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プロダクション・ノート
 YAMAKASIという言葉の語源は、ザイール。
 リンガラ語で、「超人」を意味する。
  自分をとりまく世界をうまく制御する方法を探し求めるとき、 人は己をより知ることを学ぶのだ。



YAMAKASI その歴史
 YAMAKASIのメンバーは、学校の同級生や、家族の友達など、皆10年来の仲間である。彼らは、ほかのシテの子供たち同様、多くの時間を一緒に過ごす。彼らはどんなスペースにも適した、市内の建物の階段や壁、ファサード(建物の正面)で遊べるような、特別な遊びを考案した。
やがて彼らの目標は、少しずつより高く、より速く、より遠くへ、というところに置かれるようになった。彼らは、来る日も来る日も壁をよじ登り、建物から建物へと飛び移り、ジャンプする。
 住民の迷惑にならないよう、彼らは早朝から深夜にかけて練習をするのだが、この練習は、泥棒と間違われて警察に追われたりするリスクと隣り合わせである。人々は、彼らを魅力的だと思う半面、その行動を自殺行為だと確信してもいる。そして日々の活動の積み重ねに当局も根負けし、ついに市が彼らに練習の許可を与えるまでに至った。
 YAMAKASIのメンバーは、家族に自分たちの話はしない。親たちが彼らの情熱の行く先を知るのは、ずっと後になってからのことである。やがて彼らのあいだには「助け合うこと」をベースにルールが作り上げられた。彼らは環境を利用し、環境に適応する。だが彼らはもちろんスタントマンではない。
個々のメンバーが自分たちの得意な部分を、他のメンバーの得意技を利用しながら伸ばしていく事が彼らの理想だ。彼らは、力を、柔軟性を、敏捷性を、恐怖心を、コントロールする訓練をする。だが、同時にまた、スピードと見た目の美しさも磨き上げる。
 身のこなしは、印象的かつ美しくなければならない。建物間のジャンプは、確実にジャンプできるようになるまで、そしてすべてがYAMAKASIの精神をビジュアライズでき、統合できるまで、行われるのだ。200回以上も繰り返して練習されたこともあった。
 決して危険に身をさらさないこと。それが、ハイレベルに達した時点での基本原則である。走り出した瞬間に行動の美を感じ、心臓が激しく鼓動する。そしてジャンプ・・・時が止まる。自分を再認識し、疑いようのない大きな喜びを感じる。克己願望を除外すれば、YAMAKASIであるためには、鋼鉄のように確かな動機と自分に対するポジティブなイメージ、またあらゆる試練に対しての自信、そして多大な適応能力、ならびにすべての技を実現させるためのたゆまぬ努力を惜しまないことが必要である。


 幾年かが過ぎた。各メンバーとも大家族の出身なので、みな何かしら仕事をもっている。だが、働きながら活動してゆくのがだんだん難しくなってきた。そこで1997年、彼らは「芸術的な移動」における向上のみを目指そう、それだけにしようと決意した。いつかはその情熱が生活に直結することを願いながら。この段階で、それは単なるスポーツではなくなった。自分たちの行為のおかげで、彼らは大いなる解放感を見つけ出したわけである。この新しい規律は、やがて彼らのレパートリーに新しい側面を付け加えることとなった。観客との関係をつくること、そして環境を尊重することである。この数年、彼らはすでに非常に高いレベルに達していた技術とともに、信じられない道のりを歩んできたといえる。情熱は、肉体と精神のエネルギーを完全な結合へと向けていく。YAMAKASIのメンバーは、友情、誠実さ、そして勇気に対して、同じ価値観を分かち合っている。この段階で、彼らは犯罪行為に横滑りしてしまうのを避けることができたのだ。彼らの目的はただひとつ、真のYAMAKASIになること。つまり、強い精神に裏打ちされた強い肉体を持つことである。この歩みの中で、彼らは自分たち自身の弱さを見出し、それを乗り越える術を学び、そして自分自身に対する自信を深めた。そしてまた一般の若者たちに与えるインパクトを意識して、彼らは今年ひとつの組織をつくりあげたのである。
 
最初の経験
 YAMAKASIの活動は次第に話題になっていき、メンバーは、多くの観客に自分達を知ってもらおうと決意する。1997年から何ヶ月かにわたって、ジャーナリズムは彼らを報道したが、大きな話題には至らなかった。それから1年近くが過ぎて、彼らはあるテレビ番組に出演した。ここでチャンスが再びやってきた。彼らはビデオクリップの中でパフォーマンスを披露、短編作品も製作した。
 1998年、彼らのメンバーのうち2名が舞台『ノートルダム・ド・パリ』の出演に契約をした。また、パレ・デ・コングレでの舞台を経験するために、そして、フランスおよびカナダへのツアーのために、メンバーで相談し交渉、交替制をしいた。こうして1年半のうちに、彼らは興行の世界に身を投じることになる。
 その後、リュック・ベッソンがあるニュースで彼らのことを知り、自作『TAXi2』への出演を依頼してきた。彼らは作品の中で4人の忍者に扮し、高速道路を全速力で逃げ、橋の上から飛び、道路でリバウンドし、そして警官たちの目の前で消えてみせた。法律で禁じられていることを、自分たちだけは例外的にしてしまえる権利をもつなんて、どれほどのストレス解消になることか!この、皆が待ち望んだ映画出演という初の経験は、それだけで素晴らしい冒険だった。彼らは自分たちの夢が実現したこと、自分たちの芸術が真の仕事となったのを感じた。彼らにはいま、ひとつの願望があるのみである。すなわち「この経験を続けること」だ。
 
