坂本九没後20年ドラマスペシャル「上を向いて歩こう 坂本九物語」8月21日午後9から放送!
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あらすじ
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昭和16年(1941)12月10日 

 川崎市にある荷役請負業「丸木組」の社長・坂本寛(ゆたか)と妻・いくとの間に生まれた、九(本名・ひさし)。九は、寛にとって9番目、後妻であったいくにとっては、3番目の子どもであった。

 第二次世界大戦末期、九と兄弟たちは、母・いくの郷里の茨城県笠間町に疎開していた。やんちゃな幼少時代を送っていた九の家の近くには、弁財天を祭った祠があり、空襲で焼け出された家族が住み着いていた。目の見えない夫婦に、5歳ぐらいの小さな男の子。その子は、父親の目になろうとして、手を引いていた。男の子は九たちに、にっこりと可愛い笑顔を見せた。するといくは、「あの子えらいね。本当にいい子だね。辛いときには、にこにこするのよ」と涙ぐんだ。そんないくを見上げる九。自分よりちょっとだけ上のはずのその男の子が、一生懸命家族と生きている。そして、この時の母の言葉は、美しい笠間の星空とともに、九の心にしっかり刻み込まれた。

疎開生活も終わり、父・寛のいる川崎へ戻った九は多感な青春時代を送る。「丸木組」は進駐軍の命令により解散させられていたが、寛は男気があり、人情と任侠の世界に生きていた。またいくは、寛の6人の子どもと自分の実子である下3人とを分け隔てなく育てあげた気丈な女性で、後に家計を助けるために小料理屋を始める。そのためか、人の出入りも多い賑やかな坂本家であった。しかし、坂本家を一番賑やかにしていたのは、もちろん9人の兄弟たちだった。そんな両親と多彩な才能を持つ兄弟たちに囲まれ、九は愛情豊かに育っていく。
中学3年生を迎えた九は、驚くべき話を聞く。なんと、両親が離婚するというのだ。いくは九を含めた下3人の子供を連れて出て行
くが、新しい住まいは近所で、兄弟たちは変わらず、寄ると触ると宴会の毎日だった。その頃九は学校で、ほうきを抱え、エルビス・プレスリーの物真似を友達の前で披露し、拍手喝采を浴びていた。

やがて高校生になった九は、歌手を目指し、バンドボーイのアルバイトで米軍キャンプやジャズ喫茶を回り始める。そして、時々歌も歌わせてもらい、次第に人気者になっていく。しかしある日、喫煙、飲酒と喧嘩で補導された九に烈火のごとく怒ったいくは、歌手をやめさせる。
だがそんな折、いくの元へマナセプロダクションのマネージャー・曲直瀬信子が訪ねてくる。九を歌手として迎えたいと言うのだ。真剣な信子の様子に、半信半疑となるいく。

昭和35年、『悲しき六十才』を発表した九は、瞬く間にヒット街道を駆け上がる。笠間の弁財天で会った男の子のように、にこにこ笑いながら歌った方がいいと言う母の言葉通り、この曲は九の笑顔と重なって人々の心を捉えた。その成功のお陰で、九は『悲しき六十才』の映画にも主演が決まり、にわかに忙しくなる。
そして、とうとう運命とも呼べる曲に出会う。『上を向いて歩こう』。作曲家・中村八大がこの曲の為に選んだ歌手は坂本九。作詞の永六輔は、九の起用に難色を示すが、八大の指名ならばとしぶしぶ承諾する。結局、『上を向いて歩こう』は大ヒット、昭和36年、九は紅白歌合戦に初出場を果たす。

『明日があるさ』『見上げてごらん夜の星を』などのヒットを連発した九は、昭和39年に全米レコード協会から、外国人として初めてゴールデンディスクを受賞する。『スキヤキ』(『上を向いて歩こう』)はビルボードで4週連続1位を記録した。
昭和40年6月27日、京都市民会館でのリサイタル。その最中、母・いくの訃報が九の元に届けられた。最後に『上を向いて歩こう』を歌った時、それまで我慢していたものがいっきに溢れた。涙で頬を濡らし、一生懸命上を向いて、堪えながら歌う九の姿は、会場の人々に深い感動を与え、いつまでも拍手は止まなかった。
その後も、『ジェンカ』の大ヒットなどで忙しい毎日を送っていた矢先、今度は父・寛が糖尿病に倒れ、帰らぬ人となる。

母と父を失った九に転機が訪れる。それは女優・柏木由紀子との結婚だった。昭和44年の初夏、俳優で友人の長谷川明男と車で走っていると、九の目の前を、足の不自由な母親らしき女性の手を引いた若い女性が横切った。ああいう子を嫁さんにもらいたいなと言

う九に、長谷川は、その女性が女優の柏木由紀子だと教える。後に、長谷川の計らいで言葉を交わすようになった二人は、交際を深めていく。昭和46年12月8日、九と由紀子は、想い出深い笠間稲荷で結婚式を挙げる。昭和48年に長女・花子が、次女・舞子もその3年後に誕生した。
結婚したことで新たな幸福を見つけた一方で、九は、自分が何かし忘れていることがあるような気がしていた。そんな時、生前の母・いくの「寂しいときは、自分より寂しい人のために、力をつくしなさい」という言葉を思い出し、福祉をライフワークにすることを決意する。その後、9年間にわたり福祉番組に出演し、恵まれない人々を励まし続けた。

昭和60年8月12日。九は、マネージャーの小宮勝広とともに、NHKでの収録後、羽田空港へと向かった。空港でもファンに、あの笑顔で応える九。その後二人は、午後6時12分羽田発大阪行きのジャンボ機のゲートへと消えていった。そして、これが坂本九の最後の姿となった・・・・・・。


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