たまゆらの女

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 スン・チョウ<監督・脚本・製作>

 1954年、山東省生まれ。山東省の地元テレビ局でカメラマンとして活躍し、全国コンテストで最優秀賞を獲得した"Wu Song" (1980)や "A Garland at the Foot of the Towering Mountain" (1982)をはじめ30本以上に及ぶテレビ・ドラマを手がけた。


 1983年に連続ドラマ"Snowstorm"で脚本家兼監督としてデビューを果たしたチョウは、この作品で全国コンテストの最優秀監督賞を受賞。さらに翌年、北京中央戯劇学院に進学して映画の演出を学び、同学院卒業後は広州のパール・リバー・フィルム・スタジオに職を得た。

 映画監督としてのデビュー作は、都会派コメディ"Put Some Sugar in the Coffee" (1987)。好評を博した同作品に続き、興行的にも成功を収めたサスペンス・スリラー"Blood at Dusk"、中国のアカデミー賞として知られる金鶏賞で最優秀作品賞の栄誉に輝いた"Heartstrings" (1992)の2作品を発表。その後、厳しい検閲システムを憂慮したチョウは、1993年から1999年にかけて映画監督としての活動を休止、コマーシャルの製作に専念した。

 1999年、チョウはチェン・カイコー監督の『始皇帝暗殺』に燕国の太子、丹役で出演。中国最初の皇帝として知られる秦王の政と同じ時代に生き、彼の暗殺に深く関わった男を演じた。二人の男に愛される趙姫を演じたのは、中国を代表する女優、コン・リー。この作品の撮影中に、チョウとコン・リーは二人の共同作業による映画づくりを検討。この企画はのちに、聴覚障害児をもつ年若い母親を描いた社会派ドラマ『きれいなおかあさん』として結実した。同作品は国家の承認を得るために20回にも及ぶ手直しを加えたのちに、 ベルリン映画祭で初上映を飾った。主演のコン・リーはこの作品における演技によって、金鶏賞ならびにモントリオール映画祭で最優秀主演女優賞を獲得している。

 ベイ・チュン<原作・脚本>

 本名はユアン・ホンだが、ベイ・チュンのペン・ネームで知られる。1965年、福健省生まれ。1985年に中国文学の学位を得て厦門大学を卒業後、福健省の文筆家組合に就職。


 その後1996年に拠点を北京に移し、作家として本格的な活動を始める。1983年に処女小説を上梓したチュンは、"Listen to a Loud Person", "Ma Zuo's Love Affair", 『チョウユウの汽車』、"The Long March", "Citizen Kane", "Vanishing People"など、数々の短編小説を発表。また、長編小説 "The Tang Empress"(チャン・イーモウ監督がコン・リー主演の歴史劇として映画化を企画したが、のちに頓挫)、 "Lao Mu's Piano"なども世に送り出している。

 作家として活躍する一方、チュンはテレビ・シリーズ "Taiwan Straits"にも脚本を提供している。


 チャン・メイ<脚本>

 スン・チョウ監督の要請により、ベイ・チュンが手がけた草稿を女性の視点から練り直すために共同脚本家として参加。広東省出身のチャンは、同省における文学の発展に大きな貢献を果たした存在として知られる。広東省の文学研究所に所属する作家として健筆をふるうチャンは、広東省立評議会をはじめ、中国作家協会や中国小説組合のメンバーとしても活動している。

 その多作ぶりが知られているチャンは、"A Drunken Perspective"や "Agitated Afternoon Tea" をはじめ、中国を代表する小説ベスト50にも選ばれた"Broken Emotions"など15作にも及ぶ著作を発表している。

