そして《愛》は歌い継がれる…
1915年、エディット・ジョアンナ・ガションはフランスのパリ、ベルヴィル地区に誕生した。時は第一次世界大戦中で、町中は戦火の渦だった。歌手を目指していた母アネッタは、路上で歌を歌い、日銭を稼ぐ毎日。そして、そのそばでエディットは小さくうずくまっていた。その後、彼女は祖母ルイーズが経営する娼館に預けられることになった。エディットのことを実の子と同じように可愛がる娼婦ティティーヌたちに出会い、戦争で傷ついた彼女の心は少しずつ癒えていった。しかし彼女の幸せな時間は長くは続かなかった。虚弱体質の彼女は角膜炎を患い失明してしまったのだ。何とか彼女の目をもとに戻してやりたいと思った。そこでルイーズたちは、エディットを教会に連れて行った。聖テレーズに祈るために。そして奇跡が起こった。聖テレーズに祈ると彼女の目は光を取り戻したのである。その後、彼女は聖テレーズのクロスを生涯手放す事はなかった。
その後、大道芸人の父親に引き取られ各地を転々としたエディットは、父の大道芸の傍らで歌うことを覚える。彼女が歌った時は、いつもの数倍の金が集まった。彼女は自分の歌が人の心を動かすのを知った。
1935年、エディットはパリのストリートで歌っていた。日銭を歌で稼いでいたのだ。そこで彼女は運命的な出会いを果たす。パリ市内の名門クラブ、ジェルニーズのオーナー、ルイ・ルプレが彼女の歌に目を留めたのだ。「もし人生を変えたければここに来てくれ」。彼女は彼からもらった名刺のクラブにいき、そこで歌を歌った。ルイ・ルプレはすぐに彼女を採用した。しかし彼女の名前が気に入らなかった。「エディット・ガションはパっとしないな。君を見ていると雀(ピアフ)を思い出すんだよ。今から君はピアフだ。」
 ジェルニーズでの舞台は大成功だった。彼女は一躍時の人となり、ジェルニーズは彼女の歌を聴きにきた観客で毎晩満席となった。彼女は遂に歌手として一歩を踏み出したのである。しかし、彼女の栄光はすぐにかげることとなる。ジェルニーズのオーナー、ルイが死体で発見されたのである。しかもエディットは容疑者の1人になっていた。容疑は晴れたものの、彼女がステージに立つと「人殺し!」といった罵声を浴びせられるようにまでなっていた。父親とも慕っていたルプレの死で絶望の淵に立たされた彼女を救ったのは、著名な作詞・作曲家であるレイモン・アッソであった。アッソはピアフに対して容赦ない訓練を施した。その甲斐あって、復帰のコンサートは大成功に終わる。彼女は舞台に戻ってきたのだ。その後の彼女はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムを駆け上り、フランス以外の国でも大成功を収める。フランス人で成功した者がいない国アメリカでも批評家から「無知なアメリカ人にはピアフの歌はわからない。だまって彼女の歌を聞けばいいんだ!」と絶賛される。そんな絶頂期を迎えていた1947年、ニューヨークで彼女は人生最大の愛に出会うこととなる。ボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンとの出会いである。マルセルには妻子がいたが、ピアフとマルセルは磁石のように急速に惹かれ合っていく。素晴らしい出会いは続くもので、NYでマルセルとの食事中に、映画界の大スター、マレーネ・デートリッヒがピアフに「あなたの歌は素晴らしいわ。パリの夜を思い出して泣いてしまったの。」と声をかけてきた。あこがれの大スターに声をかけられてはにかむピアフ。デートリッヒとは生涯を通じての友情を育むこととなる。 |