福島・磐城高校 25年ぶりの甲子園が消えても耐え忍んだ前監督と生徒たちに訪れた「奇跡」とは

野球

2020.8.27

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そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

野球の神様はやっぱりいる。彼らがそろって甲子園に立てたのだから。

福島県・磐城高校。木村前監督と生徒たちの物語。

今年1月、朗報は届く。春の甲子園、21世紀枠に入った。しかし大会は中止になり木村監督は3月に転任が決まる。別れの儀式はいつものノック。夢と消えた25年ぶりの甲子園。それでも下を向かない強さが監督の教えだった。

そして開いた奇跡の扉。今月、甲子園の交流試合にその人はノックバットを持って現れた。

木村監督の母校でもある磐城高校。公立の進学校を強くするには"忍耐"が必要だった。突き進むべき目標に向かって一歩前進していく。それに尽きる。

25年ぶりのセンバツ出場が決まるも中止に...

取材の始まりは去年12月。選抜甲子園の出場候補と聞いて訪ねた。驚かされたのはその指導法。監督は一切口出しをせず、選手たちがすべて決めていたのだ。

打撃練習では倒れるほど大きなスイングをする選手がいた。一発狙いを戒める指導者は大勢いるが、木村監督は何も言わない。

「自主性を育む」

その発想が全ての礎となっている。口から出るのは、褒め言葉ばかり。木村監督は決して怒らない。褒めて笑って選手と向き合うこのやり方に時間を掛けて辿り着いた。

1月、25年ぶりとなる甲子園出場が決まる。普段は泣かない男がこぼした涙。これにはわけがあった。実はこのとき既に他の高校への転任が内示されていたのだ。だが水を差したくないと生徒には黙っていた。

監督に就任して5年、忍耐はようやく実った。しかし3月11日、信じたくない発表がなされる。選抜甲子園は中止になり、つかんだ切符は幻となった。後を追うように木村監督の転任も本決まりになる。

別れの前日、春の選抜で着るはずだったユニフォームが手渡された。監督と選手の関係でいられる残り時間はもうあと1日しかない。

前日雪が降ったため実施が危ぶまれたが整備すると使える状態であった。甲子園用に新調したユニホームを着て練習する。最後のノック。一歩前に進むためにこれが彼らの儀式だった。言葉では伝え切れないことをボールは伝える。

甲子園での交流試合で思わぬ出来事が...

春の甲子園がなくなり、目標は夏の甲子園へと代わった。しかし残念ながら夏の甲子園の中止が決まる。受験が控える三年生には勉強を優先しようかと、悩む部員もいたが誰ひとり欠けることなく今まで通り勝ちにこだわると決めた。

そして球児たちの想いが届いたかのように、甲子園での交流試合開催が発表された。一度切れた夢の架け橋がまたつながった。

通じた甲子園への道。さらに部員たちを喜ばせるもう1つの吉報が。高野連の計らいで木村監督がノッカーとしてグラウンドに立ったのだ。

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耐えて、信じて、前を向いてその先にあった甲子園。木村監督の手のひらがこの日のために繰り返した素振りでマメだらけだったことを選手たちは知っていただろうか。

大人の背中を見て大人になっていく彼らに、その背中はどれだけのことを語り掛けただろう。