 ホアン・チェンシン<製作>

 1954年、西安生まれ。高校卒業後、陸軍に入隊。同時に西安大学で中国文学を学び、卒業後は西安撮影所の脚本部に配属された。のちにジャンシンは、ひょんなことからスタッフの一員として撮影に参加するチャンスを得る。当時の出来事について、彼は「ある日、映画の撮影中に体調を崩した記録係のピンチヒッターを頼まれたんです。わたしはすぐに映画づくりが大好きになり、今日までこの道を突き進んできました」と語っている。その後もジャンシンは、ウー・ティエンミン監督の『標識のない河の流れ』 (1982)をはじめ、中国映画界を揺るがした第4世代の監督による作品に助監督として参加。また、自らも北京映画学院で1年間に渡って演出を勉強した。1985年に西安へ戻ったジャンシンは、ドイツ表現主義の影響を受けたブラック・コメディ 『黒砲事件』で監督デビューを果たす。以降、ジャンシンは中国第5世代を代表する監督として躍進を続けている。

 1987年、ジャンシンは『黒砲事件』の続編となる『スタンド・イン 〜続・黒砲事件』を発表。この作品は中国初のSF映画として大きな注目を集めた。1988年に『輪廻』を世に送り出した後、ジャンシンはオーストラリアに渡ってシドニー・フィルム・アンド・テレビジョン・スクールの聴講生として学んだ。

 中国に帰国後、ジャンシンは自ら「都会人をめぐるコメディ」と名づけた3部作、"Stand Up, Don't Bend Over" (1992), 『王さんの憂鬱な秋』 (1994)、『張り込み』 (1996) を発表。2作目の『王さんの〜』はカンヌ映画祭の監督週間で上映され、批評家と観客の双方から絶賛を浴びた。この3部作は中国国内でも爆発的なヒットを記録し、ジャンシンは「コメディの名手」として広く知られることとなった。
 
 精力的な活躍を続けるジャンシンは、近年も"Tell Me Your Secret" (1999)と "The Marriage Certificate"(2000)の2作品を発表。後者は中国第2位の発行部数を誇る全国紙が主催する中国メディア賞で、最優秀作品賞に輝いている。

 ビル・コン<製作>

 香港有数の歴史を誇る独立系映画会社として知られるエドコー・フィルムズの社長。1993年にティエン・チュアンチュアン監督の『青い凧』で初めて製作に参加。同作品はカンヌ映画祭の監督週間で上映されたほか、東京国際映画祭やハワイ国際映画祭で最優秀作品賞の栄誉に輝いた。その後もコンは、1994年にイム・ホー監督の『息子の告発』(東京国際映画祭で最優秀作品賞と最優秀監督賞をダブル受賞)、1997年にツイ・ハーク製作の『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー スーシン』、同年にアレン・フォン監督の『リトル・ライフ・オペラ』、そして2000年にアン・リー監督の『グリーン・デスティニー』など、数々の作品を世に送り出している。

 『グリーン・デスティニー』は世界各国で2000年を代表するヒット作となったのみならず、アメリカ国内でも外国映画としては破格の1.3億ドルという興行収入を記録。最優秀外国語映画賞をはじめ、美術賞、撮影賞など合計4部門でアカデミー賞の栄冠を獲得したほか、ゴールデン・グローブ賞でも最優秀外国語映画賞と最優秀監督賞に受賞している。

 コンはごく最近も、ティエン・チュアンチュアン監督が中国の古典映画をリメイクした『春の惑い』や、ジェット・リーをはじめマギー・チャン、トニー・レオン、そしてチャン・ツィイーなどが共演を果たしたチャン・イーモウ監督の『ヒーロー』といった作品の製作を手がけている。

