ、高校入学時は将来のプロ入りなど考えたこともなかった。

中学時代は軟式野球部で、強豪校からの勧誘は一切なかった、という。

 「将来は公務員になりたくて、諫早農業の農業土木科を選びました。プロ?まさか考えてもいませんでした」。

社会基盤の設計を学ぶ学科で、高校から長崎県庁、農林水産省などに就職する卒業生が多い、という。

 エリート街道とは程遠い野球人生。甲子園とは縁がなくても、貫いてきた信念があった。

諫早農・宮原監督は「彼は非常に"負けず嫌い"なところがあって、全部ストレートで勝負にいった。その辺が彼の持ち味といいますかね」と当時を振り返る。

「僕は"負けず嫌い"です。自分が勝つまでやめない」と中村もキッパリ言い切る。

 そんな無名校のエースがプロを目指すきっかけは、2年の夏に愛工大・平井光親監督(58=元千葉ロッテ、91年首位打者)との出会い。

2回戦で過去3度甲子園に出場した実績がある瓊浦(けいほ)を完封して、少し自信が芽生えたタイミングだった。

計3度も足を運んでくれた平井監督の熱心さに、中村の気持ちは野球継続へと傾いていく。

ここから小学校時代の夢"プロ野球選手"へと走り始めた。

 「これから(大学)4年間、トレーニングを積めばプロに行けるんじゃないか」。

"負けず嫌い"の強い気持ちが、中村を着実に成長させた。

大学入学時、最速145キロだったストレートは、本格的にウエートトレに取り組むと、急速にアップ。フォームを一から見直して改良したことも奏功し、初の代表候補に選ばれた昨年12月の合宿では当時の大学生最速157キロをマークした。

 「地方の選手でもドラフト1位になれるってことを示したい。エリートはエリートの道を進むんだろうから、いつかまくってやろうって」。

ストレートはすべて150キロ以上という凄まじい投球で、代表レベルの選手をねじ伏せプロのスカウト陣を狂喜させた。

 「150キロ中盤から後半をずっと投げられる。一つ抜きんでている」。

井端監督をも圧倒する投球で3月に侍ジャパンに選出されると、完全試合リレーのメンバーに名を連ねる大活躍。

代表でオリックス・山下舜平太から瞬発力を鍛えるトレーニングを教えてもらって地道に取り組んでいると、今秋のリーグ戦でついに160キロをマークするところまで力をつけた。

 "雑草魂"でつかみ取ったドラフト1位指名。

「どんなにすごい人がいても、軸だけはぶらさずにレベルアップしていきたい。最終目標ですか?沢村賞ですね」。

中村はそう言うとにやりと笑った。まだまだ進化が必要であることを誰よりも理解している。


テレ東リアライブ編集部