 
映画
 2000年1月。リュック・ベッソンは、彼らと再会した。そのとき彼らには、すでにリールー・プロダクション(ちなみに『フィフス・エレメント』のヒロインの役名)に提示済みのシナリオが2本あった。その中のアイディアのいくつかが採用され、数週間後、シナリオの第1稿が書き上げられた。ベッソンは、まずYAMAKASIのメンバーそれぞれにニックネームをつけた。実際の映画は、彼らが想像していた以上にドラマティックさとはかけ離れて、コメディ・タッチのアクション映画となる。だがこのことは、メンバーにポジティブなイメージを与える結果となった。スポーティーな場面、たとえば建物の3階から後ろ向きに飛び降りるシーンも、オープニングの高層ビルの壁をよじ登るシーンも、すべて実際に行われた。
 やがて、稽古が始まった。YAMAKASIのメンバーは、ハイレベルのアスリートではあってもプロの俳優ではない。そこでプロダクション側は、コーチ役としてアルメル・スブレールを雇った。彼女は、フランスの俳優たちと多くの仕事をしている女性である。彼女はYAMAKASIのメンバーたちが自然に自己表現できる演技方法や、自然に自分のものにできそうなセリフを見つけ出した。彼女は、メンバーたちが感情移入するための幾つかの方法も説明していた。メンバーたちは2ヶ月にわたり、台詞回し、言葉のリズム、呼吸法、集中の仕方、体のポジショニングなどを訓練した。


 撮影は2000年の7月3日、ショワジー・ル・ロワで開始された。 最初のシーンは冒頭の高層住宅をよじ登るものだったが、この撮影には2週間かかった。YAMAKASIのメンバーは、安全策として初めてケーブルを使った。しかし彼らの驚異的な集中力によって、結果的にはまったくそれを必要としなかった。YAMAKASIのメンバーの願いは、たとえ映画であっても、すべての部分は「リアル」ということだった。
 たとえば、゛パラノの家゛におけるシーンでは、メンバーたちは壁をよじ登るだけでなく、家の中で2匹のドーベルマンと対決しなければならなかった。調教師はたいへん厳しく犬を訓練してくれたが、この犬たちと一緒の撮影は、全員がパニック状態にになることには違いない。このシーンの間中、メンバーを追いまわし、ワンショットごとにだんだん苛立ってくる犬たちのことを、メンバーは考えないようにつとめたのだった。このシーンは特撮もせず、特殊効果を加えることもなく撮られ、最後はYAMAKASIのメンバー3人によるスーパージャンプによって、締めくくられた。
 各メンバーは、そのニックネームにふさわしいアクションをあみだした。スパイダーは両手を折りたたむようにして発進するし、ブルは着地点を見つけるにつれてどんどん展開するジャンプをする。かと思えばロケットは、それこそロケットのように宙に垂直に身を投じる。
 シーン全体は身体の躍動感を生かしたものだったので、YAMAKASIたちはめいっぱいやった。撮影回数をおうごとに、彼らはこの仕事を理解し、また自分たちの役柄をより深く自分のものにしていった。
 こうして16週間後の2000年11月10日に、撮影は終了した。 その結果として、メンバーに残されたものは、数カ所のあざ、幾つかのかすり傷、足首の捻挫が1件。そして貴重な体験と胸いっぱいの思い出が、7人の超人たちに残されたのだった。

AMAKASIのアクション

ティック・タック :障害を飛び越えるために片足に重心をかける。
例:ベンチの上に片足をかけ、壁を飛び越える。
デタント・ジャンプ :ビルの屋上から屋上へ、体のばねを充分に利かして飛び移る。
キャット・ジャンブ :障害に両手を置き、両足を横ざまにして乗り越える。
アーム・ジャンプ :デタント・ジャンプのやや複雑なもの。指か手、あるいは腕で壁に捉えながら体を引き上げる。
ボトム・ジャンプ :高いところから飛び、着地の際、回転して受身を実行する。

オリジナル・サウンド・トラック
B・O・S・Sジョーイスター/DJスパンク

 『TAXi2』のオリジナル・サウンドトラックの後、リュック・ベッソンとヒップホップは、フランスラップ界を代表するNTMのリーダーであるジョーイスター経由で再び結びつくこととなった。
ジョーイスターと「ボス・オブ・スキャンダルズ・ストラテジィズ」のクルーである彼の相棒DJスパンクは、このチャンスに、現在の音楽シーンを眺望するにふさわしいヒップホップのアーティスト、すなわちディスイズ・ラ・ペスト、レイディ・レステ、ビュスタフレックス、KDD、ジャアイズといった人々や、将来有望なタレントたち、ファビィ、アイン・サイ、FDYフェノメン、レプティルズ、マス、ジミ・シソコ、ネルらを統合した。
こうした結果は、衝撃的でありながらニュアンスに満ちた味わい深いものになった。たとえばここには、ファビィとレイディ・レステの贅沢なR&Bデュオから、ジョーイスターのピュアでハードなヒップホップ(3タイトルは未発表曲で、そのうち1曲はビェスタフレックスとの競演)まである。『YAMAKASI』のサウンドトラックは、まさにこの春の画期的な出来事たりうるものだ・・・。
 
 
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