 ハン・サンピン<製作総指揮>

 中国髄一の権威を誇る北京撮影所の所長として知られるサンピンは、ニン・イン監督の『スケッチ・オブ・Peking』(1995)をはじめ、ツァン・ミン監督の『沈む街/巫山雲雨』(1996)、ワン・シャオシュアイ監督の『ルアンの歌』(1996)、リュウ・シュウチャン監督の"The Making of Steel" (1997)、チェン・カイコー監督の『始皇帝暗殺』(1999) 、リュウ・シュウチャン監督の"A Lingering Face" (1999)、アン・ホイ監督の"Shadow Magic" (2000)、シエ・フェイ監督の『チベットの女/イシの生涯』(2000)、ニン・イン監督の"I Love Beijing" (2001)、そしてワン・シャオシュアイ監督の『北京の自転車』(2001)など多彩な作品の製作に携わってきた。

 また、サンピンは"Sanctuary" (1988)や"Mao Zedong Story" (1992)などの作品を発表したベテラン監督としても知られている。最近では、ルー・チュアン監督の『ミッシング・ガン』(2002)にチアン・ウェン演じる警官の上司として出演するなど、活躍の幅を広げている。

 ワン・ユー<撮影監督>

 中国の若手カメラマンのなかでも卓越した手腕を誇るワンは、1987年に北京映画学校を卒業。ロー・イエ監督の『ふたりの人魚』(1999)をはじめ、リュウ・シュウチャン監督の"A Lingering Face" (1999)やチャン・ヤン監督の"Quitting" (2001)などの注目作品で撮影を担当している。

 ウィリアム・チャン<編集>

 上海生まれのチャンはカナダで映画を学び、シュウ・シュエン監督の"China Behind" (1974)で助監督兼美術監督を務めた。80年代初頭に香港ニュー・ウェーブの台頭が始まると、美術監督として多忙を極める売れっ子に。その後の10年間に、パトリック・タム監督の『烈火青春』 (1982)やツイ・ハーク監督の『蜀山奇傳 天空の剣』(1983)、イム・ホー監督の『ホームカミング』(1984)と『レッド・ダスト』(1990)、シルビア・チャン監督の"Passion" (1986)、ウォン・カーウァイ監督の『いますぐ抱きしめたい』など、時代を代表する作品の数々を手がけた。

 1988年以降は世界的な知名度を誇るウォン・カーウァイ監督作品の常連となり、『楽園の瑕』(1994)をはじめ、『恋する惑星』(1994)、『天使の涙』(1995)、『ブエノスアイレス』(1997)、そして『花様年華』(2000)といった作品の編集を担当した。また、スタンリー・クワン監督の『藍宇』の編集も手がけている。

 スン・リー<美術>

 北京映画学校で美術を学び、同校を1995年に卒業。IBMコンピューターや中国企業などのコマーシャルで美術を担当したのち、チャン・イーモウが演出を手がけたオリンピック誘致用の広報映画でも美術監督を務めた。また、スン・チョウ監督の前作『きれいなおかあさん』では、美術監督代理という重責を果たしている。

 梅林 茂<音楽>

 一世を風靡したニューウェイブ・ロックの旗手、EX(エックス)のリーダーとして日本の音楽界にデビュー。80年代には、エリック・クラプトンの日本ツアー時にバック・バンドも務めた。1985年のEX解散後、梅林は映画音楽の世界に進出。同年に森田芳光監督作品『それから』の音楽を手がけ、毎日映画コンクールをはじめ、日本アカデミー音楽賞や横浜映画祭、大阪映画祭などで最優秀音楽賞を獲得した。また、ジェイコブ・チャン監督の『夜間飛行』(2001年)では、台湾金馬奨の最優秀テーマ曲賞を受賞している。

 梅林のその他の代表作には、崔洋一監督の『友よ、静かにねむれ』(1985)や、鈴木清順監督の『夢二』(1991)、阪本順次監督の『王手』(1991)と『トカレフ』(1994)、トニー・オウ監督の『南京の基督』(1995)、リー・チーガイ監督の『不夜城』(1998)、ゴードン・チャン監督の"2000A.D."(2000)、そしてウォン・カーウァイ監督の『花様年華』(2000)、高橋伴明監督の『光の雨』(2001)などが挙げられる。




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