イントロダクション

2009年8月、あるニュースが日本中に衝撃を伴って報じられた。“女優・大原麗子 死去”…62歳のあまりにも若すぎるスター女優の突然の死だった。大原麗子に何があったのか?彼女を死に追いやり、導いたものは一体なんだったのか?かつて“国民的女優”“好感度No.1女優”として名声を誇り、40年余りトップ女優の座にいた大原麗子。そして、その裏に秘めた波瀾万丈の生涯と、スター女優としての“明と暗”…。昨夏、三回忌を期して、芸能ジャーナリスト前田忠明氏の渾身の取材と調査により出版された『大原麗子・炎のように』(青志社刊)を原作に、大原麗子の幼少期と、ドラマデビューから晩年までを描く。また、大原麗子が結婚・離婚した二人の大スターをはじめ、現在も活躍中の人物が実名で登場する、異例のドラマ。なぜ女優であることにこだわり続けたのか?彼女を駆り立てたものはなんだったのか?大原麗子の波乱に満ちた生涯と、愛と死の真実を、大原麗子の実弟・大原政光氏の目線で赤裸々に描く。

ストーリー

平成21年8月6日、白亜の豪邸で女優・大原麗子(内山理名)の遺体が発見された。一週間近く連絡が取れないことを心配した弟の政光(杉浦太陽)が自宅を訪ねたところ、麗子が寝室で亡くなっていたのだ。その死に事件性はなく、死後数日が経過していた。国民的女優として華々しく活躍してきた大原麗子の孤独死という衝撃的なニュースは、自殺、事故死、病死という様々な憶測と共に瞬く間に世間を駆け巡った―――。

昭和39年、森進一(田代万里生)や井上順など俳優や歌手・デザイナーなどを目指す若者たちが組織していた六本木「野獣会」のメンバーだった麗子は、長年の夢を叶え18歳で映画女優としてデビューを果たしていた。その後、必死の努力が実を結び、5年後には東映映画の主役の座を射止めるなど、麗子は女優としての階段を順調に駆け上がっていく。そんな麗子を支えてきたのは、女優になって父・政武(田中健)を見返し、母・俊子(高橋惠子)に楽をさせてあげたいという一心だった。

麗子は幼い頃、政武から憎しみとも取れる度を超えた躾を受けていた。老舗和菓子店の店主だった政武は、麗子の母・俊子とは4度目の結婚で、前妻たちとの間に既に3人の娘がいたせいか、跡継ぎに男の子を欲しがっていた。そのせいか4人目の娘・麗子への態度は冷たく、麗子への度重なる暴力に耐えかねた俊子が家を出て行くという形で2人は離婚していた。

そんな父への憎しみを糧に女優への道を駆け上がってきた麗子だったが、女優として成功した自分の姿を父も喜んでくれているのではないかとの期待が捨てられず、撮影が始まると父のもとへ会いにやって来る。しかし、そんな麗子を待っていたのは、なおも自分を認めようとはしない父の姿だった。その姿を目の当たりにした麗子は、憎しみと悲しみを抱えたまま父とは決別していく…。

その後、麗子は主演映画の相手役だった新人俳優の渡瀬恒彦(徳重聡)と交際を開始。やがて、順調に交際を重ねた2人は結婚し、姑の絹代(松原智恵子)と同居しながらの結婚生活をスタートさせる。絹代や恒彦から子どもを望まれながらも、女優の道を捨てられず、必死に仕事と家庭との両立を図っていこうとする麗子。しかし、すれ違う二大スターの結婚生活は離婚という最悪の結末を迎えた。

麗子はこれまで以上に仕事に打ち込み大作映画やコマーシャルにも次々に出演。「好感度No.1女優」としての地位を確立した。そして二度目の結婚。売れない時代から励まし合ってきた森進一(田代万里生)との電撃結婚だった。しかし、今度こそ掴んだはずの幸せも、一年経たないうちに綻び始めてしまう…。

やがて時代は昭和から平成へ移り、女優・麗子を取り巻く環境も大きく変わっていく。
妥協を許さない麗子の役へのこだわりは、いつしか制作者たちから“扱いづらい女優”というレッテルを貼られ、徐々に仕事は減っていき、麗子は孤立していく…。

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